遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

愚直。

今回のテーラワーダ仏教協会を巡るヴィパッサナー瞑想の件で、
私は二つの物語を思い出した。


一つ目は、1986年にアニメーション映画化され、日本では1987年に公開された、
風が吹くとき」。

風が吹くとき

あらすじ

老夫婦のジムとヒルダは、イギリスの片田舎で年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、東西陣営による戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意やシェルターの作成といった準備を始める。


そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。

風が吹くとき - Wikipedia



テーラワーダ仏教協会曰く瞑想で解脱を得るには、ある能力が必要であるという。
これは誰もが持つ能力ではないのだと、彼はさらりと言ってのける。
「何にでも裏がある」と、彼はここで笑いながら打ち明けている。

2020年9月13日にYouTubeで配信された「スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会」で、彼はそう語っている。


しかしながら、この協会でのやり方を考えれば、今後上手く編集してしまう可能性は大いにある。
公式ホームページの改ざんなどはお手の物だ。
自分たちを守るためなら何でもする。
それをお釈迦様はお許しになるのだろうか?


※リンクしていたYouTube動画が、更新当初に懸念していた通り編集しなおされているようなので、こちらのリンクは削除した。話の内容自体変わっている可能性もあるが、観る気にならないので本記事の内容と辻褄の合わない可能性もあるのを、ご留意いただきたい(2020年9月27日/11:54)


ここで彼は特定の人物を指して語っていることがある。
それが誰に向けられたメッセージなのかは、明らかではない。


自我の強すぎる人間には覚りが開けない。
だからこそ自我を捨てるための修行が必要であり、
この修行の完成には出家する必要がある。
しかしきつい修行が必要な出家には、身体障害者精神障害者は到底耐えられない。
選ばれし我々のような特殊能力が必要なのだと。
そうやって上から目線で解く彼は、お釈迦様の禁じている嘘を重ねて、重ねて、果たして涅槃につくことができるのだろうか?
幾人の人々が、彼の言葉に傷つけられたろう?


どんなことをしてもサンガに入れば、特別待遇が得られるとでも?


その特殊能力がなんであるのかを、私はその後で知ることとなる。
その能力については、私が師匠としたS氏から聞くこととなった。
そして知った、生まれて物心がついた時には、私にはこの能力があったという事実を。
この能力が特殊なものだと、私は長く気づいていなかった。
だって目をつぶった時のその状態以外を知らないのだから、それが普通だと誰もが思うだろう?
誰かと比較など出来ないのだから。
だからこそ簡単に「禅定」に入れたのだ。
精神の弱い私が生きて行く上で、苦行のような状況下で自然と禅定状態になったことが過去三度ある。
その状態は周囲から見れば「気が触れた」状態にしか見えないのだ。


幻聴幻覚?
そう、それは見えるんだよ。
それは聞こえるんだ。
何故って?
どんなものかって?
それは、その状態を知っている人にしか理解できない。


そしてね、私が何故ここまで必死になってヴィパッサナー瞑想を続けて来れたのか?
心の奥にある密かな願いを、私は誰にも打ち明けていなかった。
何故って?
そんなことをペラペラ喋ってもさ、綺麗事にしか聞こえないと思うよ?
普通ならこの考えは、トチ狂っている。


私は私と同じ境遇の人たち、
精神病と診断され、薬を飲まなくては普通の生活を送れなくなった人たち、
彼らを思わずにはいられないんだ。
そこには常に再発の恐れがあり、再発しないための沢山の制約がある。
私は56歳だ。
すでに人生の折り返し地点は過ぎて、残り時間はそう長くはない。
次の世代の人たちが、薬漬けで100%の能力が発揮できなくならないような、
薬物治療以外の成功例が増えれば、能力を発揮できる人も増えるんじゃない?


