遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

ちょっとした変化。

この2週間あまりのブログを休止した期間で、私が感じたこと思ったこと、
そして変化を少し、ここに綴ろう。

ちょっと進化させたいので、目次を付けてみよう。


ちなみに本記事はほぼほぼ、Wikipediaからの引用で構成されている。
忙しい方がわざわざ時間を割いてまで読まれる必要は一切ない、実につまらない記事だということを最初にお知らせする。

毎日の更新を心がけていたブログを突如、お休みした理由

これは一言で表現するなら『義務感に対する抵抗』だ。
機能している家庭で育った人なら感じることのない感覚を、機能不全家族で育った私だから感じてしまう感覚がいくつも存在する。
ここで少し寄り道。

機能不全家族とは?

機能不全家族(きのうふぜんかぞく、英: Dysfunctional Family)とは、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態を家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)と言われている(英語では family breakdown と表記されている)。
Wikipedia機能不全家族 より引用


ja.wikipedia.org


Wikipediaでは、スティーブン・ファーマーによる機能不全家庭における家庭内の兆候がいくつかあげられている。

・拒絶
・矛盾
・家族への無共感
・家族間の境界線の欠如
・役割の置換
・社会からの孤立
・曖昧なメッセージ
・極端な論争・対立

この8つの兆候は私の育った家庭には、全てみられた。
また、Dan Neuharthが示した、機能不全の要因としての健全でない親の8つの兆候は以下の通り。

・条件付きの愛情
・非尊重
・発言の抑圧
・感情の強制
・嘲笑
・過大なしつけ
・内面の否定
・社会に対する機能不全、または社会からの孤立

この項目についても全てが当てはまる。
そしてさらに彼が説明している、機能不全家庭を引き起こす8つの親のパターンは以下の通りだ。

・窒息(子のアイデンティティーの侵害)
・利用
・虐待
・混乱
・完全主義
・カルト信仰
・剥奪(子の欲するものを奪う)
・精神的な幼稚(虐待を排除しない)


以上については、『カルト信仰』以外の項目が全て当てはまる。
ただし考え方を変えれば、我が家の在り方自体が父を教祖とした『カルト信仰』のような働きがあるのではないか?
そう考えると、全ての項目に当てはまるとも言えるだろう。

機能不全家族とは、「子育て」「団欒」「地域との関わり」といった、一般的に家庭に存在すべきとされる機能が、健全に機能していない家庭の問題を指す。機能不全家族内で育った子供は、機能不全な環境や考え方が当たり前であるかの様に認識して成長するケースが多く、また幼少期の重要な人格形成において愛情を得る機会が非常に乏しい事などにより、自己愛・自尊心、他者への共感、他者の苦しみに対する理解等に欠けた人間にもなりやすい。
Wikipedia機能不全家族>概要 より引用

上の引用から機能不全家族の中で育った子供には「発達障害者」の特徴と近似した傾向がみられる。

発達障害とは?

発達障害については、「どんぐり発達クリニック」の説明が分かりやすかったので引用する。
ちなみに当院と私は、なんの関係もない。

発達障害は、子どもが発達していく過程のどこかに(出生前あるいは幼児期、学童期に)問題が生じてくることを指しています。 さらに、精神病的な症状ではなく、認知(理解、行動する過程)に問題があり、生活・学習上に問題を生じている状態と考えればわかりやすいと思います。発達障害を考えていくためには、こころの発達に及ぼす様々な要因を理解することからはじめなくてはいけないと思っています。
◆ どんぐり発達クリニックHP>発達障害とは より引用

発達障害は、健常な発達段階の重要な要素が遅れて、アンバランスに発達していく、認知の障害と考えられています。我が国で使われている「発達障害」は国際的にはてんかん脳性麻痺、知的障害など器質的な神経疾患について使われていました。そののち、国際的な「発達障害」という用語が拡張され、「軽度発達障害」という言い方で現在使われている「発達障害」にかわりました。我が国独特の使い方でしたが、国際的にも同様の動きがあり、アメリカ精神医学協会のDSM-5(精神障害の統計・診断マニュアル)では、「神経発達障害」とされるようになりました。
◆ どんぐり発達クリニックHP>発達障害とは より引用


www.donguri-clinic.com

こちらのHPの「子どものこころの発達に及ぼす4つの要因」の一つ「発育環境」に、『両親との関わりなど、生後の発育環境(極端な例は虐待、ネグレクト)』と、ある。
虐待やネグレクトは発達障害の要因となるようだ。

