遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

信じてくれてたんだ?

4日間の連休明けの朝はちょっと憂鬱。
雨模様だしね。


すっかり早寝早起きが定着して、これはもう本当に気持ちが良い。
どんなお天気だって、早起きすれば憂鬱を緩和するための対策がいろいろ試せる。

深夜に帰宅した夫に、
「Tの評判をググったら、なんだか危険だって書いてあった…きちんと調べなくちゃだよね。ブログにたくさん宣伝みたいの書いちゃったから...読んで信じて酷いことになった人がいたらって思うと…」
「後悔しても仕方ない」
「うん…なんなんだろ?なんであんなのが」
「自分が一度でも心から信じたものを悪く言うものじゃない」
「あれ?イイこと言うね?」
「いつもだ」
「ふーん」
「俺はいろいろ分かってるからな」
「うわっエラそー」
「エライんだ」
「はいはい、じゃTのことも危ないって分かってたの?」
「もちろん分かってた」
「え?じゃなんで言わないのよ?」
「そのうち気づくって分かってたから」


…そうなんだ。
そして今日の夫のオススメソングは、


窓を開けよう/THE HOUSTONS 【修正版】


“ どこにも行けない人がいる
誰にもあえない僕だよ

いらないものばかり手に入れてしまった
どこへ捨てようか少し勇気を出そう

窓を開けよう 窓を開けよう
窓を開けよう 窓を開けよう

両手を広げてこぼれない分だけしか
望んじゃいけない 
欲しいがっちゃいけない

いらないものばかり欲しがってしまった
誰に謝ろうか少し勇気を出そう

涙がこぼれて止まらない
幸せがそこで手を振ってる
両手を広げてつかむはずの幸せ

窓を開けよう 窓を開けよう
窓を開けよう 窓を開けよう ”




今日の朝ソングは、
THE HOUSTONSの「窓を開けよう」


朝ソングは今後、私の選曲で更新されることはないだろう。
夫のオススメソングがあれば、更新しようと思う。


あれってけっこう手間と時間のかかる作業だったのよね...。
朝の忙しい時間に、あれを続けていくのは至難の技。
事前に作り置きはしたくなかったんだ。
その日の朝の気分やお天気で、選曲したかったから。


会いたくない人の顔を思い出して憂鬱を深めるよりも、
会いたい人の笑顔を思い浮かべて楽しい気分で支度に取り掛かろう。


今朝はシャワーも朝ご飯も済ませてしまったから、
あとはゆっくりと珈琲を飲みながら、お気に入りのあの曲を聴こう。



今日の予定は?
お仕事?
学校?
お出かけ?
何時には家を出る?
もう家を出た?
それとも帰る途中かな?
帰宅してこれから眠りに就く人もいるし、
特に外出の予定のない人もいる。



なにはともあれ、
新しい一日へ、





行ってらっしゃい。





行ってきます。




















そうだったんだ。

最初の結婚にケリをつけて初めて就職した企業は、
なかなかにブラックでワーカーホリックに陥った私の平均睡眠時間は1日2時間程度だった。
幻覚妄想が起きて、初めて精神病院へ入院することとなる。


その企業は小さな広告代理店で、私がしていたのは企画営業。
クライアントはレコード会社だった。
音楽好きの私は、レコード会社の若いプロモーターたちと、純粋に音楽の話をするのが楽しくて仕方なかった。
若いプロモーターたちは誰もが有名大学を卒業している人たちで、学歴詐称していなければ入社できなかった小さな広告代理店で働く私には別世界の人たちでもあった。
時代の最前線でワクワクキラキラしている彼らは、眩しくもあった。
少しずつ中堅の音楽業界のプロの人たちと接する機会が増えるようになって、大好きな音楽が経済化される裏側を垣間見た私は、音楽に不純性を感じるようになっていった。


精神病院退院後、仕事を失った私に、今は大手になったとあるプロダクションの社員からマネージャーをやってみないかと誘いを受けた。
音楽に不純性を感じていた当時の私は、その誘いを断った。


今の夫と出会うまで、私は音楽を一切聞かなくなっていた。
どんな時も音楽を聞いていた私の耳から、ヘッドフォンが消えた時代。


音楽好きの夫と出会って、私は再び音楽を聞くようになった。
音楽業界の裏側なんて私には関係のない世界に戻って、私は音を純粋に楽しめるようになっていった。


音楽を再び聞かなくなってから、音楽を聞く夫の流れくる音が不快で、耳栓をするようになった。
夜中であれば、イヤホンで聞いて欲しいとお願いもした。


午前3時頃に帰宅した夫の物音で目が覚めた私は、キッチンの換気扇付近でタバコを吸っている夫に「Tはやめたよ」と話した。
「ふーん」と夫。
「けど、お釈迦様のことは信じる」
「うん?」
「いろんなところにお釈迦様の教えが転がってると思うんだよね、これからはそれを拾い集めるんだぁ」
「うん」


のんびりとした顔つきでチビリチビリと日本酒を飲む夫の横で、私はタバコを一本吹かす。
静かな時間が流れていく。


少し経って夫が、iPhoneで音楽を鳴らし始めた。

「これ、いい詩なんだよなぁ」
聴きながら涙がポロポロ流れた。




あの娘の神様


“ あの娘は僕より 信じられるものを
見つけたらしい 秋が深まるころ
僕は今までと ほとんど変わらない
毎日の中で 君の神様を恨むよ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
しらけた僕は恋人をうばわれただけ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
何をうばったか気にも止めないほど

