遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

他人の考えていること。

人は面白い。
実に様々な考え方や感じ方がある。

人によって対応の仕方も様々。


できれば人に不快感を与えたくはないけれど、考え方の相違は不快感を生むことも少なくない。


社会に出れば、
できる限り不快感を感じないよう相手の意図をプラスの方向へ考えるように務めるし、
できる限り不快感を感じさせないように表現を考える。


ブログはどうだろう?
できれば不快感など人には与えたくないから、できるだけ表現を考えたりもする。
けれどここでする表現は、相手ではなく自分の気持ちを重要視したい。
だってここは私のページ。
公共に発していはても、あくまでも自分が一番の場所にしておきたい。
だから私はアドセンスの取得を考えないでいる。
発言に制限をかけられたくない。
自分自身でも制限を意識したくない。


ルールではなく、マナーで運営したい。
思いやりを大切にできる人と繋がりたい。




不快を感じたら、そのお相手とは距離を置きたいし、
距離を置かれていると感じたら、お相手の気持ちが変わるまで私からはアクセスしない。


なにかを感じて、なにかを知って、
自分が感じて自分で方法を選択する。


アクションを起こすのは全て自分自身の選択。
影響は与えられたとしても、選択して決定して実行に移すのは常に自分だ。


良いと思うものは取り入れて、受け入れられなければ無理に受け入れる努力はせず、
もちろん拒否権はいつだって自分自身にある。
そしてお相手の拒否権は、常に相手方にある。


目の前にある出来事を、考えて選択して決断して実行する。
それは常に自分。
そのとき、その一瞬の、私自身が撰び取ること。
それはどんなときも、いつの瞬間も、常に私だ。






大切にしたい人を傷つけたのかと悩むなら、
リアルなら直接話す努力をできるけれど、インターネットでは難しい。


誤解かも知れないし、考えすぎかも知れない。
悪意があるかも知れないし、全くの無邪気かも知れない。


どう受け取るかは常に自分自身の判断だ。
それが誰かの助言によって導かれたのだとしても、実行しているのは自分自身なのだということ。




今日は朝から夫の物言いで、なんだかちょっとガックリする。
失業保険の給付が12月頭で終わるから、夫の扶養となる私。
精神科に定期的に通院の必要がある私には健康保険は不可欠だ。
夫には3週間前にこのことは話してあり、国民健康保険から夫の加入する社会保険への加入をお願いしていた。


こういう手続きには腰の重い夫に再三お願いしたにも関わらず、先延ばしにする。
理由は簡単。
手続きを依頼する先が社長だから彼は、気に入らない社長にお願いするのが嫌なのだ。
社長には長く搾取されてきたとは思う。
まだ右も左も分からない20代前半の、アルバイトだった夫を引き抜いて、自分が起業する会社の責任者に仕立て上げ、
周囲から信頼されていた彼を囲って、あの零細企業を運営してきたのだ。
夫に私は何度となく助言した。
あの人は自分のことしか考えていない人だから、転職した方が良いのでは?
転職するなら、できれば30代のうちに。
そのヘッドハンティングは、今受けた方が良いのでは?


いずれも彼の判断で、転職をせずにあの悪徳企業に止まったのだ。
社長が嫌いだから、社長にお願いしたくないから、妻にとっての重要事項を後回しにする?
それってだって、結局面倒が増えるだけなのに...。


それほど嫌悪する代表の会社に居続けるのは、リスクが怖いから?
40代も半ばになった彼の不安は尽きないだろう。
精神病者の妻を抱えるのは荷が重すぎるのではないか?


彼は何を考えて、何をどうしたいのか、
全く本音が分からない。
自分の本心を打ち明けない。



今朝の会話。
「私の健康保険、いつ頃届くのかな?」
「分からない」
え?それだけ?
だって昨日、社長と会って手続きもするって言ってたじゃない?
手続きのときに、いつ頃届くのは聞かないんだ?
それは私のことだから?
自分には関係ないことを、私のためにイヤイヤ義務でしているから?
自分のことだったら確認するよね?


全くもって、この人はいつだって他人事だ。


どうしたいのかな?
離婚はしたくないらしい。