発育時に親から虐待やネグレクトを受けた私は、発達障害となる可能性は高いだろう。
そして私の母は重度のアルコール依存症であり、また原家族は機能不全家庭であった。
このような家庭環境で育った私だから、自らを『アダルトチルドレン』と認識している。
他者の育った家庭環境は全くのところ、私には不明である。
私は私の育った環境しか、現実に体験していない。
ここで一つ断言しておく。
私は、同じように育ったと申告する全ての人にこれらのことが当てはまらないことは分かっているし、全ての人に当てはめようとも考えてもいない。
ここではあくまでも私のことについて語っている。
同じように育ったとはいえ、全く同じ環境ではないのだから、あなたと私が違っていて当然なのだ。
同じ家庭に育った私と妹ですら、全く異なった性格と人格を持っている。

アダルトチルドレン(AC)とは?

・親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語で、こちらがもともとの意味である。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である。

・親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと。
Wikipediaアダルトチルドレン より引用

アダルトチルドレン言説の支持者は、当事者が「私はアダルトチルドレンだ」と自己認識することで、その人の「生きにくさ」の感覚、それにともなうさまざまな問題行動からの脱却につながることを期待した。「自分が悪いから現在のすべての苦しみがある」といった低い自尊感情の状態から、「アダルトチルドレンという物語」によって(実際はどうであれ)「悪いのは自分ではなく、親(=機能不全家族)」であると意識を転換することで、その時点で人間観関係に悪い影響を及ぼす自己イメージ(人からどう見られているかという想像)から解放され、ネガティブな自己物語を作り直すことができるだろうと考えた。こうした考え方は、1990年代に台頭した物語療法によって強化されている。癒しのプロセスのあとには、カウンセリング・セラピー文化でよく見られる、「肯定的な人生観を持ち、自分のことが好きであるがゆえに他者も愛することができ、何でも包み隠さずオープンに話して、他者と調和的なコミュニケーションが取れる人物」といった自己肯定感にあふれる自分になることが目指される。
Wikipediaアダルトチルドレン より引用


ja.wikipedia.org

以下はWikipediaから引用する。

アルコール問題家族で育った人(ACOA)の印象の類型

・ヒーロー(英雄)
家族の内外で評価され、家族がさらなる活躍を期待することで、それに過剰に応え続けようとする。自分の活躍で冷えた両親の関係が一時的によくなったりするため、がんばりすぎてしまう。
スケープゴート(いけにえ)
関心を引くために好ましくない行動をとる。一家の負の部分を背負い込まされ、「この子さえいなければ、すべては丸く収まるのではないか」という幻想をほかの家族が抱くことで、家族の崩壊を防ぐ役割となっている。非行に走っているように見えるが、実はこのタイプということもある。ヒーローの逆のタイプ。
・ロスト・ワン(失われた子供、いない子)
目立たず静かにふるまい、普段はほとんど忘れられている。家族の人間関係から距離を取り、心を守るための行動である。
・マスコット、クラン(道化師)
プラケーターの亜種。道化師のような行動で家族間の緊張を和ませる潤滑油的存在で、家族の目を問題からそらす。表層的にはペットのようにかわいがられる。
・プラケーター(慰め役)
家族の中で暗い顔をしているものを慰め助け、カウンセラーのような役をする[38]。
・イネイブラー(支え手、援助者)
家族のほかのメンバーに奉仕することで、自分の問題と向き合うことを避ける。家族の中で親のような役割をするため偽親とも呼ばれ、第一子がこうした役目になることが多く、第一子が別のタイプになった場合はその下の子どもがイネイブラーとなることもよくある。ダメな母親の代わりをすることで、父親と情緒的近親相姦になることもある。
Wikipediaアダルトチルドレン より引用

アダルトチルドレン(ACOD)に特徴的な徴候

医師の竹村道夫は、アダルトチルドレンに特徴的な徴候として以下を挙げている。これらの根拠や、研究・検証の有無は不明である。
・自分の判断に自信がもてない。
・常に他人の賛同と称賛を必要とする。
・自分は他人と違っていると思い込みやすい。
・傷つきやすく、ひきこもりがち。
・孤独感。自己疎外感。
・感情の波が激しい。
・物事を最後までやり遂げることが困難。
・習慣的に嘘をついてしまう。
・罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的。
・過剰に自責的な一方で無責任。
・自己感情の認識、表現、統制が下手。
・自分にはどうにもできないことに過剰反応する。
・世話やきに熱中しやすい。
・必要以上に自己犠牲的。
・物事にのめり込みやすく、方向転換が困難。衝動的、行動的。そのためのトラブルが多い。
・他人に依存的。または逆にきわめて支配的。
・リラックスして楽しむことができない。
Wikipediaアダルトチルドレン より引用