僕はあいにく 光感じない
毎日の中で 君の神様を恨むよ
君の感性を恨むよ
君の教祖様を恨むよ
この世の奇跡を恨むよ ”




今日の朝ソングは、
「あの娘の神様」


感じていた夫の不機嫌やイライラは、
私へ向けられていたのではなかったらしい。


調子に乗って聞いてみた。
「あれかな?私が美味しいって言いながら、笑顔で食べてると嬉しい?」
「それはそうだろ?」
「だよね?美味しいって思って食べた方が絶対に幸せだよね?」
「…」

私の「絶対」には無言の夫を深追いはせずに、キッチンから出た。
人はそれぞれ違う意見を持っていて、自分だけの意見が正しいわけじゃない。
聞いてしまうと口論になるのは、互いに意見を押し付けあっているからだ。


上手く聞き流せない私たち夫婦は、こうゆうときは少し離れれば良いだけのこと。


別の部屋で互いの存在を少しだけ感じながら、それぞれのことをする。
ただそれだけのこと。




今日は連休最終日。
何か予定はある?
特に予定のない私は、気ままに気分の赴くままにのんびりと休日を楽しもう。





お仕事する人も、
お出かける人も、
お部屋で過ごす人も、



今日の一日へ



行ってらっしゃい。





行ってきます。




















愚直。

今回のテーラワーダ仏教協会を巡るヴィパッサナー瞑想の件で、
私は二つの物語を思い出した。


一つ目は、1986年にアニメーション映画化され、日本では1987年に公開された、
風が吹くとき」。

風が吹くとき

あらすじ

老夫婦のジムとヒルダは、イギリスの片田舎で年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、東西陣営による戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意やシェルターの作成といった準備を始める。


そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。

風が吹くとき - Wikipedia



テーラワーダ仏教協会曰く瞑想で解脱を得るには、ある能力が必要であるという。
これは誰もが持つ能力ではないのだと、彼はさらりと言ってのける。
「何にでも裏がある」と、彼はここで笑いながら打ち明けている。

2020年9月13日にYouTubeで配信された「スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会」で、彼はそう語っている。
汚すぎて、リンクすらしたくもないが…致し方ない。

www.youtube.com

しかしながら、この協会でのやり方を考えれば、今後上手く編集してしまう可能性は大いにある。
公式ホームページの改ざんなどはお手の物だ。
自分たちを守るためなら何でもする。
それをお釈迦様はお許しになるのだろうか?


ここで彼は特定の人物を指して語っていることがある。
それが誰に向けられたメッセージなのかは、明らかではない。


自我の強すぎる人間には覚りが開けない。
だからこそ自我を捨てるための修行が必要であり、
この修行の完成には出家する必要がある。
しかしきつい修行が必要な出家には、身体障害者精神障害者は到底耐えられない。
選ばれし我々のような特殊能力が必要なのだと。
そうやって上から目線で解く彼は、お釈迦様の禁じている嘘を重ねて、重ねて、果たして涅槃につくことができるのだろうか?
幾人の人々が、彼の言葉に傷つけられたろう?


どんなことをしてもサンガに入れば、特別待遇が得られるとでも?


その特殊能力がなんであるのかを、私はその後で知ることとなる。
その能力については、私が師匠としたS氏から聞くこととなった。
そして知った、生まれて物心がついた時には、私にはこの能力があったという事実を。
この能力が特殊なものだと、私は長く気づいていなかった。
だって目をつぶった時のその状態以外を知らないのだから、それが普通だと誰もが思うだろう?
誰かと比較など出来ないのだから。
だからこそ簡単に「禅定」に入れたのだ。
精神の弱い私が生きて行く上で、苦行のような状況下で自然と禅定状態になったことが過去三度ある。
その状態は周囲から見れば「気が触れた」状態にしか見えないのだ。


幻聴幻覚?
そう、それは見えるんだよ。
それは聞こえるんだ。
何故って?
どんなものかって?
それは、その状態を知っている人にしか理解できない。


そしてね、私が何故ここまで必死になってヴィパッサナー瞑想を続けて来れたのか?
心の奥にある密かな願いを、私は誰にも打ち明けていなかった。
何故って?
そんなことをペラペラ喋ってもさ、綺麗事にしか聞こえないと思うよ?
普通ならこの考えは、トチ狂っている。


私は私と同じ境遇の人たち、
精神病と診断され、薬を飲まなくては普通の生活を送れなくなった人たち、
彼らを思わずにはいられないんだ。
そこには常に再発の恐れがあり、再発しないための沢山の制約がある。
私は56歳だ。
すでに人生の折り返し地点は過ぎて、残り時間はそう長くはない。
次の世代の人たちが、薬漬けで100%の能力が発揮できなくならないような、
薬物治療以外の成功例が増えれば、能力を発揮できる人も増えるんじゃない?


