遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

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今日は転院を考えている心療内科の初診日だった。

紹介等ではなく、ネット検索によって探した小さな心療内科だ。

 

病院口コミサイト等はヤラセが多く却って判断に迷うから、利用したい地域の町名とキーワードのみで検索し、いくつか候補に絞った。その中から派手ではないが誠実さを感じられるホームページの心療内科に電話をかけた。

対応いただいた受付の女性は変に親切ではないが、機械的でも冷たい印象もない、至極当たり前の印象を受けた。転院の事情や病歴を簡単に話して翌週に予約を取った。

 

基本的に転院には紹介状が必要とされる。精神科は尚のこと紹介状の有無が重要のようだ。すでに興味を失ったその精神科に足を運ぶのは躊躇われたが、先へ進むにはこのミッションをクリアしなければと、なんとか気持ちを奮い立たせた。

通常であれば診察前に受付で紹介状の希望を伝える必要がある。けれど待合室は狭く、受付での会話は診察を待つ患者に筒抜けになる。当院は患者間の結束が硬く、恐ろしいほどのネットワークが築き上げられている。受付での会話が即座に広まる可能性も否定できない。

その上、噂には尾ひれ背びれがついて、とんでもない話へと展開する可能性があるのだ。

 

受付では紹介状の件を伝えずに、私は主治医(とこの時は思い込んでいた)の待つ診察室の扉を開いた。

海外で研究医として長年過ごされたその人は、その経歴のまま、穏やかで満ち足りたお顔をなさっている。白髪のおっとりとした優しげなおじいちゃまだ。

彼にどう切り出すか、一瞬迷う。

「あるブログサイトを見てクリニックが怖くなったので転院したい」

果たしてこれほど正直に打ち明ける必要はあるのか?

 

私はかつて1度、初めて入院した精神病院の紹介状を取ったことがある。

最後の通院から5年ほど経過していたため、特に紹介状は必要ないと言われたものの、内容見たさに紹介状を依頼した。本来開封してはいけないものだが、私は躊躇いもなく封を開け、内容を確認した。

担当医に母が告げ口した通りのことが書かれていた。詳細は失念したが、我儘が原因の心因反応とされていた。

この紹介状は、もちろん転院先へ提出せずにゴミ箱行きとなった。

 

印象が大事よね。そうじゃなければ何を書かれるか分かったものじゃない。

そう思った私は数日前に起きた患者とのトラブルを第一原因とし、名物ドクターを巡る患者の争いにも馴染めないことを話した上で転院の意思表示をした。

育ちとお人柄の良い担当医は、私の申告にあたふたと答える。

「僕にはどうして良いのか分からないよ...。」

いやいや、確りしてください!と言いたいところだが、ここはグッと感情を抑える。

無理強いすれば、あの名物ドクターの指示を仰ぐことになるだけだ。そんなの怖い。断固として阻止しなくては...。

 

「どうしたら良いのか分からないって、どうしたら良いですか? 私はここへ来るのが嫌です。他の患者と顔を合わせたくない。ここの人たちは何を言い出すか分からないじゃないですか?」

「うーん、困ったなぁ。僕には決められないよ」

押しても無駄だと判断した私は、万が一にも名物ドクターが介入するのを恐れ、断固として転院の意思を通せずに手ぶらでの帰宅となった。

しかし、通院で他の患者と顔を合わせたくないと訴えたため、1ヶ月分の処方箋が出たし、気が重ければ診察も1ヶ月後で構わないという約束も取り付けた。

 

その時点で既に翌週には名物ドクターの診療が予約してあったため、会計時に受付でその診察のキャンセルを告げる。すると受付の女性は「勿体無いですよ」と仰る。私はこの受付の女性に来院当初から好意を抱いている。優しげで穏やかで、のんびりとした雰囲気でありながら、実は仕事はきっちりできる女性。

勿体無いとアドバイスするこの女性に、悪意は微塵もない。

「あ、そうですよね...勿体無いです...ね。けれど私、ここで顔見知りの人と会いたくないんです」

その後も様々な提案をしてくださる親切以外の他意がないこの方に、意思を押し通せない優柔不断な自分が不甲斐なくなる。不甲斐ないが、どうしても周囲の気持ちに合わせてしまう。結果、キャンセルもせず病院を後にした。

