5分で完食、下手すりゃ3分。
例えば西洋のコースや日本の懐石料理のように、
一人一皿ずつ提供されて、
かつ盛り付けや器も美しく、
かつお味もよろしくて、
かつ美味しいお酒と共に。
ゆっくりと目と舌で味わって、
かつ穏やかな会話のできる方と、
リラックスして心地よく、
三名、できれば二人きり。
そういう食事じゃないと、私はとてつもなく食べるのが早い。
ゆっくりと咀嚼して、
食べ物の素材や香りを楽しむことなどできない。
そう、まるで飲み込むかのごとく、口に食物を放り込んで、素早く噛み砕き嚥下する。
これはおそらく父の、食事時の恐ろしさが影響している。
『早飯早糞芸の内』
生前の父がよく使ったことわざだ。
父の父は士族の出だが、父はその人には育てられていない。
長崎のとある藩の教師だったその人は江戸末期、住んでいた城内で夜中に鳴き騒ぐ猿の声が煩いと、一匹の猿を叩き切ったという。抜刀どころか殺生までして城内を血で汚したということは当時、それはもう重大事で下手をすれば切腹ものだ。運よく切腹は免れて、城から放り出されるだけで済んだその人だが、身分や財産はさることながら住む場所も失った。それでも抜け目のない人で何をどうして転がり込んだか、地元の名士と言われた歯科医院の弟子となる。もちろん住み込み。
衣食住を手に入れたその人は、数年でこの医院の院長の座につく。元院長が病死して、残された未亡人の夫となったのだ。未亡人となった父の母の写真が残されていた。どちらかというと醜女よりだ。一方父の父、この人は俳優のごとき美男であった。
逆玉も美で勝ちとるかな?
院長の座を手にし出世したその人だったが、残念ながら長生きはできなかった。三男坊だった父が一歳の頃に他界して、再び未亡人となった父の母は元華族の気まぐれで、父たち兄弟三人を親戚の寺に預けて単身で海外へ旅立った。
寺で育った父が、この侍の嗜みを何処で覚えたかは全くの謎だ。
なにかとこの品のない言葉を連呼する父。
食べるのが遅い母はいつも父にガヤガヤとどやされながら、オズオズとオドオドと食事する。
隣で見ていると気の毒になるくらい、いつもビクビクしていた。
私はそれを横目で見てはヒヤヒヤしながら、味わうことなく急いで口の中へ食物を放り込んで、数回咀嚼すると飲み込むのだ。通り抜ける固形物が食道を痛いくらいに圧迫する。
これで私は身を以て断言できる。
食道は鍛えられる。
長年培ったこの早飯は、
父亡き今も私の体に染み付いて、
急かす人が不在でも、
そそくさと食べてしまう。
ハッと気がついて、ゆっくり食べる努力はするが、
却ってイライラしてしまうのだ。
ささっと5分、下手すりゃ3分で、
たいていの食物が胃の中へ収る。
歳とともに胃酸が減って、胃もたれがひどい今日この頃。
ゆっくりと、のんびりと食事をするには、
この悪習慣を以ってして、
どうにも先立つものが必要である。