今思えば、なんて単純で愚かな…。


この数ヶ月の間、途中で何度も何度も、ヴィパッサナー瞑想を投げ出したくなった時がある。
だって案外、大変なんだ。
毎日毎日3時間も、長い時には6時間も、瞑想を続けることは、精神の軟弱な私にはただならないものだった。
時に瞑想をするのが精神的に、肉体的にキツくなって、瞑想を休みたくなることはしばしばあった。
そんな時に私はいつだって、まだ出会ったことのない彼らの顔を思い浮かべた。


今日もどこかで「助けて」と心の奥で叫んでいる、大勢の子供たち、子供以外にも今苦しんでいる人たち、それからこれから生まれてくる子供たち。
誰もが自分の持つ能力を思う存分発揮できるような、そんな世界を。
精神状態が悪化して、たとえ私が精神病院へ入院することになっても構わないと思った。


睡眠導入剤をやめて、リーマスもやめて、
頭痛が酷くて、頭が締め付けられそうなとき。
眠れなくて、再発するんじゃないかと恐ろしくなるとき。
そんな時に彼らの顔を思い浮かべる。
そうすれば頑張れるんだ。
頑張れたんだ。


どうしても動けない時もあった。
それでもまた、諦めないで続けた。


けどね?
けれど、どんなに瞑想で努力したって、特定の人にしかその能力は現れないんだって?
それじゃぁさ、私は今までみたいには頑張れないかも知れないよ?
だって、だってだよ?
自分だけが、そこから抜け出せる?


あの僧侶たちみたいにさ、自分たちには特殊な能力が備わっているからってね?
あぐらかいて人に偉そうに説教たれてさ、
そうやって人から搾取した布施によってご飯を食べて?


お釈迦様は、そんな人だったの?
きっと違うと私は思う。
いや絶対に違うよ。
そしてさ、お釈迦様が他宗教をあんな風に批判をすると思う?
重箱の隅をつつくようにさ、人の大切なものを壊すと思う?
私は、そうは思わない。
誰もが、どんな人もが、手をつなぎ合って、優しい気持ちを持って、
憎しみも悲しみもない、そんな世界を夢見たのじゃないのかな?


けど、日本テーラワーダ仏教協会のやっていることは何なのさ?
そんな疑問の中で、瞑想との繋がりは師匠と仰いだS氏だけだったんだ。


ここまで書いた時にS氏から、私の携帯電話に電話をいただいた。
その電話で私は、「Sさんが信じられなくなってしまったから、講習には参加できません」と伝えた。
昨日の13時に私は、ZoomでS氏に質問をする時間を作っていただいていた。
S氏から昨日連絡があり、急遽自宅のネット回線が繋がらなくなり、Zoomが利用できないという知らせだった。
まぁ、そんなこともあるだろう。
けれどネット回線不可となったため、通常使用しているメールが使えなくなったということで届いた、S氏のdocomoメールアドレス宛への返信は、アドレス不明で配信されなかった。


S氏から再び、ネット復旧の知らせが届いたのは、昨日の19:32だった。
私にはS氏に、どうしても聞いておきたいことがあった。
これは私にとっては重要なことだからメールではなく、S氏のお顔を見ながらその回答を得たかった。
その質問はS氏の、日本テーラワーダ仏教協会との関係だ。
S氏の日本テーラワーダ仏教協会への見解だ。
忌憚なき意見だ。


それを明確にしなくては、私はS氏を心から信頼できない。
信頼できない人を師匠と仰げない。
今の状況では、師弟関係を続けられない。



あのスマナサーラ長老がYouTubeにあげたヴィパッサナー瞑想方法を、私は信じて信じて、ただ黙々とそれを続けた。
蓋を開けてみれば、重要なのはサマタ瞑想であり、そのサマタ瞑想で得られる禅定に必要なのは特殊能力ですって?
何故それほど重要な事実を、隠す必要があるの?
一体、何人の人たちが愚直に瞑想を続けたの?
その人たちの中にはどんなに努力しても、その能力を得られない人もいるのでしょう?


どう考えてもおかしな話じゃない?
そんな詐欺行為のようなことを、そう易々と納得なんかできいない。




『風が吹くとき』日本版劇場予告編


このアニメを私は、30代の頃に夫と二人で観ている。
政府を信じ続ける、心優しき老夫婦の姿は、美しくもなんとも切ない。
このように怪しいものの存在すらも、信じ続けられる清い心を、56歳もなった私は未だに持てずにいる。


もう一つの物語は、もう少し心が癒えてから。




読み直す気力が残っていない。
誤字脱字誤った表現が、続出している可能性は大だ。




では、また。


















目覚めた人?

ヴィパッサナー瞑想を始めて、5ヶ月弱…え? 5ヶ月?
浦島太郎並みに、びっくりしている。
残念ながら目覚る前に、目が冷めてしまった…。


通算何時間ヴィパッサナー瞑想(?)をしたのだろうか?
検討もつかない。

え?検討がつかないで済ませるな? って?
まー概算は出せそうだけど、面倒臭いので「検討もつかない」と濁しておく。


つくづく「私」が失くなる前に、気づいて良かったと思う。
結構な証拠は手元に残っているし、桜の御門もついている。
まぁ案外、それは頼りなくもあるのだけどね。


私の日本テーラワーダ仏教協会関連の出費は、
仏教サポーター:初年度会費7,000円
東京パーリ語・瞑想研修会:テキスト代1,000円
             年会費:3,000円
パーリ語辞書(増補改訂)/水野弘元[著]発行:春秋社」4,500円
「仏教辞典/ポー・オー・パユット[著]野中 耕一[編訳]発行:サンガ」5,200円
Amazon Kindle Unlimited:9月分980円


プラス面
日々取り組んだ瞑想で、精神面が若干強化されたような気がする。
禁酒。
一時的な禁煙。
妄想を止められるかも?