上記にあるACであるが故の認識や感情のいくつかが、私にはある。
またこの原家族との関係で出来上がった、人生を駆り立てるドライバーが私の行動を制御する。
私の心から自由を奪ってゆく。
私に強く働くドライバーは「完全であれ」「急げ」「もっと努力しろ」「他人を喜ばせろ」だ。


他者と関わるとすぐに自分の感情よりも他者に意識が向いて、「自分がしたいこと」よりも「他人がしてほしいであろうこと」を優先してしまいがちになる。
「○○してほしい」などと誰からも意思表示されてもいないのに、「してほしい」であろうことを勝手に想像して、それをしないと不安になるのだ。
そんな私がブログをすれば誰が望んだわけでもないのに、義務感で行動してしまう。
自らで窮屈な決まり事を作り上げて、自らにその務めを果たすことを強制する。

この自ら作り上げる「束縛からの解放」と「気持ちの整理」が、今回のブログお休みの理由。
自分が本心で望むことことを、思いつきや人の影響ではなく、自分自身で改めて考える時間を作ってみた。

私のとってのブログ効果

この2週間で私が感じていたブログ効果を、以下に綴る。
まずはプラス面から。

プラス面

第一のブログ効果

まずはブログのネタ作りのために、「企画」して「行動」して「作り上げる」こと。
これはなんとも楽しい作業だ。
「他人の反響がないと意味がない」と感じてしまうタイプだと、このネタ作り自体を楽しめなくなるだろう。
けれど基本的に自分が楽しいと思えることが重要で、一人遊びが大好きな私にとってはこの上なく楽しめる。
じゃブログをしないでも行動だけすれば良いって?
いやいや、「作り上げる」ことこそが楽しい。
本来、絵を描くのも大好きなのだが、画材を用意して描き上げた後に続く「片付け」が私は嫌い。
筆やパレットを洗わなきゃよね...と考えると好きな絵を描く気にならなくなる無精さ加減に、自分でも呆れる。
その点、ブログは楽しい。
「端末落として終わり」なのだ。
じゃパソコンで描けば良いって?
それは絵ではないでしょ?
筆やペン、画材を使って手で描き上げるのが楽しい。
チョチョイと修正できない。やり直しが効かない。
偶然の発見とか、失敗が成功になったりという仕上がりを計算できない感じも好き。
色を作り上げたり、重ね塗りの意外な効果とかもワクワクする。
あ〜けど、私が端末を使ったのって遥か昔で、ペンタブが無茶苦茶使いづらくて、ムッキーって破壊したくらいの過去だから、今はもっと使いやすくて楽しいかも知れないですな。
そのうち機会があったら試してみるのも良いかも?


って、またまた横道にそれてしまった。
閑話休題

第二のブログ効果

こうやって思いを文字にすることで、自分の気持ちを発見できること。

第三のブログ効果

好きなブロガーさんと繋がれること。

マイナス面

マイナス面ってね、私にとっては何よりも影響を受けすぎることが最大の困りもの。
そして他人がどう思うかを考えすぎて、自ら行動を縛ってしまうこと。
これらのマイナス面は、全てにおいて自分自身の気持ちの問題だ。
実際に誰も私に明らかな要求などしていない。
万が一、要求されても嫌ならば応えなければ良いだけのこと。
これは今後の私自身の大きな課題だ。

これから先、2年コースで申し込んだ「はてなブログPro」登録期間内は長期間ブログから離れたり、中断してしまうことがないように日々、「自分の本心はどうなのか?」「自分はどうしたいのか?」を自らに問いかけ続けて、自分の心に素直に従って行こうと思う。

自分の気持ちに従う訓練の場の一つとして、ブログを活用しようと思っている。
他人の「してほしい」を勝手に想像し始めたら、
「これは誰からも要求されていない」
「要求されたところで応える義務はない」
と、自らに言い聞かせる。

変化は?

私自身の変化は大いにあった。
まず、クレア・ウィークス著の「不安のメカニズム」を読了したこと。
そしてこの2週間あまりの期間で、この本にあることを実践することで、様々なパニック症状が軽減、もしくは激減したことが、私の大きな変化だ。

「不安のメカニズム」の実践

4つの根本原則
・真正面から向き合う
・受け入れる
・浮かんで通り過ぎる〜フローティング〜
・時が経つのに任せる

この4つの根本原則のうち「時が経つのに任せる」以外を実践してみた結果、就労移行支援事業所での緊張や、満員電車内での苦しさが激減した。
興味のある方は図書館でも借りられるので、試しに読んでみてはいかがだろうか?




www.chikumashobo.co.jp