遠い箱

精神障害を持つアラフィフのヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

グリーフワーク

長く生活を共にした飼い猫が死んだ。

こう表現すると、つい最近死んでしまったようだが、実は昨年11月のことだ。その日は憧れ続けた医療機関の、待ちに待った初診日だった。数日前から急激に衰弱が進む飼い猫の、静かに上下するお腹を眺めて私は、病院へ行っている間にこの子は死ぬんじゃないかと心配で堪らなかった。

 

病院の診察から帰ってきた私は、まずはベランダに出てすっかり冷たくなった洗濯物を取り込んだ。そのあとに猫の待つ部屋へ進む。

「鈴ちゃん、ただいま」

当然、猫が「おかえりなさい」なんて返すはずもない。

それにしてもちょっと様子がおかしい。お腹が上下しないないのだ。

「鈴ちゃん?」

声をかけながら猫の脇にしゃがみこむ。

遠くを見つめるような、透き通った目には何も写らない。

何も見なくなった目が、淋しかったと今にも語り出すようで、私は狼狽する。

恐る恐る手を差し出して、その体に触った。

それはもう生きものではなく、とうに物体と化していて、硬くて冷たいのだった。

死後にはなるべく早く処置を施さないと、顔や体の穴から体液や排泄物が出てくることがあると言う。鈴ちゃんからはその液体や排泄物が見当たらず、どことなく無機質だった。

硬くなったその塊を両手でそっと持ち上げても、重みは全く感じられなかった。

紙みたいだ。

上方から見えた部分は作り物のように美しかったけれど、持ち上げてみると下になっていた反対側の顔はひしゃげて苦しそうな表情に見えた。

それを見て一気に悲しみがやってきた。

 

喜劇みたいに私は、ウワーッと声をあげて泣き出した。

ごめんね、ごめんね、ごめんね、と声に出して何度も繰り返す。繰り返しているうちに何だか一人芝居しているみたいに思えて、次第にバカらしくなっていった。

 

ふいに20年以上前の、父の臨終が思い出される。

 

数日前から危篤となった父の死が、いよいよ迫っていた。横たわる父の枕元の両脇は、母と妹が陣取っていた。足元でぼんやりとその光景を眺める私は、今際の際よりも彼女たちの動作に気をとられていた。

苦しそうに歪む父の顔の左右で、彼女たちは泣き叫んでいる。

「お父さん、お父さん」

心電図がピーっという電子音を立てる。その音に反応して呼び声も泣き声も、一瞬にして停止し、心電図に視線が向かう。しかし彼女たちの期待を裏切るかのように、心電図は再び動き始める。そうすると再び彼女たちの慟哭が始まる。再び心電図が電子音を鳴らす。反応してピタリと止まる。それを何度も繰り返している彼女たちが滑稽で、悲しみよりも笑い出しそうになるのを必死で堪えていた。そんな場違いな感情に「どうなの? 私って」と訝りながらも、涙は一向に出てこない。

母と妹は性懲りも無く、慟哭と停止を繰り返している。もういい加減その動きやめてくれないかな? と思い始めたころ、医師が静かに心電図のスイッチを切った。

医師が少し腕を上げると、白衣の袖の奥に隠れていた腕時計が見えた。

「◯月◯日、◯時◯分、ST様、ご臨終です」

と厳かに伝えた。

『うわー、ドラマとかと一緒』などという、不謹慎な思いが浮かんで消えた。

 

いつの間にか泣き止んだ私は、夫に短いメールを送った。

「病院から帰ってきたら、鈴ちゃんが死んでいました」

これは暗に夫を責める言葉だ。

予約前日になって「病院の予約をキャンセルする」と言い出した私に、夫は自信満々で言い放った。

「またそうやって理由をつけて途中でやめる。ずっと行きたかった病院だろ? 予約するのも大変だったんじゃないの? そう簡単に鈴ちゃんは死なないから、行ってくればいい」

