遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

父の死後、ずいぶん経ってから見た夢の話。


お堂のような場所で父は一人、あぐら座をかいている。
生前の父は一見すると威厳に満ちた人であったのに、なんとも心もとない様子に胸がほろりときた。
「お父さん、なにをしているの?」尋ねると、ハッとしたように振り返って「おお、Y美か」と言って微笑む。
「一人でなにをしているの?」重ねて尋ねてみる。
「うーん...修行しているんだよ」と、なぜだか照れ臭そうに父は答えた。
「ずっと、一人で修行しているの」
「ああ」
「そうなんだ...」
「ずいぶん酷かったからな」
なんと応じてよいやら、言葉が出てこない。
「お前にもずいぶん辛い思いをさせたな」
困ったような面持ちでそんな風に言うから、思わず涙が出てしまった。
大きな手が伸びて、私の頭をポンポンと叩く。
「お父さん」
「なんだ?」
「私は大丈夫だよ」
「おお、そうだな」
「お父さんは一人で寂しくない?」
「大丈夫だ。お前はお前のことを考えていればいいんだよ」
「うん...いつまで修行するの?」
「わからんよ」





父本人は知らぬうちに、長崎の育った寺から佐賀の知らぬお寺に養子に出され、自らの意思とは関係なく苗字も本籍地も変わったようだ。
その父が幾つで出奔したか定かではないが、おそらく20代半ば頃と思われる。
それから流れ流れて関東の地につき、31歳の頃に私が生まれている。


九州を出てからの長い歳月を父は本籍地を移すことをせず、そのままにこの世を去った。
長崎の寺の跡取りと思い込んでいた幼ない頃の父は、なんの悩みもなく幸せだったろう。
周囲から神童と呼ばれ、常に学級長で溌剌とした子供時代。
小学四年生の頃にその寺に本物の跡取りが誕生してから、父の違和感は芽生えたようだ。
分け隔てなく育てる実母と思ったその人が、父に内緒でその家の実子に特別なおやつを与えているのを物陰から見てしまったのだという。
それから少し後に親戚の叔母と名乗る女性が、父の通う小学校にこっそりと訪ねてきた。
名乗らずとも、この人が自分の本当の母親だと父には分かったのだ。


たまに訪ねてくる兄だけが自分の身内であり、この寺の中に自分の家族はいないのだと知った時、父はなにを思っただろう。


見知らぬ土地の見知らぬ寺に有無を言わさず養子に出された若き日の父は、どんな気持ちがしたろうか。
全てを捨てて家を出たとき、父には少しでも希望があったのだろうか。


「泥棒と殺人以外はなんでもやったな」
そう嘯く父が独身時代なにをして生きてきたのか、全てを私は知らない。


父のお経を読む声が響く。
そんな夜は不眠症の私でも、安心した面持ちで眠りに就けるのだ。


私が高校を辞めて自室に引きこもってしまった頃、突如父が創価学会に入信したことがあった。
創価学会の関係者が訪ねてきた時のこと、宗教を嫌う母がヒステリックに御本尊を叩き割ってその人らを追い返した。
たった数日間で人のいいなりにやめてしまえるようなものを、父が少しでも信じたとは到底思えない。


父は遠い昔に戻りたかったのだろうか?
捨ててしまった仏道に未練があったのではないか?
49歳の父はなにを思っていたのだろう。
今となっては知る由もない。
唯あの頃の状況を、悔やんでいたのは確かだろう。



南無妙法蓮華経と覚え違えていたお経は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」


父の読むお経の声が、今鮮やかに蘇る。



そしてあの頃、よく耳にしたのは、「修証義」第一章 総序から第二章 懺悔滅罪。

無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め確し、紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。熟感ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに至るときは大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。今の世に因果を知らず業報を明らめ図、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、増悪の者は墜ち修善の者は陞る、毫釐をたがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に墜ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。

「お前は酒が強いけれど、普段は飲まなくて偉いな」
よく父が私を褒めた言葉だ。


肝硬変の兆しが見えたときに父が溢したのは、
「酒をやめるくらいなら死んでも構わんよ、命など惜しくもない」


そんな父が今際の際で呟いた「死にたくない」の一言が、悲しかった。



心は深くて、簡単には見えない。
悔やむくらいならば変えれば良いものを、できないのが業なのか?
単なる弱さなのか?


私に、第三章 受戒入位を耳にした記憶はない。




父はまだあのお堂で、一人修行を続けているのだろうか。






あの夢が、ただの夢とはどうしても思えないのです。