遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

一人の夜の過ごし方。番外編 ⑵

r-elle.hatenablog.com

そして、これまたひとりで潰す予定が、早々に一人呑みでなくなった夜の一コマ。


金曜日だった、その夜。
その日は就労移行支援事業所で知り合った女性と、二人きりでお茶をした。就労移行支援事業所で出会った方と二人きりで、かつ事業所以外の場所で過ごすのは初めてで、かなり緊張した数時間ではあった。なかなかにヒヤヒヤする場面もあるにはあったが、そこそこ盛り上がって気づくと20時を回っていた。
そして結果的に21時頃の帰宅となる。


自宅マンションのドアの前で、自宅の鍵を探す。
バッグの中の、いつも鍵を納めている内ポケットの中に鍵が見当たらない。あれ? 不思議に思いつつも、玄関先でゴソゴソしているのが嫌だったから、場所を移動してから改めて鍵を探すが、バッグの中のどこを探っても鍵がないのだ。


焦った。久しぶりに鍵を忘れたしまったようだ。
夫にLINEしてみると、間も無く帰宅は朝4時を過ぎると返信が届いた。
どうしよう...あと7時間近く、何をして時間を潰そうか...。
金曜日である。今日は誰もが誰かと楽しく過ごすであろう、週末の金曜日なのだ。
もしくは自宅でのんびり過ごすやも知れぬ。
それでも夜の街に繰り出しているのは大抵は一人ではなく、誰かと一緒に違いない。


オバさんが一人、ファミレスで時間を潰していたら、なんとも哀れっぽいではないか?
とんでもなく美人だったらいざ知らず、私程度の容姿で金曜日の夜をファミレスで一人ぼっちで過ごすのは忍びない。


再び電車に乗って都心に戻れば、例えばラクーアとか、オバさん一人でも安心して過ごせる場所はある。けれど、ここには、この東京都の外れにはそんな場所など思い浮かばない。


迷った挙句、私はしばらくご無沙汰している、ある居酒屋を思い出した。そこは週末なら朝10時頃までは営業している個人経営の居酒屋で、ゲーム機なども置いてあり、カウンターもあるからひとり客も少なくない。安くて料理もそこそこ旨い。ざっくばらんで居心地が良い。


すっかり足が遠のいたのは、つまり居心地が良すぎて入り浸ってしまうからだ。退職してから私は、飲みに行くのを極力控えている。お金にはキリがあるが、飲みに行くのは制限しなければキリがない。


まぁけど、どれくらい振りだか忘れるほど顔を出していないけれど、ちょっと行ってみようかな?という気持ちになって足を運んだ。
そこで出会った紳士が、実に面白い人だった。
謎の紳士だった。この街を徘徊する人は様々な人々がいる。アル中もいる。地主なんかもいる。


久しぶりにその店の暖簾をくぐると3名の先客、いずれも男性だった。
この店のカウンター席は6席。どこに座るか一瞬悩むと、一人の紳士がこう声をかけてきた。
「こちらになさい。その方が絵になる」
つまり男性客の間に女性客が入った方が「絵になる」と言うのだ。
なんでもない当然のことを言ったまでという風情で、その紳士は静かに微笑む。
私もそれが自然と思い、勧められるままにその席に腰を降ろした。
その居酒屋で一杯やっていると間も無く、その紳士は次の店に私を誘った。
少しも危険を感じなかったので、私はその誘いに応じた。


その紳士が案内したのはスナックだった。
薄暗い店内は、あまり整理整頓されていなかった。
金曜日の22時過ぎ、カウンター席には女性客が2名と男性客が1名、酔い客がカラオケを歌っている。
期待など全くせずに、紳士が指定したカウンター席に着いた。
程なくママの手作りだというビーフシチューが提供される。

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艶々と輝くブラウンソースに生クリームの白とグリーン、ビジュアル的には美味しそう。口に入れると、ちょっと濃いめの味付けが酒のつまみには程よい。お肉の臭みも全くなくて、実に柔らかく煮込まれている。
東京の外れにあるスナックとは思えない出来栄えに正直驚いて、ママを改めて窺い見る。


年の頃は七十代だとか…それでもかつての美貌がそこにくっきりと残っていた。
目鼻立ちのはっきりとした日本人離れした顔立ち。
聞けば、かつては銀座のクラブでナンバーワンの座の、人気ホステスだったという。
身のこなしもスマートで、着物ならより一層小粋に着こなしてしまいそう。
背筋がしゃんとしていて、気配りも素晴らしい。



ビーフシチューを食べ終わる頃に、お通し二品が並ぶ。
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大根と人参のなます。
美しく千切りされて酢加減も絶妙。
レンコンともやしのきんぴら。
もやしのシャキシャキ感を残しながらも確りと味がしみている。


そして、デザートの苺。
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こちらは大きくて香り高い、ちゃんとした苺。
何もかけなくても十分に甘い。


最後に提供してくださったのが、手作りのおかき。

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そりゃもう揚げたての、カリカリのサクサク。
お醤油の芳ばしい香りと塩加減が丁度良くて、ゴリゴリした部分はどこにもなくて、こんな美味しい手作りのおかきは初めて食べた。
有名どころの市販のおかきより、何倍も美味しいのじゃない?


それにしてもこの謎の紳士、何者なんだろう?
定年を迎えてはいるとのことだが、平日の午前中だけ運転手付きの車で営業をしているとの話だった。
その人はごく普通に、バーバリーのムートンを着ていた。
腕時計は袖の下に隠れてサイドしか見えないが、おそらくホイヤーと思われる。
ちょっとジーマンズ気味だけど、自慢の仕方が下品じゃない。
然りげ無く豪華旅の話をぶっこんで来たりするのも、嫌味じゃない。
私の着ていたムートンを「タヌキ」とすぐに言ってのけた。
よく見ずに男性でこれを当てた人は初めて。
女性でも本物か偽物かの検討のつかない人が大勢いる。


どうやら独身の模様。なぜだろう?
話していると、ちょっと頑固で強引な部分はありそう。それでも独身でいるほどの変人っぷりは見られない。
ものすごく興味が湧いた。


その紳士と数軒はしご酒をしてから別れた。
毎週金曜日には、そのスナックで一人で飲むんですと。


来週あたり行ってみようかな、と思ったりもする。