遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

怒濤の二日間 ⑴

なにかもう、怒涛の二日間を過ごした。


この怒涛の到来のきっかけとなった出来事は、1月9日に起きた。
私の夫はまぁなんていうか、世間一般的にいうとアルコール依存症予備軍だ。
そんな彼と私が出会ったのは24年前、私が31歳の頃。彼はなんと22歳だった。
彼に初めて会った時、その大人びた落ち着きぶりに27〜28歳くらいかと予想した。
3、4歳年下...ありだな、と判断。
その後、22歳と判明した時の衝撃ったらなかった。
いやもう、こりゃ犯罪だわ...と。
それでも彼に魅かれていた私。
すでに離婚歴もあり、今後も子供を作る気も、再婚も考えていないのだから、「いつかは彼に年相応の彼女ができて、お別れする日が訪れるだろう」と考えて、彼との交際を開始した。
結果的に七年の同棲を経て、2002年に入籍し、現在に至っている。


そして夫となったその人は、私が出会った22歳の頃から24年間、酒を欠かしたことがない。
風邪を引いて寝込んだ時に、二日ほど飲酒しなかったことがあるような気がするが、定かではない。
そんな彼も四十半ばを過ぎた現在、体調不良を感じるにつけ健康診断を受けに重い腰をあげたのは、昨年の十月下旬だったろうか?


良いとは言い難い数値結果と「このまま飲酒を続けると肝硬変になる」と診断され、酒量を彼なりに減らし、食事にも気を配るようになった。
毎日同じものを食べても飽きない人なので、豆とゆで鶏と野菜しか食さなくなって久しい。


そんな夫が突如として朝帰りをしたのは、お正月休みが開けて間もない1月8日だった。
基本的に仕事が終わるのは深夜、朝まで仕事が押すことも珍しくない夫。
このところ夫との距離に気をつけている私はこの日、夫の帰宅を待たずに、午前2時には就寝した。
翌朝午前7時に目覚めると、夫のベッドは空のままだった。


いつもは気に留めない私だが、なぜかこの日は予感がした。
「飲みに行ってるな...」
開けて午前7時45分、LINEで「今度は何ですか?」と送ってみた。
「まだお仕事ですか?」「飲んでいますか?」
ではなく「今度は何ですか?」にしてみたのは、私なりに文面を考えた末のことだ。
そして案の定、いつまでたっても既読にはならなかった。
お酒が入っているときには、LINEを無視する夫。
飲んでいるのだろうと思ってはいても、何かあったのでは? 事故にあったのでは? どこかで倒れているのでは? と、心配になる。
あれこれと考えているうちに、ハッと我に返った。
また夫のことで悩んでいる私に、危機感を覚えた。
また人ごとに巻き込まれている...。


夫のアルコール問題とは少し離れて、私は私の問題と向き合う。
そう決意してから長くない今、私は再び夫の行動で、心配したりイライラしたり悲しくなったり怒りを感じているのだ。
人に感情を乱されるのはこりごり...。


「離婚」「別居」の文字が脳裏をかすめる。
平日の早朝、こんな不安を相談する相手を、私は持たない。


キーワードを「アルコール依存症」「離婚」「別居」と検索バーに入力する。
そしてとあるブログサイトにたどり着いた。
アルコール依存症の夫を持つ妻のブログだった。
そのブログを私は早速、読み進めた。
2018年7月からコツコツと、記事を更新し続けておられるようだ。
いい加減さなど微塵も感じさせない、まっすぐに、時に厳しく夫のアルコール問題と向き合うその姿勢には、「信頼」を感じた。


そして、記事タイトル「まだ我慢していますか?」という記事を読みながら、とめどなく流れる涙。
泣きながら私は、なんの交流もない検索した結果に流れ着いた、初めて訪れるそのブログサイトの記事に、長いコメントを残した。


「はじめまして。
今、どうしたら良いのか、心から迷っています。
私自身が双極性障害者であり、自分自身の取り組みに全力を注がないと、前進できないと思っています。
今の状況から脱出したいのです。
けれど、私が私をすればするほど、彼は孤独を感じるのか、私が嫌だと思うようなことをします。
私はACで共依存、しかも精神障害者なので、私が原因で彼のアルコール依存が悪化するのだろうと思ってしまい自責の念にとらわれます。
大変、苦しいです。
ここ数日、彼との離婚を真剣に考え出すようになり、検索で貴ブログにたどり着きました。」


すぐに反応があろうこともなく、私は悶々とした数時間を過ごした。
そして午前9時を回った時、健康福祉センターに電話を入れたのだ。


電話口で対応してくださったのは以前、私が就労移行支援を受けるに当たり、担当してくださったF氏だった。
彼女の柔らかく落ち着いた声が、私の高まった気持ちを鎮めてゆく。
そして私は、現状と、夫との別居を考えるに至った経緯を話した。
その上で、私のような夫以外に身寄りのない精神に障害を抱える者が、一時的に身を寄せる機関があるかどうかを問い合わせる。
回答は「そのような機関は存在しない」だった。
F氏曰く「DV被害にあわれて生命の危機に関しているのであればシェルターは存在しますが、Mさんの現状では...」
「確かに...私は殴られたりはしないですものね...命を奪われる危険性はない...」
「どなたかお知り合いで頼れそうな方はいらっしゃらないですか?」
「...以前、Fさんにもお話ししましたが、精神障害者である私は母や妹から疎まれています。父が生きていれば、もちろん彼なら助けてくれるでしょう。妹からは『私たちに迷惑をかけないで』とハッキリと言い渡されています。彼女たちとは長く疎遠です。友人...友人は確かにいますが、私は彼らには頼れません。現在の私には夫以外に頼れる人は存在いたしません」
「そう...でしたね...ここは一つ落ち着いていただいて...先ほど、ご主人のアルコール問題の中にあっても、頑張って就労移行支援を続けていらっしゃると伺って、私は良かった、とホッとしました。Mさんの状況下で就労移行支援に通い続けるのは大変な努力ですよ。やめてしまわれても当然なくらいの状況でしょうから...今現在、十月の再就職に向けて努力をなさっているのですから、ここは一つその取り組みに集中していただいて...状況が変わってくれば、その変化に応じて様々な変化が起きます」
「そうですね。そうだ、私、自分のことをしようって決めたんですものね。今、別居や離婚などしたら生活に追われて、就労移行支援も続けられなくなりますよね」
「そうです!その通りです」


そんな経緯があって、私は考えるようになったのだ。
相談相手に、公共機関か面識のないブログしか思い浮かべられない私の現状を。
なんとも心もとない現実を思い知る。


頼る相手を得るためにする努力というのは、なにか不自然で胡散臭い行為と感じられる。
誰かに重く縋るつもりはなくとも、相談できる相手くらい思い浮かべられない交流関係とは如何なものか?
「忙しいだろう」とか、「迷惑なのでは?」と相手を慮っているようで実は、取り残された自分の惨めさを実感するのが怖いから連絡をしないだけなのだ。



懐かしい人たちの笑顔が浮かぶ。
どうしているかな?
元気だろうか?


もっと自分の気持ちに素直に正直に、
大好きな人に連絡してみよう。



そう思って、一年以上連絡の途絶えていた友人二名にLINEしてみた。
返事はすぐに返ってきて、彼らと会う約束を取り交わした。



その約束が1月16日、17日と立て続けに入って、今週は少し忙しくなった。
またそれに夫との関係も絡まって、ややこしいこととなった怒涛の二日間だった。


少し長くなったので、この後の展開は次回。















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