マイナス面
本ブログに影響を受けて被害にあった方がいたと仮定すると…計り知れない。


これ以上拡大しないために、ヴィパッサナー瞑想及び、日本テーラワーダ仏教協会に関連した本ブログ記事58タイトルを下書きに戻した。
これらの記事を読めば、精神障害者である宗教嫌いの私が宗教にハマっていく過程が明らかになるため、恥を忍んで残しておくことも考えたが、それには58タイトルを全て読む必要がある。
そこまで興味を持っていただけるとは到底思えない。


今はどこかのどなたかが、笑い話では済まされない結果になっていないことを祈るしかない。















アウェー感。

昨日、オンラインで瞑想の基礎を学んだ。
配布していただいた資料は初心者でも混乱しないように整理され、
イメージしやすいような工夫がそこここにあった。
とてもワクワクしながら講義を受けていたが初心者は私だけだったらしく、
私の馴染みのない質問がいくつか出てきて、少し混乱してしまった。


次々と生まれてくる感情を頭でいちいち理解しつつ、
瞬時に種わけ分類していくほどの能力があったら、
考える間もなくその作業は終了しているように思われて、少し不思議な気がした。


初心者でも構えずに楽しく学べるように工夫されたテキストに感じていたワクワク感が、
少しずつ薄れていって、次第にアウェー感が生まれ始めた。


したかった質問も何か場違いに感じ始めて、その場では何も質問ができなくなってしまった。
後から主催者の方にメールで質問して、回答を得た。


次回はアウェー感に支配されずに、感じたこと、聞きたいことを素直に自由にその場で聞けるようにしたい。
こうやって、なんていうかなぁ…自分の中に閉じこもってしまうから、人と上手く交流できないのだろうなぁ。
ギクシャクしてしまって、自然体でいられなくなるのよね…。


講習終了後、緊張を解くために横になっていたらいつの間にか眠ってしまったから、
変な時間に目が覚めて本ブログ記事を更新中。
瞑想をしようと思ったら、夫が帰ってきたからこれで中断。


以前記事にしたHighly Sensitive Personについて書こうと思っていたけれど、
それはまた次の機械に。



では、また。


















そうだ、動物園へ行こう。

すきっとキッパリしていた、先までの気分は何処へやら?


通所のための地下鉄電車を待つ駅のホームで、突然苦しくなる。

あの二つの意地悪な顔が脳裏に浮かんで、憂鬱でいっぱいになった。
帰りたいっ


そこで気分を入れ換えてみる。

これから動物園へ知らない生物の観察へ行く、とイメージしたら気分が軽くなった。


あれらは今日、どんな行動をするのだろ?
少し離れた場所から観察するとしよう♪





秋の気配。

先日の面談の話し合いの結果、
予約していた就労移行支援事業所の通所プログラムを自習に切り替えることになった。


それというのもこの一週間の通所で私は、
二名の他利用者にとても攻撃的な気持ちになっていることに気づいたからだ。
このまま継続して彼女らと一緒にプログラムを受けたら、とんでもなく辛くなりそうだった。
場合によっては怒りの制御ができずに、彼女たちにキツイ言葉で攻撃しかねない。


そんな経緯で、本日と来週のプログラムは自習となった。
我が家のパソコンのOfficeはWordとExcelだけで、PowerPointが入っていないから、
自習時間に事業所のパソコンでPowerPointの練習をする予定。
コロナ前に練習してある程度できるようになった操作も、
たった三ヶ月で忘れてしまっていることに先日のプログラム中に気づいた。


数日間の自習で、忘れてしまった操作を再びできるようにする予定。


自習に切り替えたのは通所プログラムのみで、オンラインでのプログラムは予定通り受けられる。
昨日参加したプログラムはとても素晴らしい時間を過ごせたから、
こちらで得た感動は機会を作って記そうと思っている。


風が強うそうだし、幾分曇りがかった空模様。
それでも青空がところどころに覗いている。
天気予報は曇り時々晴れ。


少しずつ過ごしやすい季節になってきている。
大好きな秋の気配を感じて、穏やかな喜びで満ち足りた気分の朝。












人を見る目。

基本的に悪口が聞きたくないのは、人の影響を受けやすいと知っているから。
「私は悪口なんて聞きたくないのっ」キラキラ♡
という乙女チックな清く正しい気持ちで言っているのでは、決してない。


実際悪口を聞いてしまうと、その場では打ち消しても、
知らぬ間に私の中でその悪口は定着していて、気づかぬうちに先入観に支配される。
知らず知らずに対象を色眼鏡で見てしまって、お相手の良さが見えにくくなる。
常にフィルターのかかった状態で見てしまうのよね。
だからできる限り、悪口や陰口は聞きたくない。


