遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

私にとって大切なのは、思い立った瞬間?

1週間に2度、土日はブログの更新をする予定だったけれど、
昨日も一昨日もサボってしまった。
これはどういうことかちょっと考えてみる。


思い起こすに、土曜日がやってくるまでの5日間はブログを更新する日を楽しみにしていた。
何を書こうか?
日々、書きたいことを考えて「書きたい」と思う瞬間が何回もあって、
その思いを溜めていた平日の数日間。
実のところ土曜日がやってくるまでの平日に、朝ブログやちょっとした出来事を書きたくなって、
画像まで撮って下書きまでしたのに何となくアップせずにいた。
この「何となく」は何だったのだろう?


取るに足らぬ内容の、ブログ更新のために時間を費やすのが憚られる。
したいことは山ほどあって、時間を有効に使いたいと思う気持ちが強くて、
それじゃ「有効」って何だろう?


「有効」を考える時間って、何なんだ?
という...。


実際に無駄な時間なんてあるのかな?
思い悩んだり、ぼんやりする時間を無駄という人もいるけれど、
実は当人にとっては必要な時間なんじゃない?


全ての人にとって、時間は有限だ。
その時間をどう使うかは、人によって違う。
55年生きてきた私の時間を今振り返ってみると、無駄だった時なんて一つもないことに気づく。


予定通りの行動を起こすために「したい」ことを抑えて、土曜日まで待ちに待ったはずのブログ更新は、
いよいよ訪れたその瞬間に「ワクワクすること」じゃなくなっていた。


子供の頃から予定や計画を立てるのが大好きな私は、ワクワクしながらせっせと綿密なそれらを作り上げる。
そんな私を見た父によく言われたのが「お前は計画を立てるのが好きだなぁ...しかし殆どが『計画だけ立てて終わり』だよな」
これを言われた時のあの恥ずかしさったら...みるみる赤面していくのが自分でも分かった。


現在の私はGoogleカレンダーアプリを使っているが、これまたこのスケジュールたるや、その細かさに見た人は驚く。
本音を言えば私としてはこのカレンダーは人には見せたくないのだけれど、不意に見られてしまうことが極たまにある。
そうすると大抵の人はそのスケジュール量に、「忙しいんですね」という言葉と共に目を丸くするのだ。


実際にこのスケジュールの内容までを、彼らは把握しない。
ちらっと見えた他人のカレンダーの内容まで、一瞬で把握できる人などいない。


私のGoogleカレンダーには移動手段まで記録されている。
大した予定でなくとも、全てのスケジュールを分刻みで記録するのが私は好きなのだ。
このスケジュール作成に、毎週最低でも2時間は時間を費やしている私。
スケジュールの内容によって色分けも当然している。
そうやってGoogleカレンダーアプリへ入力している際に「時間の無駄遣いをしている」という気持ちになることが多々ある。
それでもこの作業を私はやめられない。


1週間に一度、当週のスケジュールに合わせて事前に目的地まの経路をGoogleマップアプリで調べ、カレンダーに追加する。
カレンダー追加機能はAndroid版のGoogleマップにはないから、 iOS版のGoogleマップアプリ調べる。
この事前の作業をサボり、出かける直前や外出先で調べることになるのが私にとっては苛つきの元となるのだ。
私の一ヶ月のモバイルデータ通信量は、iPadスマホと合わせて1GB以内に納めるように心がけている。
大きなデータ量の通信は、自宅Wi-Fi もしくはdocomo Wi-Fi でしかをしない。
持ち歩く端末は全て機内モードにしており、外出先での不要なデータ通信は一切しない。
この間、万が一電話がかかってきても着信が知らされるから、なんの不自由も感じない。
そんな私がいつでもどこでも即対応しなければならないような重要な電話がかかってくるような人物になった時には、データ通信量を節約する必要もないくらいの収入を得ているだろう。
今の段階ではモバイルデータ通信は、できる限り削りたい出費の第一候補に当たる。


このカレンダー作成作業に費やす時間は、私にとっては一切無駄な時間ではないと、現時点では結論が出ている。


今、スケジュールアラートが鳴った。
判断軸について考える時間だ。


というわけで、一旦このブログは唐突に終了する。
見返していないので、多くの入力ミスが予想される。
気が向いたら修正したい。