遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

スタートライン⑴

若い頃の私は、父や親族になんとか認められたくて、「成功」を貪欲に夢見ていた。私の父方の親族は国立大出身揃いで、官僚や医者、大手企業勤務だった。私の父は外れ者で、三男坊である父の養子先は寺だったが、修行がイヤで逃げ出した末、職を転々とした。私が生まれた頃には定職につき、その後独立して自営業でそこそこ成功し、収入はある程度高かったものの、職種的には親族から見下される部分もあった。それに加えアルコール依存症で学のない妻を持つ父は、尚のこと肩身が狭かったと思う。父はいつも不機嫌で、怒鳴り散らすことが多かった。

 

父の自慢の一つであった優秀な長女(私)の成績は、中学まではトップクラスだったものの急降下する一方で、そのうち引きこもりまで起こし始める。母からの言葉による虐待は慣れていたが、父からの罵倒も加わり、ますます私は萎縮していく。校内ではI.Qテストが実施されており、私のI.Qは高かったため教師まで成績低下を責めるのだ。別に勉強をサボっているわけではなかった。授業中も机についてもボンヤリとして、勉強が頭に入らないのだ。

 

結果的に私は三つの高校と大検予備校を一校、専門学校は三校、全て中退した。廃人みたいになって何者でもなく、対外的には家事手伝いで、一家の厄介者と成り果てていた。

 

ゴミのように家畜のように扱われながら私は、頭の中で漠然と成功を夢見た。

 

それからも私の挫折人生は続く。

25歳で1回目の結婚。相手は田園調布のお坊っちゃまで、設計事務所を個人経営していた。父の支配から抜け出して新しい人生を歩めると思ったのもつかの間、彼はまさに『冬彦さん』だった。

若い方はご存知ないだろう。

1992年からTBS系列で放送されていたテレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』のヒロインの夫だ。

 

www.tbs.co.jp

 

私の夫となった人はバツイチで14歳年上だったが、若々しくてハンサム、181cm高身長、高収入、高学歴でいわゆる三高だった。結婚前は優しくて紳士的な人だったが、入籍した途端に豹変する。拒食症と言語障害になった私は28歳で離婚した。

 

最初の夫は入籍後は常に上から目線の人で、中卒である私を見下していたが一度だけこう言ったことがある。

「Y美ちゃんは高校中退だけど短大出程度の頭はあるね」

十分バカにした言葉ではあるが、これが私のその後に大きく影響する。