昨日、そのことを改めて実感した。
心を開けなかったT氏に対する噂話が、私にフィルターをかけていたようだ。
彼の悪口を私に聞かせた利用者の女性はすでに退所しているようで、ここしばらく見かけていない。
彼女は人の噂話が好きだった。
そして噂話の後に続く口癖は、「みんながそう言っている」だった。
みんなって誰?
と、聞いてみる。
「だからみんな」
と、決まって彼女はそう答える。


私同様、事業所で彼女は浮いた存在だった。
そんなんで「みんな」から聞くほど、彼女には事業所内で親しい人などいないように見えた。
孤立しているからこそ、孤立している私にやたらと話しかけてくる彼女だった。
人の噂話ばかりする彼女と話すのに嫌気がさして、距離を置いてしまった。
けれど今思い返してみれば、他者との関係を築きにくい彼女だからこそ、「噂話」をすることが一般的な人との交流方法と思い込んでいたのだけなのかも知れない。


彼女から聞いた、T氏の噂話はこうだ。
「一時期は所長だったけれど、みんなからの人気がなくてヒラになった。いつも充血した感情のない、死んだ目で話すから、何を考えているのか分からなくて信頼できないってみんなが言ってる」
だった。
「みんなって?」と私が聞くと「だからみんな」という彼女の決まり文句が返ったきた。
当時、転属されたばかりのT氏と面識のなかった私は、朝礼で転属の挨拶をする彼の姿が目に浮かんだ。
それは誠実そうで穏やかだけれど、明るい印象の人だった。
「ふーん…あまり話したことないけど、朝礼では優しそうで良い感じの人に見えたけど?」
「面と向かって話さないと分かんないんじゃない?目を見て話せば、みんなの言っていることが分かるよ」


あの噂話を聞いてから、何ヶ月経ったろう?
コロナの影響でオンラインがメインとなった事業所、その一ヶ月後には一旦退所してしまった私は、T氏と話す機会はほぼなくなってしまった。
再通所が決まってT氏が担当となってからも、表面上の会話しかしていない。
それにも関わらず、いつの間にか私の中でT氏は、
「勤務歴が長いから所長経験はあるものの、現在は降格して役職なしの人望のない人」
に定着していた。


昨日の面談で知ったのは、降格どころかセンター長に出世したT氏の現実だった。
センター長と知った途端に、みるみる変わっていく私のT氏への価値観が、手に取るように分かった。
肩書きや噂話に踊らされまくっている自分がおかしくて、思わず笑ってしまう。
話しながらニヤニヤする私を、T氏が訝しげに見ていることに気づいた。
「いやぁ…噂話は信じないように気をつけてたのに…肩書きには左右されないって自分では思い込んでいたんですけど、左右されまくっている自分がおかしくて…」


噂話陰口恐るべし…まるで呪文のようにじわじわと効いてくる。
噂話も陰口も、言うものでも、聞くものでもないと実感した日。










墓穴。

残念なことが立て続けに二つ起きて、
また少し人のあり方を考える。


自分のことしか考えられない人のすることは、
どんなに体裁を整えたところで行動に現れるのだ。


信じることについて、また少し考えてみる。
判断して信じるのは私。
私が観て判断する。


正すのは誰?
騙されるのは誰?


騙す対象は誰?
裏切る対象は誰?


切り捨ててのし上がって、
正しさを見せつけてみても、
つまらない自己満足。


暴いて追い討ちをかけて、
正義を振りかざしてもみても、
残るのは虚しさばかり。


知ってなお騙されたふりをするのは、一体誰のため?
知ってなお残る期待で誤魔化すのは、一体誰のため?


組織にしても、個人にしても、
その行動を起こしている本人ならば、痛いほど知っているだろう。
その胸に何を隠してる?


穴を掘る。
穴を掘る。

何を隠すために?

穴を掘る。
また穴を掘る。

今度は何のために?

穴を掘る。
穴を掘る。

いくつ穴を掘った?

一つの穴を誤魔化すために、
また一つ穴を掘る。


もうあなたの周りに穴を掘る場所など、どこにも残ってないのじゃない?

気がつけば、大きな大きな穴が一つ。
その穴に埋めようとしているのは、誰?
それは誰のための穴?


その穴の中に落ちているのが、自分自身と気づいた時にはもう遅い。
すでに足元は土で固められているよ。
もうそこからは抜け出せない。

ほら、上からどんどん重い土が降ってくるよ。
今どれくらい?

腰まできた?
胸のあたりかな?
首まできてしまった?
ねえ、息はまだ吸えるの?

そう、けれどそれも時間の問題。


下を見てもキリがない。
見ることはやめにして、今のことをしよう。









前言撤回。

日本テーラワーダ仏教協会のホームページにある「新着の法話」、「怒りの無条件降伏」を読んで「私は仏教徒です」と世間で聞かない理由が分かった。

躾の言葉として、これ以上は言えませんね。卑しい人々、卑しいと言うか、できの悪い凶暴な賊たちが来て、あなたをつかまえてノコギリで手足を切断しようとする。その時でも、あなたの心が動揺したならば、もう私の教えを実践する者ではありません。その場合でも賊たちに慈悲を向けなさい、とおっしゃるのです。相手が極悪人であろうとも、怨敵、仇敵であろうとも、釈尊の教えを尊重する者は、その人々に対して「幸福でありますように」と慈しみを育てるべきなのです。敵討ち、仇討ち、仕返し、報復、恨みつらみなどは、仏教ではもってのほかなのです。

