遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

過去

自分の本音を誤魔化して、なんでもない風を装ってしまうことが間々ある。

これは「他人に対して敢えて、そうする」というのではなく、自分自身に対して気づかぬうちにそうしてしまうことがある、ということだ。

 

幼い頃からの癖のようなもので、あの家で生きていくために知らぬうちに身につけた手段の一つだ。

 

今回、私は長く治療を望んでいた医療機関に、20年とういう歳月を経て繋がることができた。

それに際して幾つか犠牲にしたことがあり、何としても結果を出したいと思いつめていた節がある。

たった9ヶ月の間だが、この医療機関に対して何度も不審に思う部分があったが、そのたびに芽生えたばかりの小さな芽を、自ら摘み取っては信じることに専念した。

 

ずいぶん前にやめてしまったブログを再び始めて、その医療機関に通う喜びを綴る努力をした。18回更新したそのブログを読み返すと何ともおぞましく、削除したい衝動に狩られる。けれど削除せず残しておくのは、己の迂闊さや欺瞞を忘れないためでもあるし、時が経てば私も変わり、見方が変わる。今とは違う視点で読み返す日が、いつか訪れるかも知れないという期待からでもある。

 

中学生の頃、私は自称ポエムなる小っ恥ずかしいものを書き散らしていた時代がある。小学生の頃は真っ黒な心情をノートに書き綴り、そこには「父暗殺完全犯罪」なるものも記されていた。

当然ながら、いずれのノートも処分している。

けれど時の経過と共に、あの暗黒時代とも言えるときを懐かしく思い出すこともあり、捨てなきゃ良かったな、などと考えることもあるのだ。

あの頃、私が真に感じていたことを、今の私は厳密には思い出せない。

いや、むしろ塗り替えた記憶が多いのではないか。

 

信じられないことだが私は、ここ10年余りに何をしてきたのか明確な記憶がない。引きこもって、仕事をして、退職して、失業保険を給付しながらひきこもる。これを何度か繰り返しているうちに、いつの間にか10年が過ぎていた。昨年、あの医療機関を訪れる時点へ、一気にタイムスリップしたような気分になる。社会で何が起きているのか、自分に何が起きているのか、関心を持たずに生きていた日。私は何を見て、何を考えて、何を思ったのだろう。

 

端から見たらどうでも良いこと。

けれど、私にとってはとても重要なこと。