遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

徒然なるままに...。

ドキドキしながら、初めてのブログサイトを訪問する。
今日訪ねたのは、10のブログサイト。


それぞれの個性がそれぞれのやり方で、
世界に向けて発信する。


どこの誰とも知らない、
会ったこともない人たち。


なにを思って、
私のブログの読者登録をしてくださったのだろう?
知る由もない。


そしてこれから先、
彼らとなんらかの交流を持つ日は訪れるのだろうか?
繋がりになにかしらの発展はあるのだろうか?


期待しすぎるのはやめにして、
静かにその時を待とう。


不意に昔のブログで出会った人たちを思い出す。
どうしているのかな?
私のこのブログに気づいて、
どこかでこそっと読んでくれていたら嬉しいな...。


できればアクションを起こしてくれたら、
もっともっと嬉しいけれど...。


あの頃の私は今以上に不安定だったから、
一気に読者を解除したりしていたっけ。
そんな私とももう関わるのは懲り懲りと、
思っておられても致し方ないこと。


アメーバーの読者は、された側で解除できた。
読者申請後、された側が承認すると読者になる。


現在は「フォロー」「フォロワー」に変わっている模様。
時代とともに少しずつ変化していくものたち。
そして、変わらぬものってなんだろうな?




さぁ、2020年だ。
’1999年に地球は滅亡する’
ノストラダムスの大予言を信じていた子どもの時代は遥か彼方に遠ざかって、
ここまで先の未来を想像もしなかった今が、
なんでもないようにここにある。


55歳だよ?
信じられる?
そして、もうすぐ56歳になるんだ。


56歳のことなんて考えもしなかったあの頃の私よ、
私は逞しく今を生きているよ。


あなたの描いた未来像とはかけ離れているけれど、
まぁなんていうか幸せだ。


ノストラダムスの大予言を信じていた割には、夢だけはあったよね?
考古学者になりたくて一生懸命勉強していた、小学生のあなた。
詩人になりたくて恥ずかしいポエムをノートに書き綴っていた、中学生のあなた。
なんの未来も夢見なくなった、17歳のあなた。
全てから逃げ出したくて全てを捨てた、22歳のあなた。
新しい人生を結婚にかけた、25歳のあなた。
また新たにやり直そうと決意した、27歳のあなた。


1999年、地球は滅亡しなかったね。
あれから21年。
あの年に生まれた子ども達は、成人を過ぎているんだ。

いやぁ、私はいくつまで生きていると思う?
そんなことを普通に考えるような歳になったよ。


人生は面白い。
いろんな意味でね。


ブログをやっているって、
就労移行支援事業所で話したら、
「自分のアイデアを盗まれないようにしないと」
って言われたよ?


イデア、かぁ...
ふ〜む...


そういえばさ、
昔、とある専門学校に入学したくて、
学校見学に行ったことがあったよね?
あの時の担当者が言ったあの言葉。


「去年、特待生になった男子生徒の面接での、
『僕は僕を作っている』という一言、
あの一言が特待生合格の決め手になったんです」

「え?それって、私、
20年くらい前から飲み屋で言ってますよ?」

「え?そうなんですか?」

「まぁ言葉なんて、そんなものでしょう?」


なんだか、嬉しかったな。
うわぁ出会った!
って、そんな気分になった。


学歴も経歴もごまかしてなんとか入社した小さな広告代理店。
ギリギリでも頑張れる吐け口のひとつは、
新宿2丁目のオカマバーで夢を語ること。


止まり木に座って深夜遅く、
ベロンベロンになるまで酔っ払った私の決め台詞はいつも、
「私は私を作ってるんだ!まだ未完成だけどね」
だった。


どこかの誰かが言い始めたのか、
そんなのは分からない。


言葉は一人歩きして、
どこかの誰かがそれを使う。
使って認められた最初の誰かが、その言葉の勝者だ。


認められたのは、その言葉のおかげだけじゃない。


言葉は誰かが発明するものじゃない。
生まれてくるもの。


どこかで生まれた言葉も、
それを自分のものに出来ればあなたのものになる。
あなただから出来たこと。






迷わず行けよ
行けば分かるさ

さて、この言葉は誰のものでしょう?




私は私の言葉で、
ここに綴ろう。


どこかで聞いたことがあるような言葉が、
私そのものになるいつかの日まで。