暑苦しい生き方?
一昨日のことだ。
私は支所で障害福祉サービス受給者証の申請をしてきた。
そのときに区の精神保健福祉士から聞いた「学生は就労移行支援サービスが受けられない」ということに私はどうも納得がいかない。
行政側としては、学生はまず学業に専念することが重要と考えているらしい。
もっともなご意見だと思う。
しかしながらこの学生に、通信大学も含まれるというのは如何なものだろうか。
面談では残念なことも知った。 就労移行支援サービスは学生は受けられない、ということ。 当然ながら通信大学生もこのサービスは受けられない。 来年には通信大学へ入学予定の私は、来年3月までの約半年がサービスを受けられる期間だ。
今日のこと。 - 遠い箱
私のように50代にもなっていれば、学校などとうの昔に卒業して、社会人としてはベテランの域でバリバリと働いているのが通常だろう。
学ぶべき若き日にすでに精神に支障があり、それを理解しない責めるだけの大人たちの中にあって私は、どれほど苦しさを訴えようと、また自分自身でもその苦しさを上手く説明することも、ましてや原因を突き詰めることもできないまま、ただ闇雲に次々と学校に入学しては中退するというコースを歩んできた。継続できない、卒業というゴールに到達することができないという挫折を幾度も重ね、自己否定と自責に苛まれ、いつしか廃人のような状態になっていった。義務教育以外で入学した学校は8校、そのうち卒業できた学校といえば30代で自ら学費を工面して入学した美術学校が1校だけだ。
仕事にしてもそうだ。人間関係が苦手な私は良い距離感で人と接することが一向にできず、何度も転職を繰り返している。職歴はなんと14社。いずれも経歴を誤魔化しての入社だ。
職場で適当な人間関係が作れないのは精神疾患の影響も大いにあるが、やはり一番影響しているのはこれらの経歴の詐称にあると思う。
就労移行支援事業所で集団認知行動療法や疾病理解、生活習慣の改善と自信を、取り戻すための様々なプログラムに参加し、精神障害者として社会に受け入れられるための、社会を受け入れるための取り組みをしてから社会復帰したい。また就職後も継続するための支援が必要だ。
そして私にはもう一つ重要なことがある。
何度も何度も挫折した卒業というゴール。学歴など不要という方もおられるだろう。しかしながら私にとっての「卒業」は「学歴」とは少しニュアンスが違うのだ。私のコンプレックスの源は学歴ではなく、やり遂げられなかった挫折感だ。
両親や親族、己ですら貼り付けた「ダメ人間」のレッテルを、自らの手で、力で引剥がしたいのだ。
通信大学の特修正すら満足に16単位取れなかった私が、今回初めて正科生として入学できる資格を得られた。半年で16単位を修得し合格することは、私には容易ではなかった。やっと得た入学資格を無駄にはしたくない。通信大学に通いながら、このサービスを受けることが私の望みだった。
学生の本分は学業という月並みな規定で、杓子定規に特例を認めないのは行政の常だろう。
「通信大学は社会人として就労しながらでも学ぶことが可能な制度です。私が入学を予定している通信大学は講義をオンラインで行なっており、その講義も15分程度で区切ってあります。スキマ時間で少しずつ学習を進められるのです。単位認定試験もオンラインで行われるので自宅で受けられます。通学の必要はほぼないのです。一般的な学生とは異なります。16単位を半年間で修得し合格するのは私にとって大変なことでした。これを無駄にしたくないのです。」
親身になって話を聞いてくださっている精神保健福祉士の担当者H史は、苦渋の表情でこうおっしゃる。
「Mさんのご希望はもちろん、会議では取り上げます。ただ現状はとても難しいです。今までの判例でも学生で許可されたのは一例しかなく、それは卒業見込みが出ている学生ということで例外として認められました」
「私が今回、この歳になって就労支援を受ける気持ちになったのは、最後の転職にしたいと強く望んでいるからです。私のような障害を持つものが継続するためには、悩みを相談できる支援が必要です。そして実のところ私は、大学を4年で卒業しようとは考えていないのです。精神保健福祉士の資格取得を目指していますが、これを就職に役立てるつもりはないです。この資格を取得する理由はオープンダイアローグに参加するためです。ボランティアで構わない。私と同じように苦しんでいる方の何らかの力に、いつか、なりたいのです。力になれる自分を作りたいのです。マイペースでゆっくりと、無理せずに卒業して資格取得まで行きたい。仕事をしながらのんびり卒業できれば良いんです。その間は就労支援が受けられないということですか? それとも入学を諦めて就労支援を受けながら就職するか、二択なのでしょうか? 私は入学を諦めたくないです。」
「そうですね...もちろん、入学は諦めて欲しくないです。いかがでしょう? 4年間は学業に専念なさっては? 卒業されてから就職することも可能ですよ?」
「いやいや、ちょっと待ってください。私は55歳ですよ? 4年間のブランクを経て60歳で再就職って...それはちょっと現実的ではないのでは...」
「確かに簡単ではないです。それでも不可能ではないですよ? Mさんでしたら学業と仕事の両立は可能ですね、きっと。けれど大変です。最後の転職とお考えなら、就労継続支援も必要です。学生でしたらこの支援も受けられません」
「うーん、そうですね。確かに60歳でも再就職は不可能ではないですよね。就労継続支援...そうですね。では、まずは来年3月まで就労移行支援を受けます。Hさんもどうか、この件について会議で提案してください。結果によっては学生でもこの制度を受けられることを期待します」
「もちろん、もちろんです。ただ、なかなか...」
「まぁ、そうです...よね、分かっています。行政ですからね...頭の固いお上の方々の考えは、そう簡単に変わらないですよね」
H史は困ったように苦笑しながら、なんども小さく首を縦に振った。
「是非とも会議で私のこの思いを、この経緯や生い立ちを、Hさんから上の方々にお伝えください。Hさんのお力でどうか、特例として通信大学生でもこの制度を利用できるように、お力をお貸しください」
点のような様々な出来事が今やっと繋がって、50代半ばにして生きる指針が見えてきた。
今までだってすんなりと行った試しなどないのだ。
困難の連続をここまでやってきた。
なるようにしかならない。
けれど尽力する。
端から見たら暑苦しくて馬鹿みたいかも知れないけれど、やれるだけのことはやり尽くしたい。
ダメでもともと。
自己満足で良いのです。