遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

知ってるよ?

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普通ならなんということもなく、至極平然と出来てしまうことが、何故か出来ない人がいる。
しないのか、出来ないのか?
それはきっと、当人にもよく分からない。


周囲の当たり前の大人たち目から見ると、いい加減で単にだらしのない全くもってダメな子どもと映るだろ。
例えば勉強や宿題などであれば、大抵の子どもたちがそれほど楽しいとは思わずに、仕方なくすることだし、
前日に翌日の準備をしておくことなんていうのも、子どもたちにとっては実に面倒くさい作業だ。


けれどもっと簡単でほんの数分でちょちょいと出来てしまうような、
けれどもそれをしないとある意味命取りになるような、
将来や未来がかかっているような、
重要なことをしない(出来ない?)子どもたちがいる。


あやふやな表現で大変申し訳ないが、残念ながら詳細には語れない…。
例えばその子は親の虐待から逃れるために、施設で暮らす子どもだったりする。


信ずるべき親から、頼るべく親から、愛されるであろう親から受ける虐待は、その子どもの大切な何かを壊す。
一度壊れてしまったその大切な何かが、完全に完璧に修復されることはおそらくないのだろう。


周りの大人たちが、どれほど手を尽くしても、子どもにとっての親は世界に二人しかいない。
どれほど親身になったところで、彼らを、彼ら自身をこの世に生み出した人ではない。
親にすら愛されることのない、何の価値もない、生まれてこなければよかった自分などに、知らない誰かが施す親切や愛情を、なんだか嘘くさく感じてしまう。
かつて与えられなかった未知のぬくぬくしたそれらを、素直に受け止めるだけの心が彼らには育っていないのだ。


何故、この知らない人たちは、私に親切にするのだろう?
その親切の代わりに、私から何かを奪うのではないか?
信じてしまったその直後に、掌返しをくわされるのではないか?


ぽっかりと口を空けた目の前の真っ黒な穴は、いつだってそこに落ちるために、常にそこに存在する。
信じちゃいけない。
期待しちゃいけない。


それらはすべて罠だ。


そうやって彼らは、いつまでたっても明るい場所に背を向ける。


けれどいつだって心の奥では叫んでる。


助けて、ここから連れ出して。
誰か、だれか助けて!


その声は届かない?


届かないよ?
きちんと声に出さなくちゃね。


たくさんのモノを見た、その二つの目で見極めて。
目を背けてただ逃げ出すのはもうやめにして、
真っ直ぐ見つめてごらん。
真実が見えてくる。


そしてね、どうか怖がらないで。
その大人たちをもう一度信じてみて。


大丈夫さ、また裏切られたとしてもね、
生きていればそのうち出会えるさ。


歩かなくちゃ。
さあ前を向いて歩こう。



ほら勇気を出して、









行ってらっしゃい。





行ってきます。