遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

迷い道、惑い道。

このところ、どうも父や母、妹や甥たち、伯父や従兄弟たちのことが思い出されて仕方がない。
特に思い出すのは20年以上も昔に他界した父のことで、つい思いにとらわれてしまう。
父の生い立ちを考えると、なにやら悲しくなってしまって、かわいそうでならなくなる。
連鎖的に母や妹のことも思い出して、これまた彼女たちの苦しみを考えると悲しくってやるせなくなる。


あまり悲しむとね、ちょっと頭が痛くなる。
頭が締め付けられるような感じになって、涙が止まらなくなる。


そんなんであまり深い悲しみにとらわれないように、瞑想を一所懸命やっている。


忘れていた子供の頃のことも、思い出すんだな。
これはなかなかに楽しい思い出たちなんだけど、だからこそちょっと切なくなる。
あのしっちゃかめっちゃかだった我が家にも、楽しくて幸せで平和な頃があったのよねって思うと、人間の悲しさっていうかなぁ...。


思い出したのは小さな私が父に習って、お経を読んでいたこと。
最近になって曹洞宗のホームページにお経のページがあることを知ったのだけれど、そこで曹洞宗のお経が聞ける。
幼い私が読んでいたのは「般若心教」と修証義の第一章「総序」。
小さな私はもちろんお経の意味など分からなくて、ただ言葉の転がり方が面白くて仕方なかった。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、とかね。
ぼーじーそわか、とかね。
笑いながら唱えるものだから、父に「一つ一つの漢字にはきちんと意味があるんだぞ」って言われたのを思い出した。
色即是空。空即是色。
このことの意味を父は説明してくれたけれど、当然ながら小さな私にはよく理解できなかった。
ただなんていうか、父の遠くを見るような、なんだかぽかんとしたような、ちょっと悲しそうな顔に、ふざけないできちんと真剣に聞かなくちゃと思った。
あの頃父はまだ30代だったのよね...若かったんだなぁ...。


これはまだ、我が家が平穏な頃のお話。


その後、妻のアルコール問題に翻弄されて苦しんで、それでも自らもお酒をやめらない、つい女性に走ってしまう己の弱さを父はどう考えていたのだろう。


自室に閉じこもって生気を失っていく長女を見るにつけ、彼は自分を責めたろうか?
こんなはずじゃなかったのに、と悔やんだろうか?


一時期ぱったりと読まなくなったお経を再び読むようになった父は、けれど、第三章の「受戒入位」を避けていたように思う。
どんなに後悔して懺悔をしてみても、彼はお酒と女をやめられないのだ。
自分の不甲斐なさを責めて、辛くて苦しくて、耐えきれずに酒を飲む。
優しく慰めてくれる温かい女を探す。
逃げて逃げて逃げて、彼は逃げきれたのだろうか?







死に捕まった瞬間、彼の脳裏にはなにが浮かんだろう?



苦痛で寄せた眉間と、あの何か恐ろしいものを目にしたような死の瞬間の父の形相を思い出す。
思い出して悲しんだとて、なんの解決にもならない。
父がこれ以上苦しまないように、私は前を向いて正しい道を歩もう。


過ぎ去った悲しみにとらわれてはいられない。
さて、そろそろ今日の自分のことをしよう。