遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

また会おうね。

昨日は放送大学が主催する講演会、「だからこそ人生にyesと言う:心理学者 ウツを生き抜く」に行ってきた。
講師は放送大学教養学部の教授、大山 泰宏氏。
ウツを発症した講師による、実に感動的な講演会だった。

プロフィール
1965年宮崎県に生まれる。1997年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了、博士(教育学)、京都大学高等教育研究開発センター助教授、京都大学大学院教育学研究科准教授を経て、放送大学大学院臨床心理学プログラム教授。専攻は心理臨床学
大山泰宏|プロフィール|HMV&BOOKS online

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こちらの講演会については後日、記事にするかも知れない。
今の時点では「かも知れない」に留めておこう。



さて、本日の本題に入ろう。


放送大学東京文京学習センターで行われた講演会、こちらに出向く前に私はある一人の人物を思い浮かべた。
放送大学文京学習センターは、筑波大学東京キャンパス内にある。
筑波大学と聞いて私の脳裏に浮かんだのは、心理学者である一人の女性だ。
受け入れられる人と受け入れられない人、印象に深く残っていつまでも忘れられない人と、交流した過去があっても全く心に残らず忘れ去ってしまう人がいる。
昨日、「筑波大学」というキーワードですぐに浮かんだ彼女は、もちろん前者だ。
そして、「元気にしているかな?会いたいな」と思ったりした。


茗荷谷の駅に講演の開場時間30分前に到着した私は駅前のカフェドクリエで時間を調整してから、放送大学文京学習センターへ向かった。
受付を済ませて好みの端の席に座る。
そして落ち着く間も無く、斜め左方向に立ち止まった二人の女性が私の視界に入った。
私は中央部の席を開けて左端の席を占拠してしまったから、彼女たちはその奥に入りたいのだろう。
そう思って彼女たちの顔をなんとなく見やるとなんと、その一人は筑波大学というキーワードで浮かび上がったその人だったのだ。
思いがけない再会が、驚嘆から歓喜に変わるまではほんの一瞬だった。


彼女たちは交差点で見かけた私の姿に、もしや?と思っていたようだった。
私は歩くのが早い。
小柄な女性なら到底追いつけない速度で、脇目も振らず目的地へ進むのだ。


「後ろ姿でそうかな?って二人で話してたの。交差点で立ち止まった時に横顔がちらっと見えたけど、確信が持てなかった」
とのこと。
もっともなことだろう、彼女たちと淡い交流があった頃から比べて、現在の私の体重は7Kgほど増加している。
顔が小さいとはよく言われるが、現在の私はそれほど小さな顔とは言えないくらいにふっくらとしている。
その横顔をちらりと垣間見たくらいでは、到底私とは判定できないだろう。


彼女たちとは、とある治療機関で出会った。
今回思い浮かべた彼女は、筑波大学大学院で学んだ過去を持つ。
彼女が通ったのは茨城県つくば市のキャンパスであり、筑波大学とはいえども東京キャンパスの、しかも放送大学が主催する講演会で出会えるとは夢にも思っていなかった。


私の隣に座った彼女たちと久しぶりに交わす挨拶、そして互いに簡単な近況報告を交わした。
講演会が始まると連れの女性の付き添いで会場を訪れた彼女は、すぐに寝息を立て始めた。
もっともなことだろう、新規入学者の獲得を意識したこの講演を、熱心に聞き入るほどの興味を彼女は持てないのだろう。
それでも若干目立ちますぜ?
いつもなら許しがたいそんな不遜な態度も、彼女にならなぜか温かい気持ちになる。
疲れているんだろう、起こしたりせずにそっとしておこう。


そしてこの初心者向き講演会のあと、彼女たちと3人で喫茶店で2時間近くの四方山話。
途中、予定があると退席したお一方をのぞいて、喫茶店からファミレスに場所を変えて更に深い話を。
彼女らと話していると、いつもは奥で身を潜めている私がひょっこり顔を出して、無邪気に自分ができるのだ。
私たちはACと自認している者たちだ。
だから世間に在るとき、それを出すまいとしっかりと鎧で身を固める。
普段なら人前でひっそりと息を潜める私たちのインナーチャイルドが、ここぞとばかりに顔を出して、私たちは傍若無人な無邪気な子どもとなる。


抑圧されて子供らしさを表面化できなかった私たち。
思い残し、甘え残し。
子ども時代にも大人にならなくては生きられならなかった私たちの、押し込められた悪戯心やちょっとした意地悪や大きな喜びや甘えや寂しさ、それらの無邪気をなんの衒いもなく表出できる貴重な時間。
素直にありのままに、その時々でしたいように思うがまま、躾されない無邪気な子どもにかえって、私たちが本来の自分に戻る瞬間。


建前も礼儀も社交辞令も相手への気遣いも、そんなものは全て忘れて私たちは子どもになる。
楽しいんだ。
頭がぐるぐると回転を始める。
ワクワクとドキドキと、興奮でついつい声が高くなる。
次々と話題を変えて、思うままをすぐさに口にする。
笑ったり驚いたり反論したり、それはもう好き放題。
そこが公共の場であることも忘れて、はしゃぐ子どもたち。
時間が経つのが早い。
トイレに立つことも、お腹が空くという感覚も全部忘れて、ただ無邪気に遊ぶことに熱中する。


それでもやがて再び大人に戻る時間は訪れるのだ。
私たちが現在のそれぞれの自分の場所へ帰る、さよならの時間。
別れがたいけれど、いつまでも遊んでいたいけれど、そうも言ってはいられない。
いつだって現実が待っているのだ。


それぞれの場所へ帰るための駅の分岐点に立つとき、私たちは姿勢を正し静かに微笑みを浮かべて、少しだけ気取って軽い会釈を。
名残惜しい気持ちにピリオドを打って、繋いだ手をそっと離して、私は彼女の小さな肩を方向転換させる。
見送られるのが嫌いな私は「私がここで見送るから、気にしないで行ってね」と一言。
彼女はこちらに顔だけ向けて曖昧な笑顔を見せてから、まっすぐと歩き出す。
それから振り返って、照れたように微笑んでから小さく手を振った。
エスカレーターに乗った彼女の姿が、少しずつ消えていく。
見えなくなる刹那で大きく手を振った彼女が完全に見えなくなるまで、私はその場に佇んでいた。
















親から充分な愛情を与えられなかったことによる幼児期の不満や怒りが、子供の心に傷として残ると成長後に不倫や援助交際等の性的逸脱行動や摂食障害を起こす原因になると主張し、これを「思い残し症候群」と命名
岩月謙司 - Wikipedia