怒りの無条件降伏 | 8ページ目 (10ページ中) | 日本テーラワーダ仏教協会>たとえノコギリで切られても より


これはもうどう考えても、私には不可能だ。
よって、9月8日の本ブログ記事「そういえば、「私は仏教徒です」と公言する人と出会ったことがない?」で公言した「私は仏教徒です」は撤回する。


口が裂けても仏教徒であるとは言えない。
言わないのではなく、言えない。


今日だけでも他愛もないことで私は、4回も怒りを感じている。
駅員の対応、就労移行支援事業所のとあるスタッフの対応、とある利用者の対応、ショップ店員の対応。
同じ立場である利用者以外には、相手が示した感じの悪い態度とほぼ同等の感じの悪さで返した私。
同じ立場の利用者は、私の子供…いや孫でもおかしくない年齢の人なので流石に堪えたが、その他の人々には自分でも呆れるくらい嫌な態度をとった。
そんな態度をとってもスッキリするどころか、うんざりしかしない。


就労移行支援事業所の利用者Bさんは、一緒にいるだけで心が和む。
穏やかで優しい彼の醸し出す空気感に、癒されまくる。


難しいとも思うけれど、今後怒りが無くなる方向で瞑想に励みたい。
しかしながら生きている間に「私は仏教徒です」と公言できる日が訪れるかは、全くの謎。
今のところその可能性は、限りなくゼロだ。


それでも全くのゼロではないのよね?











そういえば、「私は仏教徒です」と公言する人と出会ったことがない?

今朝(?)の起床時刻は、AM2時頃だろうか。
夫の生活音で目が覚めてしまった。


シラフなら気遣いの十分な夫だが、酔うとそうはいかない。
何事も大雑把になるから、全ての動作音がなかなかに大きい。


しばらく辛抱していたら、寝支度を整えて布団に入ったから、私も二度寝するか一瞬迷った。
酔った人の寝つきは早く、かつ鼾がすごいのよね…。
二度寝したところで、鼾の音で再び起こされるだろう。
そうなるとイライラのタネになりかねない。


昨日の就労移行支援で受けたプログラムは「マイレポート」。
こちらは毎月週1程度の頻度で行われるプログラム。
月初に1〜2ヶ月先の近い目標と、半年もしくは退所時の未来像を設定し、毎週頭に一週間を振り返る。
昨日は「パターン分析」
そこに私は信頼できる師匠ができた、と記した。
一人一人の発表の時間には「仏教徒になった」と、躊躇うことなく公言した。


キリスト教徒は大抵、どこへ行っても堂々と公言するのよね。
けれど仏教徒と公言する人には、未だかつて出会ったことがない。


お坊さんと創価学会の人くらいかな?
「私は仏教徒です」
聞いたことがない。


そんなんで試しに言ってみた。
ヴィパッサナー瞑想から仏教を知って、仏教徒になりました。そこで信頼できる師匠ができました」と。


師匠、おっちょこちょいで落ち着かない私ですが、
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。











一周年。

なんとなく私なりに見えてきたものがあって、
今の時点で思うのは、
「苦しみながら輪廻転生するのも、そう悪くはないのかも?」
ということだ。


それぞれの生き方がそれぞれの人生になるのだから、
綺麗事や言い訳を並べ立てていないで、それぞれが感じる方へ進めばいいんじゃない?


怒りたい人は怒ればいいし、
結果として嫌われることは多いだろうし、
冷静な人からは馬鹿にされるだろうし、
怒れない自分を情けなく思っている誰かからは尊敬されるかも知れない。


真剣に怒っている人を見て、
馬鹿にしながら面白がって、
スッキリしている狡猾な奴らに踊らされるのも一興だ。


本気で怒ったあとはひどく疲れるし、
羞恥心と嫌悪感で落ち込むこと甚だしい。
我を忘れる勢いで怒鳴り散らしているときの陶酔の後にやってくる地獄は、
筆舌に尽くし難い。


だってだから、そういうのも因果なのでしょう?


実にくだらない世の中から脱出を試みても、
叶うとは限らない。


お前のような凡夫には解脱するのは至難の技。
そうやってあざ笑うのは、覚ったと勘違いする気の毒な輩。
馬鹿にされたとて、どうせ同じ穴の狢。


それでも仏教には大いに興味があるのよね。
だって本物を見極めたい。
私に見極められるかな?


どんぐりと背比べして、
目糞が鼻糞を笑う。





昨日、はてなブログから開設一年を知らせるメールが届いた。
もう一年!
まだ一年。
やっと一年?

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はてなブログさん、
こちらこそ、これからもヨロシク。


陰で笑われてもいいの。
どうしたって、バカバカしい人生。
その時々の心情を、ありのままに綴っていけたらいいなぁ。


再びの一年後に、
私はなにをしているんだろう。


どんな私になっていても、
例えば生きていなくても、
すべてはただ流転している。
















普通の朝の日記。

目がさめると、遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
手を伸ばして枕元のiPadを手にとって時刻を確認すると、5時28分だった。
ベッドタイムの設定を確認すると、解除状態。
眠れなかった昨朝、解除していたのを忘れていたのだ。


チラと失敗したという思いが浮かんで、すぐに消えた。
そんな小さな失敗よりも、ぐっすり眠れたことが嬉しかった。


そんなんで今朝の瞑想は、1時間に短縮。
瞑想の後でシャワーを浴びて、朝食をとってから今ホッと一息コーヒーブレイクだ。


出かける時刻まで後、小一時間。
それほどのんびりとはしていられない。


窓から、素晴らしく晴れ渡った青空がのぞいている。
今日はどんな一日かな?
新しい出会いはあるだろうか?


