遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

牢屋の外へ

中学生の頃、おそらく鬱になった。

おそらくというのは身体が動かなくなった私を、父が連れて言ったのは精神科ではなく内科だったから鬱と診断されていないのだ。連れて行かれた内科で「赤血球が異様に少ない奇病」(病名すらつかない)と言われ、直射日光に当たることを禁止されて1学期間休学することになった。休学中の1学期間は流石に私の親も私を責め立てることはなく、血液も正常に戻り身体も動くようになった。

 

それでも常に脳天が熱くて、毎日シャンプーしてるのに直径1㎝のフケがわさわさ出たりして尋常じゃなかった。

辛くて悲しくていつでも泣き出しそうになるのに、人前では泣くこともできなかった。

 

動くのが辛くても家事ができない(しない?)母の代わりをしなくちゃならないし、学校を休みたくても「ズル休みか?!」「病は気からだ!」等々と父が怒鳴り散らすからトボトボでも学校へ行かなきゃならないし、休みの日ぐらいゆっくり寝て過ごしたくても早朝に叩き起こされてパジャマで過ごすことすら許されない。

なんだかヘトヘトな毎日を過ごすうちに、なんとなく平気っぽく生きていけるようになっていた。

 

私は私のことしか分からない。

いやむしろ自分のことすらよく分からない。

 

それでもずいぶん辛かったから、辛いという気持ちはなんとなく伝わる。

インチキじゃない本当の辛さ。

 

私の夫は実によく眠る人で、なんだか健やかで羨ましいと思っていたけれど、

実は彼がよく眠れるのはお酒のおかげだということに気がついた。

また、そうまでして眠らないときっと、彼は保てないんだ自分を。

私は健やかに憧れたから、健やかな人と結婚したつもりだったけれど、

ちょっと違ったみたい。

呼び寄せるのかな?

呼び合うのかな?

 

 

甘えてる、なんて簡単に口にする人が多いからさ。

そういうご立派な方々は、どうか放っておいてほしい。

あんたたちだって、いつそうなるか分からないんだ。

 

お前たちのようなものはここへ入って黙ってろなんて、

高い塀の奥の牢屋へ押し込んで放置してた時代みたいにさ、

あのころの方がマシだなんて思わせないで。

 

 

牢屋から出てきた私たちは今この時代にあって、

違う症状でも

分かり合えるようになりたい。

 

きっと分かり合えると思うんだよ。