遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

終焉

今朝ふと気づいたのだけれど、縁のある宗派がなんだかすごいことになっている。
まず父の育った寺が曹洞宗で、父方の菩提寺曹洞宗
伯父の一人息子が婿入りした先は、代々のクリスチャン一家。
夫の生家の宗派は浄土真宗で、夫の兄が婿入りした寺は真言宗


信仰心の薄い日本人ですから、驚くほどのことでもないのでしょうが...。


昨日、伯父と15年ぶりで電話で話をした。
父の七回忌で会って以来、長く疎遠だった。


父の七回忌のときに「これでY美ちゃんたちと会うこともなくなるだろうから」と言われたときになんと返してよいのか分からなくて、言葉が出てこなかった。
ただ黙って頷いただけの別れ。


その後、長男の婿入りした横浜の家に同居することとなった伯父の転居先住所も電話番号も知らずに、長い年月が過ぎた。
昨朝の瞑想中に、伯父の顔が思い浮かんだ。
もうこの世の人ではなくなっているかも知れない。
思い立って父の育った寺に電話をかけてみた。
寺の住職であるKおじさんはとうの昔の世を去っていて、その一人息子も30代で他界したのだと聞いた。
残されたお嫁さんが婿をとったのだと。
現在修行中の長男がこの寺の跡取りとなる予定だという。
この長男が私と血の繋がりがあるのか、婿養子との間に生まれた全くの他人なのか、あえて確認することはしなかった。


この寺には私の血縁関係者が、一人もいなくなったのかも知れない。
それでも私と同年代のお嫁さんは忙しい最中に手を尽くしてくださって、伯父の現住所と連絡先を知らせてくれた。


そして15年ぶりに受話器から聞こえる伯父の声は、以前と変わらなかった。
今年で91歳を迎えたのだという。
コロナが収束したら会いに行く約束をして、受話器を置いた。


どうやら私の親族はこれから先、命が繋がっていく気配がない。
伯父には孫が出来なかったようだし、私の甥たちも結婚願望は皆無のようだ。



深い血縁関係が消えゆくことに、寂しさよりも安らぎを覚えるのはどういうことだろう。
なにかホッとしてしまうんだよ。