なにはともあれ、自然に訪れた眠りに感謝。












昨日のダーク気分は…。

来月から就労移行支援事業所への通所が再開されるし、新しいこともいくつか始める予定がある。
だから昨日は予定を入れずに、ゆったりと気ままに過ごす予定だった。
けれど14時過ぎにかかってきた電話で、急遽外出することとなる。


かかった電話は保険事務所からで、お相手は障害福祉課の担当職員。
住民税が未申告のため障害福祉サービス受給者証の発行ができないというのだ。
9月1日から通所できるように余裕を持って申請したものの、重要な知らせをギリギリになって受けるとは思ってもいなかった。
「つまり9月には間に合わないということですか?」
「そうですね…申請してもすぐには反映されないでしょうから、手続きは郵送ですから二、三週間はかかるのではないですかね」
まるきり他人事という無感情の対応に虚しさを覚えつつ、区の職員に期待する方がどうかしていると自らに言い聞かせる。
更にこの人に心情を訴えても暖簾に腕押しということも、幾度かのやり取りで判明している。
話をしても長引くだけで、時間の無駄になるだけだろう。
こちらから課税課に電話をして確認してみると告げて、一旦電話を切った。


令和2年度分だから令和元年(平成31年)1月から12月までの期間の所得だ。
この期間は1月から10月までは失業保険を受給していたから、課税の対象にはならないはず。
その後も私の収入はない。
それでも申告は必要なようで、今回の状況はこれを知らなかった私の手落ちだ。


区役所の課税課に電話をして今回の事情を説明し、届け出の流れを確認すると、来所すれば手続きは当日に完了するという。
再び保険事務所に電話かけて担当にその旨伝え、これから区役所へ出向くことを伝えた。
対応の早さに彼女は驚いたようで、少し戸惑っている。
指示を待つのも時間の無駄なので、「区役所の方に手続きに証明書が必要かを聞かれましたが、必要ですか? 申告の後、私がしなければならないことは他に何かありますか?」と訊ねた。
「あ、いえ、反映されればすぐにこちらで手続きをします」
「9月に間に合うように手続きをしていただけるんですね?」
「反映されれば間に合います」
こういった確約はしないというお役所仕事的なやり取りも実に時間の無駄だから、粘らずにさっさと会話を終了して出かける準備に取り掛かる。


我が家から管轄の区役所まで、door to doorでおよそ30分。
支度に時間をかけてはいられないから、着替えだけ済ませるとさっさと家を出た。
15時半には手続きが完了する。
この手続きを担当した職員にお願いして、障害福祉課の担当職員に反映の確認と、9月に間に合うように手続きが完了できるかを確認していただく。
三者を介入させないと、あの障害福祉課の担当職員は信用できない。
一旦席を立って電話をかけに奥に引っ込んだ職員は、5分ほどして戻ってくる。
「反映していることを確認しました」とその職員は言う。
「ありがとございます。障害福祉サービス受給者証の発行が9月に間に合うことも確認していただけましたか?」と問うてみる。
「あ…確認しませんでした」
「…お手数ですが確認していただけますか?」
「…はい、お待ちください」
一から十まで再確認が必要なことに、ちょっと呆れるが顔には出さないように注意した。
しばらくして戻った区役所の担当から9月に間に合うように手続きを完了させるという確約を聞いて、ホッと一息ついた。
一息つくとすぐに、なんとなく虚しい気分になった。
炎天下のもと、汗をだらだらかきながら家路を辿る。
なんだかぐったりしてダーク気分のまま、昨日のブログ記事を更新したのでした。


いやはや…なりきりっぷりがお恥ずかしい。






あの人たち、あの公務員さんたちってば、あれよね?
やっぱりそれ相応の努力はしているのよね?
何かしらの資格を取得しているわけだし、採用試験にだって合格しているわけだ。
ある意味つまらない仕事とも言えるし、彼らがいなければこちらも困る。
コロナでも休めないし、暑くても出勤しなきゃだしね。


しかもあれだ。
彼らがもし「給料泥棒」だとしたら、これはもう盗みだからね?
いいのいいの彼らの問題だから、私には関係ないの。
第一、悪人てほどでもないしね。
日々、ストレスも溜まってるだろうしね。
公務員に厳しいこと言う人は、多いもんね。
かく言う私も、ちょっと前までは彼らには相当厳しかったよね?
ガンガン意見してたものね。
ある意味、クレーマーとも言えたよね?


