遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

マインドコントロール

1990年代に起きた一連のあの事件で、「解脱」という響に浮かぶ偏見と危機感はただならない。
若い人には現実味のないあれらの事件から、宗教に感じる胡散臭さは私たちの世代では笑い話にすらならない。
そんなんで「解脱を目指す」などとは、軽々しくは口にできない。



「解脱」と耳にしただけで、ちょっと緊張したりするのは神経質に過ぎるのかもしれない。
もう10年以上前になるが、あの宗教団体の踊りの振り付けをしたという女性と知り合ったことがある。
その当時は既に彼女は、どこにでも居る普通のおばさんにしか見えなかったけれど、ご当人の話ではダンサーを目指していた若い頃は人目をひく美人(本人談)で、教団内でも特別な存在であったという。


事件が明るみになって教祖が逮捕される直前に、教団施設から逃げ出した時の、彼女の体験談を聞いた。
なかなかに緊張感のある話で、聞いているだけでドキドキした。
驚きをあらわにしないよう注意しつつ平然とした態度で最後まで話を聞き終えたものの、話を聞きながら一刻も早く彼女と別行動をとりたいと心から願った。
「さよなら、また」という挨拶をした瞬間の開放感、あの安堵感は今でも鮮明に思い出すことができるくらい、緊張した数時間だった。


その後、彼女と普通に付き合うことは出来なかった。
事件から長い年月が過ぎているとはいえ、感じる恐怖は否めない。
彼女は何の犯罪も犯していない。
けれど一連の犯行が明らみになる前から、あの教団の行動は一種異様だったのだ。
そんな教団に入信してしまう人というのは、やはりちょっと異様な気がする。
そんな教団に少しでも不信を感じれば、洗脳されるほど近づかないのではないか?


あの時の彼女は出会ったばかりの何も知らない私に、自ら進んでこの話を語った。
大して親しくもない私に、そんな大変な話をしたのは何故だろう?
秘密にしておけば、どうという特色もない普通のおばさんである自分を、特別な存在と知って欲しかったのか?


彼女はこうも言った。
「あの教団と出会わなければ、私はどんな人生を送っていたかなって、たまに思うの。
有名なダンサーになって世界的に活躍していたかもしれないし、普通に結婚して今頃は孫に囲まれた平凡だけれど幸せな人生を送っていたかもしれない。
少なくとも独身で頼る人もいなくて、たった一人で惨めでつまらない人生を送ってはいなかったと思う」


どう考えたところで全ては彼女の妄想に過ぎず、現実はただ一つしかない。


他人のことはよく見える。
けれど私だってそう変わりはないだろう。

立派な両親だったら?
せめて普通の親だったら?
愛されて大切に育てられたら?
母がアルコール依存症でなければ?
父が家庭を大切にする人だったら?


だったら精神を病まなかった?


それは誰にも分からない。
今の私には、この人生しかない。


誰だって少しずつ洗脳されている。
社会からマインドコントロールされている。
社会の歯車であることを強要されている。
輪廻の渦に巻き込まれて、永遠に転生し続ける歯車。


養子に出される前の父の名字は、十六藤の一つだった。
養子に出された先は、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏、佐々木氏流が名字の由来。
父は母に向かって、偉そうにこう言った。
「世が世ならば(俺様は)、お前のような平民となど結婚する身分じゃない」


夫の長兄が婿入りした一族は自分らの出自は明かさぬまま上から目線で密教を尊び、弟嫁を千葉出身と思い込んで漁師の出と蔑む。
武士の出という夫の母は満鉄勤めだった父が自慢で、自分の嫁ぎ先を農家の出と嘲る。
卑しい人ほど自慢話ばかりで、勝手な想像で人を見下す?


こんな風に考える私の心は真っ黒で、汚れているに違いない。


どこまでも澄んでいる仏陀の心には、きっと誰もが憧れるだろう。
そうありたいと願うだろう。


道元は?
最澄は?
栄西は?
親鸞は?





仏教を知ったとき、彼らの心は澄んでいたのかな?
純粋に仏の道を信じたのかな?
絡む政治をどう捉えていたのだろう?


心から人の幸せを祈ったのかな?
ちらりとでも出世欲が浮かんだのかな?


お釈迦様よりも優れた人など、そう簡単には現れない。
それでも心からお釈迦様を信じて、少しでも近づきたいと願う人はいるだろう。


清らかな心になりたいな。
なれたなら、いいなぁ。