遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

男と女と父と娘と---追記。

前回の記事に少し分かりづらい表現があったので、追記します。

いずれにしても私は、男性脳寄りらしい。 そんな私が実は様々な数値を気にかけながら、それを明らかにしないのはおそらく、 性役割があるのではないかと推測する。 数字が強いのは、男っぽい。 数字を気にするのは女らしくない。 という刷り込みによるのではないか? 私は55年間、女性として生きてきた故に、女性の役割分担や女性性、女性らしさを強いられ、染み付いてしまった部分があるのだろう。

男と女と父と娘と。 - 遠い箱


こちらの記事です。
確かに誤解を招く表現かも知れませんね。

私がご説明するよりもWikipediaで『性別役割分業』と『ジェンダー』を見つけたので、そちらを引用します。



ja.wikipedia.org


日本では「男は仕事、女は家事・育児・買物(男は妻子を養い、女は家庭を守る)」という分業を主とする。また、その逆も存在する[1]。自営業や農業などは家内労働であるため、こうした役割分担の概念は必ずしも当てはまらない。また、これらとはまったく異なる分業も含む概念である。近年ではここから敷衍して、社会全体としての男性、女性の生き方(生計の立て方)に関する文脈でも用いられるようになっており、やや混同も見られる。

日本での性別役割分業は、社会に「家」が確立した中世から存在する。中世日本では、夫は「家」の対外的な活動を分担し、妻は「家」の中の活動を分担した。武家及び公家の「家」では、職を帯びて仕事を果たし、収入を確保したのは夫であり、妻は収入をやりくりして、夫の仕事を支えたり、育児・家事全般の家政を差配した。一方、庶民では、名主職などの対外的職を帯びて租税を負担し収入の道を確保するのは夫で、家政は妻という形に、分担されていた。

戦後、明治民法において制定された家制度が廃止され、高度経済成長期に、夫は仕事に出かけ妻は育児・家事・買物に専念して家庭づくりに励む、といった核家族のイメージが広く一般化した。企業の賃金体系も妻子を養う世代の男性に比較的手厚いものになっていた。

最近になって中世における日本における女性の役割への評価も見直しが進み女性の社会進出もある程度進んでいたという見方が広まりつつある。
Wikipedia>『性別役割分業』より



ja.wikipedia.org


ジェンダーとは、ある社会において、生物学的男性ないし女性にとってふさわしいと考えられている役割・思考・行動・表象全般を指す。男性にとっては男らしさであり、女性にとっては女らしさである。

男らしさや女らしさとは、本来、生物的な男性・女性が社会的にいかにあるべきか、という価値観の問題である。
Wikipedia>『ジェンダー』より


昭和一桁生まれの九州の士族出身の父は男尊女卑の傾向が強く、「男子は斯くあるべし」「女は三歩下がって歩くべし」を地で行くような人だったので、幼い頃から私はそういう父を観て、また父も私に厳しくそのように育つよう躾けようとしました。


令和となった現代ではなんとも馬鹿らしい考え方ですが、何かというと父は「世が世ならば」などと言い出す人でしたので、そんな時代錯誤も甚だしい家庭で育った私には、ごく普通に刷り込まれてきた「女のあるべき姿」が染み付いてしまっているのです。