遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

今までのこと、これからのこと。⑶

「本日中に」と宣言しておきながら、時計に表示された現在の時刻は2:02。
一事が万事こんな調子だが、気にしてはいけない。
早速、続きに入ろう。


【気分の変調について】

《主治医とのやり取りから》

長い付き合いとなる主治医になら私は、素直に気持ちを打ち明けられる。
約一年ぶりの再開となったこの日も、会う早々に私はまず希望を述べた。
「H田先生、私の病名はなんですか?」
「うん?統合失調気分障害
「え?けど先生、Sクリニックでは統失ではないって言われましたよ?Nクリニックでも双極性障害って言われたし」
「うーん、正直、君の病名は分からないよ」
「えー?分からないって?どういうことですか?」
「特殊だからさ、非常に珍しい...強いていうならM(私の苗字)病かな?」
「なに言ってるんですかぁ?もう!」
「いや本当にね、判断出来ないくらい珍しい」
「なんですか?珍しいって...まぁ病名は何でもいいんですけど、統失はつけないでくださいね!今通ってる就労移行支援では鬱病双極性障害がメインなんですから」
「ん?なに?」
「あ、いま私ね、就労移行支援に通ってるんです」
「え?」
「だから就労移行支援ですってば」
「そこで何してるの?」
「何って?知らないんですか?就労移行支援」
「いや、だから何をしてるの?」
「就職後に周囲と上手くやって行けるように色々と学ぶんですよ」
「色々って何?」
「えー?アサーションとか認知行動療法とか、自分の疾患のことを説明できるようにとか」
アサーションって?」
「アサーティブな自己表現ができるようにするんです」
「アサーティブって?」
「適切な自己表現をするんですって」
「ふーん?」
「あ...相互理解? あ!自他尊重です!」
「ふむ、まあいい」
「...あ!そうだ!それでね、私は発達障害の可能性が高いらしいので、テスト受けさせてください」
「テスト?」
「そうそう!テストがあるでしょ?」
「うん?あんなのあてにならないよ」
「あてにならないんですか?」
「その辺に出回ってるやつでしょ?」
「や、そういうんじゃなくて、きちんと病院で調べたいんです」
「あぁ、そう?けど、うちじゃやってないよ」
「えー?そうなんですか?じゃ他で調べるしかないかな?」
「や、こっちじゃやってないけど、向こうではやってる。専門の心理士がいるから」
「そうなんですね!費用はどれくらいしますか?」
「うーん、僕には分からないな」
「じゃ自分で向こうに聞いてみますね」
「ふん、まぁいいけど、発達障害だったとして、それが分かって何か変わるの?」
「そう言われたら、そうなんですけど...あんまり周りに言われるから気になっちゃって」
「うん」
「けど、まぁそうなんですよね...いまさら知ったところで何が変わるわけじゃないですよね」
「うん」
「うーん...そうなんだよなぁ...まぁどっちでもいいかなぁ」
「そうじゃない?」
「ですよね?」
「うん」


確かにいまさら感がなくもない。
さらにもし私が発達障害と診断されたならば、
他の精神疾患を差別し見下すような人間に、私ならなるのではないかという懸念があるのだ。


統合失調症、というよりも、精神分裂病と名称されていた当時のイメージではあるのだが、
実は私はこの病気を「少し怖いけれどカッコイイ」ものとして捉えていた。
子供の頃、TVで放送された映画の『智恵子抄』で観た「千恵子」のイメージが、私のそれだった。
精神分裂病は赤のイメージ、明るい朱じゃなく、黒が混ざった血の色に近い赤、クリムゾンレーキのような...。
クリムゾンレーキは私の、いくつかある好きな色の一つだ。


ダークな赤、儚くて破壊的、そして破滅的...少しだけ怖くて、けれどとても繊細で魅惑的で美しい。
これが幼い頃から私が持っていた、精神分裂病のイメージだった。
そして諸説あるが、ゴッホムンクカミーユドストエフスキー夏目漱石ジョン・ナッシュ精神分裂病だったとも言われている。
2000年に精神分裂病と診断された私は内心、「やった!やっぱり私は普通じゃない!真の芸術家だ!天才なのだ!」と浮かれもしたのだ。
ところが世間には、私のような精神分裂病の理解はなかった。この病気と診断されてから誤診と言われる約三年間、私はずいぶん嫌な目にあった。
その経験が私を、自分は精神分裂病つまりは統合失調症ではないと断言させたくする。
あの数年間がなければ、私の持つこの病気のイメージは変わらなかったろう。


アインシュタインゲイツジョブズ発達障害だとも噂される時代だ。
万が一、私が発達障害と診断されたら?
きっと私なら自分を特別な存在と位置付けるに違いない。
そして他の精神疾患を差別する可能性もある。


ならば知らなければ良い。
私は精神障害者である、という事実が在るだけで良い。


気分変調の在る、精神を患った、傷ついた生き辛い人。
差別しそうな私は、それだけが良いのだ。


気分は今日も、くるくると変わる。
一日のうちに何度も。
落ちたり上がったり、実に忙しいものだ。


けれど、それが私。
それでもそれは、私の一部であり、全てではない。