今思えば、なんて単純で愚かな…。


この数ヶ月の間、途中で何度も何度も、ヴィパッサナー瞑想を投げ出したくなった時がある。
だって案外、大変なんだ。
毎日毎日3時間も、長い時には6時間も、瞑想を続けることは、精神の軟弱な私にはただならないものだった。
時に瞑想をするのが精神的に、肉体的にキツくなって、瞑想を休みたくなることはしばしばあった。
そんな時に私はいつだって、まだ出会ったことのない彼らの顔を思い浮かべた。


今日もどこかで「助けて」と心の奥で叫んでいる、大勢の子供たち、子供以外にも今苦しんでいる人たち、それからこれから生まれてくる子供たち。
誰もが自分の持つ能力を思う存分発揮できるような、そんな世界を。
精神状態が悪化して、たとえ私が精神病院へ入院することになっても構わないと思った。


睡眠導入剤をやめて、リーマスもやめて、
頭痛が酷くて、頭が締め付けられそうなとき。
眠れなくて、再発するんじゃないかと恐ろしくなるとき。
そんな時に彼らの顔を思い浮かべる。
そうすれば頑張れるんだ。
頑張れたんだ。


どうしても動けない時もあった。
それでもまた、諦めないで続けた。


けどね?
けれど、どんなに瞑想で努力したって、特定の人にしかその能力は現れないんだって?
それじゃぁさ、私は今までみたいには頑張れないかも知れないよ?
だって、だってだよ?
自分だけが、そこから抜け出せる?


あの僧侶たちみたいにさ、自分たちには特殊な能力が備わっているからってね?
あぐらかいて人に偉そうに説教たれてさ、
そうやって人から搾取した布施によってご飯を食べて?


お釈迦様は、そんな人だったの?
きっと違うと私は思う。
いや絶対に違うよ。
そしてさ、お釈迦様が他宗教をあんな風に批判をすると思う?
重箱の隅をつつくようにさ、人の大切なものを壊すと思う?
私は、そうは思わない。
誰もが、どんな人もが、手をつなぎ合って、優しい気持ちを持って、
憎しみも悲しみもない、そんな世界を夢見たのじゃないのかな?


けど、日本テーラワーダ仏教協会のやっていることは何なのさ?
そんな疑問の中で、瞑想との繋がりは師匠と仰いだS氏だけだったんだ。


ここまで書いた時にS氏から、私の携帯電話に電話をいただいた。
その電話で私は、「Sさんが信じられなくなってしまったから、講習には参加できません」と伝えた。
昨日の13時に私は、ZoomでS氏に質問をする時間を作っていただいていた。
S氏から昨日連絡があり、急遽自宅のネット回線が繋がらなくなり、Zoomが利用できないという知らせだった。
まぁ、そんなこともあるだろう。
けれどネット回線不可となったため、通常使用しているメールが使えなくなったということで届いた、S氏のdocomoメールアドレス宛への返信は、アドレス不明で配信されなかった。


S氏から再び、ネット復旧の知らせが届いたのは、昨日の19:32だった。
私にはS氏に、どうしても聞いておきたいことがあった。
これは私にとっては重要なことだからメールではなく、S氏のお顔を見ながらその回答を得たかった。
その質問はS氏の、日本テーラワーダ仏教協会との関係だ。
S氏の日本テーラワーダ仏教協会への見解だ。
忌憚なき意見だ。


それを明確にしなくては、私はS氏を心から信頼できない。
信頼できない人を師匠と仰げない。
今の状況では、師弟関係を続けられない。



あのスマナサーラ長老がYouTubeにあげたヴィパッサナー瞑想方法を、私は信じて信じて、ただ黙々とそれを続けた。
蓋を開けてみれば、重要なのはサマタ瞑想であり、そのサマタ瞑想で得られる禅定に必要なのは特殊能力ですって?
何故それほど重要な事実を、隠す必要があるの?
一体、何人の人たちが愚直に瞑想を続けたの?
その人たちの中にはどんなに努力しても、その能力を得られない人もいるのでしょう?


どう考えてもおかしな話じゃない?
そんな詐欺行為のようなことを、そう易々と納得なんかできいない。




『風が吹くとき』日本版劇場予告編


このアニメを私は、30代の頃に夫と二人で観ている。
政府を信じ続ける、心優しき老夫婦の姿は、美しくもなんとも切ない。
このように怪しいものの存在すらも、信じ続けられる清い心を、56歳もなった私は未だに持てずにいる。


もう一つの物語は、もう少し心が癒えてから。




読み直す気力が残っていない。
誤字脱字誤った表現が、続出している可能性は大だ。




では、また。