遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

怒濤の二日間 ⑵

そんなんで(って、どんなんだ?)昨日の続き。


時は2020年1月16日(木)。
本日1月19日(日)まで東京ドームで開催している『ふるさと祭り』へ夫と二人、出かけた。

前回の『怒濤の二日間 ⑴』で書いた通り、二人の友人にLINEして会うことになった一人、友人Aのがこの『ふるさと祭り』に出店するため、一年ぶりの上京をしている最中だった。
この友人Aと会うために、ふるさと祭りに行くことになったのだ。

この友人との出会いは、私が発病する前の2001年に遡る。
とある美術学校で、半年遅れて入学した彼と出会ったのが、二十年近く続くこの付き合いの始まりだった。
当時の私はまだ結婚前の夫に夢中で、知り合う友人全てにいずれ夫となる彼を紹介していた。
ほぼほぼ男友達しかいなかった私の周囲の男たちの間で、彼は非常にウケが良かった。
誰もが口を揃えて、「えるよりもMくんの方が断然イイ」とか「えると一緒にいられるなんてデカイ男だ」とか「奇跡のカップル」などと言ったものだ。
そんなんで私がこの時期知り合った全ての男友達は、いずれ夫となるMとそれなりに親しい。
むしろ私との友情は途絶えているものの、夫とは未だLINEのやりとりをしている者まで存在するくらいだ。


思い起こせばあの頃は、私の55年間の人生の中で一番楽しい時代だった。
実に多くの人との出会いがあって、人を信じることや自分のままでいることに戸惑いを持たなくなれた、人間不信の私にとっては貴重な一時期に当たる。
初めて自分で稼いだ学費で入学して唯一卒業できた美術学校、そこで私より一回り年下のAと出会ったのだ。


そういえば、いくつの頃だったかな?
そうあれは二十代前半のいつかの頃、初めての家出の真っ最中だ。
十年前のブログでは十代の頃に家出を繰り返したと設定しているが、実はあれは作り話だ。
十代の頃の私は半ひきこもりで、学校中退を次から次へと繰り返していた。
高校デビューはおろか、22歳デビューというのが奇妙に恥ずかしくて、当時のブログには真実を書くことができなかった、四十代だった私の創作。
私はいくつもの嘘を積み重ねて、ここまで生きてきた。
その全貌を明らかにする日は、いつか訪れるのだろうか?
はてなブログでは、いくつかの真実を打ち明けている。
それでも全ては語っていない。語られたのは極一部のほんのさわりに過ぎない。
未だ語れない過去が、私にはある。
55歳になってものしかかる薄暗いあの日は、私の中では未だ過去になっていないのだろう。


家出してから様々な経験をした後に、初めて自分のマンションを借りて、初めての本当の一人暮らしを始めた新宿区舟町。
そこでよくすれ違う、奇抜なおじいさんがいた。
颯爽と歩くそのスリムな姿は実に印象的で、カッコよかった。
歩いているだけで風が吹く人。
そのおじいさんは、長沢節という戦後の日本ファッション界でかつて一世を風靡した、今は亡きイラストレーターだ。
彼が主催するセツ・モードセミナーは、二十代の私が憧れた学校。
その学校のすぐ近くにマンションを借りたのは、いつかそこへ通いたかったからだ。
セツ・モードセミナーの学費は、通常じゃ考えられないくらいに安い。
その安い学費すら捻出できなかった、当時の私を思い出す。
「頑張ったね、もういいよ、そんなに自分を傷つけるのはやめにして」
ってね、その頃の私を抱きしめてあげたい。

戦後の日本ファッション界に当時としては刺激的なスタイル画で一世を風靡。


長沢節 - Wikipedia


その憧れのセツ・モードセミナー美術科に入学することができたのは、あの頃から十年近い歳月が流れた2000年9月。
2017年4月をもって閉校となった、憧れのあの場所で過ごした数年間は、私の宝物のようなひとときだ。

イラストレーター、広告、出版界、ジャーナリズム、ファッション界、美術界、実業界に多数のクリエーターを輩出し続けている。

セツ・モードセミナー - Wikipedia


思い出に浸るのは、今回はこれにて終了。
さあ、そろそろ昨日の続きに行こうか。


r-elle.hatenablog.com


www.tokyo-dome.co.jp


友人の仕事ぶりをチラ見しつつ、『ふるさと祭り』を楽しんで、友人Aの仕事が終わってから久しぶりに飲む約束をしていた。


約束の前日、ワクワクと『ふるさと祭り』での計画を練る私に、横から夫が口を挟む。
特別企画の『呑んべい横丁』に参加するための「ストラップおちょこ」を購入したがる私への反論が始まる。