翌週の診察が近くにつれ、どんどん気持ちが重くなる。考えあぐねた末に、行きたくもない病院へ無理して行く必要はないのだと、改めて気づく。キャンセルの電話を数回かけるが、呼び出し音ばかりで一向に出ない。

断念して、私は無断キャンセルを選んだ。

 

きっと「イイ加減だ」とか、「人間として最低だ」とか、影で色々噂されるかもだけど、別にどうだってイイや、と開き直った。

 

転院先の病院へ電話し、紹介状の希望は通らなかったことを相談したところ、紹介状なしでも初診は受けられるとの回答だった。

 

今となってはどうでも良いことだが、後にこの精神病院の全ての患者の主治医は名物ドクターであり、他のドクターたちは処方医なのだと知る。法的には特に問題はないのだろうが、患者間では、名物ドクターが主治医であることが特別な患者と言う認識があるから、名物ドクターを主治医としている患者には優越感がある(ような気がする)。

 

私の精神科通院歴は4度の入院を含め、通算20年余り。

初めて精神病院のお世話になったのは1995年だった。

当時の私は小さな広告代理店に勤務しており、完全にワーカホリックに陥っていた。日々の残業は勿論、土日も返上して仕事漬けの毎日だった。

 

私は黒い革表紙のシステム手帳にスケジュールを記していた。そこにはクライアントとのアポインや予定がビッシリと書き込まれていた。

 

そんなある日、唐突に頭の中で声が響いた。

『その手帳を捨てなさい。全てその手帳が悪いのです。貴女はもう許されたのだから手帳を捨てて家に帰ってゆっくり休みなさい。』

私は何の躊躇もなく、唯その声に従った。渋谷駅に設置されたゴミ箱へ、無感情にシステム手帳を放り込むと、会社へは何の連絡もせず帰宅すると、そのままベッドへ潜り込んだ。

 

私の妄想は急速に発展し、結果的に精神病院に入院するまでとなる。この時の診断名は心因反応。2ヶ月ほどの入院で妄想は収まり無事退院となるが、担当医からの忠告は「このまま無理を続けると精神分裂病になりますよ」だった。

 

退院後、私は見る間に快復し、生活に何の支障もなくなったため、独断で通院をやめた。

その後2000年まで精神科とは無縁に過した私は、父の病死と親友の自死の後、再び向こう側へ行く。

以来18年間、一人の精神科医にかかり続けた。

 

昨年、長らく治療を望んでいたとある精神科へ転院することとなり、9ヶ月間その精神科に通った。

実に奇妙な病院だった。

そこで行われる日常が、私にはお芝居のように見えた。患者や職員が、名物ドクターを中心に一つのお芝居を演じているように見えてならなかったのだ。

 

私はその芝居臭さに内心ギョッとしていたが、長年の憧憬が本心を抑えつけた。

なるべく中には入らずに、外側から観察を続けた。

なんとしても治療を受けて、回復への道を辿りたかったからだ。

 

ひょんな事から私は、その病院のお局患者と親しくなり、彼女に傾倒していった。

私には彼女が理想の母に思えた。小柄で可憐で無垢な、けがれなき聖母。本当は弱いのに愛する子どもたちのため、懸命に闘う健気な母に見えたのだ。小さな手足がちょこちょこと動かされるたびに何故か厳かな気持ちになる。ドクターを慕い続ける彼女の、プラトニックな恋心は私の密かな乙女心をも擽ぐった。

 

いつの間にか私は、彼等と同じ舞台に立って、下手な芝居を始めていた。

どっぷりと首まで浸かった頃、何故か彼女は患者たちのタブーとされる、ある人物の名を教えた。

 

私はその禁断のサイトによって、今こうして我に返ることができた。

 

今日の診察室で極普通だが信用のおける精神科医と交わした会話は、数ヶ月ぶりに味わう大人同士の会話だったと思う。

もちろんドクターと患者であるには違いないが、そこには平等な力関係が存在していた。

 

禁断のサイトへ繋がる情報を流した、かつての理想の母の真意は計りかねるけれど、結果的に彼女には感謝している。

 

中傷の渦の中、その気高き信念を貫き通し、サイトを継続なさっている彼の方には計り知れない感謝を。