遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

穏やかに、静かに、その声は私の執着を溶かす。

就労移行支援事業所の担当スタッフとの電話での会話で、
全て杞憂と明らかになりホッと一息ついている。


ただしこれから先、利用者の誰かが本ブログを目にする可能性もあるから、
来週予定している担当スタッフとの面談の際に、
就労移行支援事業所にふれている記事の内容を確認していただくことにした。


受話器から聞こえる、穏やかで落ち着いた彼女の声を聞いているうちに、
私のブログへの固執が溶けていく。


どこの誰が見るか、全く分からない開かれたブログサイトだ。
プライバシーに関わる事柄について表記するときには、
基本的には私としてはかなり慎重に曖昧な表現を用いて、
どこの誰だか特定されないように仕上げているつもりだ。


しなしながら個人判断だけでは済まされないこともある。
不安要因となるものは信頼のおける誰かに確認してもらえれば、
安心してこれからもブログを楽しむことができる。


どこかの誰かを不安にさせることがないように、
私のページを作り上げてゆこう。


そして感じる私自身の不安も、一つ一つ解消させていく。
こうやって少しずつ相手とも自分にも信頼を重ねて、
人と社会とつながっていきたい。


身の回りで起きる様々な事象を意味付けして連動させてしまう考え癖が、
私にはある。
そしてそれらの物事をプラスとマイナスに種分けして、
マイナスと感じるものを排除しようとする。
必死で見ないようにする。
その極端な考え方が生きづらさの要因なのだ。
これは社会で生きていく上で、大きな妨げとなる。


少しずつ、一つずつ、そういった不要なものを取り除いて、
けれど私らしさは残して、
自己実現をめざす。


私の「イキカタサガシ」は、ようやく始まったばかりだ。
50代で始める新しい生き方は、どんなものになるのだろう。


明日会う約束をしている就労移行支援事業所の、大好きな人たち。
どんな日になるのかな?
できれば好ましい人とグループワークをしたいけれど、
それじゃぁ練習にならないのよね。


どんな状況下にあっても、
ありのままの私でリラックスして過ごせるように、
今は少しだけストレスを与えよう。
生きづらさから解放される、いつかの日を夢見て。