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「それ、勿体無いだろ?」
「全然得じゃない」
「ストラップとは別にに1杯100円から200円も取られるんだぞ?そんなのは損だ」
「俺はそれ、いらない」
「どうせ、ふるさと祭りが終わってから飲むだんろ?」
「俺は雰囲気を楽しむだけでイイ」
「ふるさと祭りで飲むのは、前に行った時に飲んだ地ビールだけでイイだろ?俺はあれが飲めたら他はいらない」
「あんなとこ、普段より(価格設定が)高いだろ?」


あー、もうっ!
そりゃまぁ貴方は毎日毎日飲んでばかりいて、こんなイベントで「飲んで楽しむ」ことを特別のこととは思えないのでしょう?
流石にこれは私でも口に出さない。
あくまでも心の声だ。


そして夫への私の反論は、
「一年に一度のお祭りだし、イベントを目一杯楽しみたい」
「勿体無いとか損とか...そんなことばかり言ってたら十分楽しめない」
「元を取るためにお酒をたくさん飲むつもりはないもん、なんだか楽しそうじゃない?ストラップ首にかけて、ちょっとバカみたいにはしゃいぐのって」
「出店している人たちと「おちょこ」の「ちょい飲み」をきっかけに、交わす言葉も面白い」
「そりゃイベント価格だろうけれど、そんなこと言ってケチケチしてたら、ちっとも面白くない」


噛み合わない互いの意見に、どうにもむず痒いような感覚になってくる。
最後の夫の捨て台詞がこうだ。
「俺は別にAと飲めればそれでイイんだ。ふるさと祭りなんて行かなくてもイイ」
「え?そうなの?Aの働く姿が見たいって言ってたじゃない?」
「...」
「私はAの働く姿も見たいし、ふるさと祭りにも行きたい。むしろその後の飲みはなくてもイイもん」
「なんだ、お前、Aと飲みたくないの?」
「明日じゃなくても飲むのは他の日でもイイじゃない?」
「じゃいつ飲むんだ?」
「Aは二十日までは東京にいるでしょ?それまでに飲む機会は私にはあるから。明後日は朝から就労移行支援があるから明日は遅くまで飲みたくないんだ、私は」
「なんだ?明後日早いの?」
「言ったじゃん?」
「...」
「もう...明日は一人で行ってくれば?私は金曜日にSちゃん(LINEで連絡した、もう一人の友人)と一緒に行くから」
「なんだよ、俺一人で行ってイイの?」
「イイよ、別に」
「お前、何かと言うとAのこと『私の友達』って言うだろ?」
「言うよ、だって元々は私の友達じゃん?」
「俺が会うの嫌がるだろ?」
「そりゃどうせなら私も会いたいけど、男同士で話したいこともあるだろうから、そういうのもたまにはイイんじゃないって前に言ったでしょ?」
「...」


こんな調子のこの会話に、なんだか無性に腹が立ってくるわけで、こんな馬鹿げた会話をいつまでもブログに載せる気にはならない。


まぁそんなんで私としては、夫と別行動を取るつもりでいた。
当日の昼頃に目を覚ました夫が、読書をしている私に声をかけた。
「AからLINE来てた」
「ふーん」
「お前、今日行かないの?」
「うん」
「俺、一人で行ってイイの?」
「イイよ」
「お前、どうするの?」
「私は明日でも、土日にでも行けるから」
「なんだよ...」
「あれ?ブーは私と一緒に行きたいの?」
「その方がイイだろ?」
「じゃ私はストラップ買うけど、色々と口出ししないでね?」
「ああ」
「じゃ一緒に行きましょう」


そんな流れで夫と二人で『ふるさと祭り』へ。
この時点で若干の不安は残っていたものの、しっかり釘を刺したつもりでいた私は不安よりもAとの久しぶりの再開に心を弾ませていた。


そしてこの小さな不安は、想定外の波乱となる。
うーん...波乱とまでは呼べないかも、波紋程度かな?


その結末は次回で。


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