「そうだよね? 鈴ちゃんは死なないよね?」

「ああ、死なない」

ネットで調べても老衰死の場合、通常は動けなくなってから1週間ほど時間があるとあった。あくまでも通常で、通常ばかりではないという常識も、まさか我が猫の死に通常が当てはまらないとは思いもせずに、能天気に私は家を出た。

「鈴ちゃん、行ってくるね。待っててね」

 

 

 飼い猫との別れより自分の治療を選んだ私が何を悲しむやらと、在りし日の思い出で泣きそうになると、けっきょくこれって自己陶酔じゃない? と、普通の日を送ってきた。

 

グリーフワークたるものの存在を知らずにいた私がそれを知ったのは、これまた先月まで通院していたあの医療機関のデイナイトケアだった。理事長が80歳に近い精神科医であるこの医療機関は、建物の老朽化と同じように最新の医療は行われていなかったようだ。私が彼を初めて知ったのは1996年で23年も前のこと、つまり二昔も前の話だ。

 

2000年に入院した精神病院の主治医から「精神分裂病」と診断され、治療して完治する病気ではないということを知る。私はもうこの病気にかかってしまったのだから、病気を受け入れて薬を飲み続けるしか手立てはないのだと、人生を半ば諦めてしまった。それ以来、新しい治療法の模索とは無縁で過ごした。知ったところで後悔しかない、そう思っていたのだ。

 

診断の3年後に主治医が

「うーん、Mさんはちょっと病名が違うかもしれない」

と打ち明けた時には、

「あ〜ぁ、統合失調症ですよね? 知ってます。病名が変わっただけでけっきょく何も変わらないですよね? 分裂が誤解を招くから統合失調って、そんなの患者にとってはどうでも良い話です」

「いや、そうじゃなくてね、精神分裂病とか統合失調症とか、そういったものではないと僕は思うんだよ」

「え? 違うんですか? じゃ私の病名はなんですか?」

「うーん、なんだろうな? 僕もまだよく分からない」

「先生、あれから3年も経つんですよ? 分からないって、どういうことですか?」

「Mくんのあの頃の症状はね、統合失調症と思えるような症状だったんだ。けれど、どうも違うようだから」

「先生、私は先生に分裂病と診断されて多くのことを諦めてきました。分裂病患者に対する世間の目は厳しいんですよ。患者同士でも差別があるくらいです。ずいぶん悔しい思いもしたんです。いまさら違うと言われても、私はどうしたら良いのか分からないです」

「うーん、まぁそう言わずに。違うってことは分かったんだから前向きに、ね?」

 

おいおい、とツッコミを入れたいところだったが、責めたところで私の3年が戻るわけでもない。そう思って前向きに考えようにも、精神障害者であることには変わりないようで、コロコロ変わる病名に踊らされながら時は流れた。

 

明確なのは私がアルコール依存症の母に育てられ、その母を疎ましく思った父がDVを毎日繰り返す家庭で育ち、いつしか私が母の代わりに父から殴られる日々を送ったという、成育歴だけだった。そんなわけで私はACの治療を受けたいと、主治医に訴えることは度々あったが、彼はACなんてものはアルコール依存症に育てられた子どもというだけを指すもので、その治療など存在しないと言うのだ。

 

「貴女は貴女のままで無理して療す必要はない、そのままで居れば、それで良い」

と、彼は言う。

まぁ否定されてるわけじゃなくて、肯定しているみたいだし、まあいいかぁ。

深く考えるのをやめた私は、そんなものよねという気になって、その時々に応じて処方される薬が変わるだけの、薬物治療のみで20年が過ぎた。

 

頑固に頑なに、その医療機関での治療を否定してきた主治医が、昨年10月にすんなりと転院を許した。

 

そういった経緯があってやっとたどり着いたその医療機関でさまざま療法を知ることになるが、理事長のが横行跋扈するこの施設で施される療法は、どうも最新とは言えないらしい。

 

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デジタル大辞泉の解説で、グリーフgrief)は、深い悲しみの意》身近な人と死別して悲嘆に暮れる人がたどる心のプロセス。悲しみから精神的に立ち直っていく道程。喪の作業。癒しの作業。グリーフケア

 

らしい。