遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

夫婦って...何だ?

今日は日誌ブログを更新して、明日の準備も万端 ♪
爪切りも終えた。
読書は今のところ1時間だけど、今日はなんとなくお疲れモードなので無理はしない。
読んでいるのは「不安のメカニズム」クレア・ウィークス著。
かなり面白い。
読了後、読書感想文を。
今のペースだと3日で読み終わるかな?


そしてやっとこさ、メインブログの更新!
やはり、これが現在の一番の楽しみかも?


今日は夫婦についてちょっと考えてみる。
バツイチの私にとっては、二度目の結婚だ。
初婚のお相手Tは田園調布出身で、私と結婚する少し前に独立して、設計事務所を構えるある程度の富裕層だった。
出会ったのは私がまだ19歳の頃。
Tは14歳年上でバツイチの34歳。
退学を繰り返して職にも就かず、家事手伝いでぼんやりとした日々を送っていた私を心配した叔父がどう交渉したのか、大手ゼネコンの事務員のアルバイトを探してきた。


断ることも出来ず渋々行ったアルバイト先の、正社員だったTと出会った。
今考えれば34歳はとても若いけれど、19歳の私から見ればおじさんにしか見えなかった。
身長180センチメートルの高身長でスーツを着こなす、静かに話す大人の男性には何の魅力も感じず、それでも誘われれば食事には行った。
何事も長続きしない私は三ヶ月ほどでそのアルバイトを辞め、Tともそのまま疎遠になった。
その後いくつかの学校にトライするも中退を繰り返して21歳の頃に、私は唐突に家を出た。


当時の私は2シーターのスポーツカーに乗っており、その愛車に乗ってドライブの途中でそのまま家に帰ることをやめた。
なんの計画もない、行き先も職もなにもかも全く決まっていない、気まぐれな出奔だった。
父のクレジットカードを持って家を出たから、しばらくは都内のホテルを転々としつつ、自由に過ごした。
その辺は父も抜かりがなくて一月も経たないうちに、クレジットカードの利用を停止してしまった。


父に捕まらないようにホテルを一泊ずつ転々と泊まり渡る毎日だったが、クレカが使用できなくなったと分かり、その自由にも終止符を打つ。
とくに焦りも感じずに、コンビニで求人誌を買い込むと、住み込みのアルバイトを探した。
見つけたのは赤坂のクラブの、ホステスのアルバイトだった。
時給は三千円で寮ではなく、四谷三丁目のママの自宅マンションの一室を無料で貸してくれるという。
駐車場までは貸してもらえないから愛車の置き場に困り、持ち主も分からぬ月極めの駐車場に適当に入れたまま放置した。
放置された愛車はナンバープレートから持ち主の住所を割り出した警察からの連絡で、父がレッカー車を手配して引き取ったという話は、二年間の家出から帰った時に父から聞いた話だ。


家出中は実に色々なことがあったが、その話はまたいつの日か。
今回は夫婦の話だ。


自宅に2年ぶりに戻った私は23歳になっていた。
当時の女性はクリスマスケーキと言われていて、25歳までに結婚しないと売れ残りだった。
現代の女性なら怒り出すような話も、当時は当たり前のように甘受する女性が平均だった。
23歳の私は彼氏も好きな男性もいなかったが、これといってになにも感じていなかった。
当時の私は感情を失っていて、なにかを深く考えることなど皆無だった。
その冬はスキー場でスキーインストラクターのアルバイトをして、それ以外の季節は家事手伝いというお馬鹿丸出しの生活をしながら、なんとなく生きていた。
そして24歳の時に、偶然Tと再開する。
正確にいうと偶然再会したのはゼネコン事務所のパートのおばさんで、今では名前すら出てこないが、なぜか私を可愛がってくれていたバツイチの女性だ。
当時の私は年上の人たちから何故か知らねど、よく可愛がられた。
いくら可愛がられても、いくら良くしてもらっても、何の感慨も湧かない、無感情の人だった。


そして偶然に出会ったそのおばさん(おそらく30代だから、今思えばおばさんとは当然言えない)は、私にこう言った。
「突然、辞めちゃって連絡もしてこないから、Tさんと心配していたのよ。いつもTさんとYちゃんの話をするの」
え?何で?
正直、そう思い、若干気持ちが悪いとまで思った、非道な私。



ここまで入力したら、今の夫が帰宅したので、この話はまた後日。


また後日と宣言しても、そのまま続きを書かずに放置することもありますが...。


見直さずにアップするので、きっと後から修正します。


それでは、また!