そういえばあの精神科医Sったら、「あんたたちは基地外なんだから、気に入らないことがあったら基地外らしく怒りまくれ」的なことを言っていたなぁ…。
あの言葉を真に受けて、あのクリニックの一部の患者たちはなかなかに攻撃的だったけれど、傍から見ているとちょっと引いたもの。
うん、あの人たちを近くで見れたのも良い経験だった。
怒りを覚えても躊躇するようになったもの…。


その流れで仏教と出会ったのも良かったな。
怒りを露わにするのは恥ずかしいって実感していたから、怒りが悪業と知って十分に納得できた。
恥プラス悪業ときたら、これはもうやめる努力するしかないよね?
世の中を冷静に見渡してみると、怒る人よりも怒らない人の方が多かったりするし。
怒っている人の方が目立つだけで、大人しくしている人の方が断然多数。
あ〜気づいて良かった。
危ない危ない…怒りを正義って勘違いしてた節もあるし。
正義感故の怒り、とかね?


あぁ、また余計なおしゃべりブログ記事を書いちゃったなぁ…。
こういうのはちょっと久しぶりだけれど、仏教徒としてどうよ?って感じだけれど、直さないで更新してしまおう♪
今日はなんとなく、そんな気分。



















マインドコントロール

1990年代に起きた一連のあの事件で、「解脱」という響に浮かぶ偏見と危機感はただならない。
若い人には現実味のないあれらの事件から、宗教に感じる胡散臭さは私たちの世代では笑い話にすらならない。
そんなんで「解脱を目指す」などとは、軽々しくは口にできない。



「解脱」と耳にしただけで、ちょっと緊張したりするのは神経質に過ぎるのかもしれない。
もう10年以上前になるが、あの宗教団体の踊りの振り付けをしたという女性と知り合ったことがある。
その当時は既に彼女は、どこにでも居る普通のおばさんにしか見えなかったけれど、ご当人の話ではダンサーを目指していた若い頃は人目をひく美人(本人談)で、教団内でも特別な存在であったという。


事件が明るみになって教祖が逮捕される直前に、教団施設から逃げ出した時の、彼女の体験談を聞いた。
なかなかに緊張感のある話で、聞いているだけでドキドキした。
驚きをあらわにしないよう注意しつつ平然とした態度で最後まで話を聞き終えたものの、話を聞きながら一刻も早く彼女と別行動をとりたいと心から願った。
「さよなら、また」という挨拶をした瞬間の開放感、あの安堵感は今でも鮮明に思い出すことができるくらい、緊張した数時間だった。


その後、彼女と普通に付き合うことは出来なかった。
事件から長い年月が過ぎているとはいえ、感じる恐怖は否めない。
彼女は何の犯罪も犯していない。
けれど一連の犯行が明らみになる前から、あの教団の行動は一種異様だったのだ。
そんな教団に入信してしまう人というのは、やはりちょっと異様な気がする。
そんな教団に少しでも不信を感じれば、洗脳されるほど近づかないのではないか?


あの時の彼女は出会ったばかりの何も知らない私に、自ら進んでこの話を語った。
大して親しくもない私に、そんな大変な話をしたのは何故だろう?
秘密にしておけば、どうという特色もない普通のおばさんである自分を、特別な存在と知って欲しかったのか?


彼女はこうも言った。
「あの教団と出会わなければ、私はどんな人生を送っていたかなって、たまに思うの。
有名なダンサーになって世界的に活躍していたかもしれないし、普通に結婚して今頃は孫に囲まれた平凡だけれど幸せな人生を送っていたかもしれない。
少なくとも独身で頼る人もいなくて、たった一人で惨めでつまらない人生を送ってはいなかったと思う」


どう考えたところで全ては彼女の妄想に過ぎず、現実はただ一つしかない。


他人のことはよく見える。
けれど私だってそう変わりはないだろう。

立派な両親だったら?
せめて普通の親だったら?
愛されて大切に育てられたら?
母がアルコール依存症でなければ?
父が家庭を大切にする人だったら?


だったら精神を病まなかった?


それは誰にも分からない。
今の私には、この人生しかない。


誰だって少しずつ洗脳されている。
社会からマインドコントロールされている。
社会の歯車であることを強要されている。
輪廻の渦に巻き込まれて、永遠に転生し続ける歯車。


養子に出される前の父の名字は、十六藤の一つだった。
養子に出された先は、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏、佐々木氏流が名字の由来。
父は母に向かって、偉そうにこう言った。
「世が世ならば(俺様は)、お前のような平民となど結婚する身分じゃない」


夫の長兄が婿入りした一族は自分らの出自は明かさぬまま上から目線で密教を尊び、弟嫁を千葉出身と思い込んで漁師の出と蔑む。
武士の出という夫の母は満鉄勤めだった父が自慢で、自分の嫁ぎ先を農家の出と嘲る。
卑しい人ほど自慢話ばかりで、勝手な想像で人を見下す?


こんな風に考える私の心は真っ黒で、汚れているに違いない。


どこまでも澄んでいる仏陀の心には、きっと誰もが憧れるだろう。
そうありたいと願うだろう。


道元は?
最澄は?
栄西は?
親鸞は?





仏教を知ったとき、彼らの心は澄んでいたのかな?
純粋に仏の道を信じたのかな?
絡む政治をどう捉えていたのだろう?


心から人の幸せを祈ったのかな?
ちらりとでも出世欲が浮かんだのかな?


お釈迦様よりも優れた人など、そう簡単には現れない。
それでも心からお釈迦様を信じて、少しでも近づきたいと願う人はいるだろう。


清らかな心になりたいな。
なれたなら、いいなぁ。