遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

表明(...今んとこ)

ViMさんのブログを拝読して、ふと不安になった。

コメント欄への質問に即答してくださったから、すでに不安は感じていない。

 

10年前までブログをしていて、できるだけ毎日更新していた。

飽きっぽい私が2年近く続けられたのは、書くことで気持ちの整理ができたことが一番の理由だが、好きなブロガーさんたちとの交流がとても楽しかったという一見単純な理由が重要だ。

2008年5月8日が初ブログで、2010年2月22日を最後に唐突に更新が終わっている。

時が経って今、最後の記事を読み返すと終了の気配を微塵も感じさせない内容で、こんな終わり方したっけ?とこの記事を書いた本人の私ですら目を疑う終わり方だ。

精神疾患を持つ不安定な中年女のブログなものだから、病気の悪化はもちろん、死すら感じさせるだろう。

 

この時期の私は様々な問題を抱えていて、それでも妙に前向きなブログを綴る努力をしていた。それにしても媚び繕うのは嫌だったので、ダークな内容も含まれていたし、押さえ込もうと絡んでくる毒親ブロガーには実に反抗的だった。

 

本音を言えばこの頃の私は、母を許すことができずにいた。この許し難いと感じる強い思いは憎しみや恨みといった負の感情で、この負を背負う不完全さが当時の私を苦しめる大きな要因の一つだった。いや、むしろ第一原因だろう。物理的にも母の存在をなくして、私は存在しないのだ。

 

私はこれを乗り越えるために、「許す」という選択をして必死になって、寛大で前進した風に装っていた。時を経て読み返すと、その努力が痛々しい。

 

どこにも吐き出せない黒い部分や弱い本音を綴るために始めたブログがいつか、体裁を取り繕う現実世界とそう大差ない建前色の強い内容に変化していた。

 

人の反応を気にして言いたいことが言えない私。

 

私はなかなかのKYだからポロンと本音が出てしまう。そういった歯に衣着せぬ言いようは、現実社会の女性陣には実にウケが悪い。その場では何事もなかったかのように引きつり笑い程度で品良く受け流す彼女たちの、陰口と陰謀ときたら凍りつくほど恐ろしい。

 

私は現実社会の女たちには一線を引いていて、かなり距離をとっている。女友達と呼べるほどの信頼置ける女性は4名しかおらず、そのうち2人が他界している。ずいぶん多くの女性と出会ったが、たった4人としか信頼関係は築けなかった。そんな私でもブログではたった2年で多くの信頼できる女性と知り合い、交流を続けることができた。ブログ上のお付き合いとは言え、どの女性も心から好ましく思い、この関係を長く続けたいと思える方ばかりだった。

ちょろちょろ私のブログに寄って形跡を残す、お節介ブロガーは徹底的に拒絶していた。

 

ブログをやめた理由は二つ。

お節介ばかり焼きたがる出しゃばりブロガーへの、必死の抵抗に疲れてしまったこと。

当たり障りのない記事を更新し続けるのを無駄と感じるようになったこと。

私は自分のためには、いとも簡単に大切な人を切り捨てる。

 

今年の7月だ。今回ブログを改めて「はてなブログ」で始める切っ掛けとなった「ぼそっとプロジェクト」の「治療者と患者」シリーズを拝読して衝撃を受けた。

読み進めれば読み進めるほど「そんなこと書いちゃって良いんだ?! これって掲載して大丈夫なの?」と驚愕しつつも一層、ブログにグイグイ引き込まれる。2013年6月14日が初投稿となるそのボリュームたるや、読破するのはいつになることと若干気が遠くなったが、その博学才穎っぷりには目が離せなくなる。果敢に戦うその姿勢に感銘し、多くの勇気をいただいた。

 

これから先、私の綴るブログが人にとっては意味がなくとも、弱気になって少しくらいソフトに言い換えようとも、心の真実から離れすぎた言葉での更新はやめようと、強く思っている。