遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

Believe

今日は事前予約していた就労移行支援サービスを行う事業所に出向いた。 精神障害歴が20年弱になる私ではあるが、障害者の支援を行う行政機関への関わりを、できる限り避けて過ごした。 

初めて私が入院した精神医療施設は、太宰治も入院したというThe精神病院で、この施設で精神保健福祉士と初の対面を果たすこととなった。私は、あの時の衝撃が未だに忘れられない。この頃すでに社会人だった私は、人間の上下関係を知らぬわけではなかったが、あれほどの絶対的な上から目線に直面した経験がなかった。

 

精神病患者たる者は、これほど無能なバカ女から不当な扱いを受けても、ジッと耐え忍ばなければならないのか。

 

すでに1ヶ月間の精神病院での入院を経験した後には、精神病院の治療者側の人間に逆えば、どれほど屈辱的な状況に追い込まれるのかを痛いほど学んでいた。

ちょっと意見を言えば薬はガンガン増やされるし、逆らえば直ぐに保護室行きだ。下手すれば拘束具で身動きが取れなくされて、トイレすら行きたい時に行けない。拘束を解かれて自由に動けるようになっても、保護室の片隅に設置されたトイレにはドアなどなく、誰にも見られたくないその姿も監視カメラから丸見えなのだ。

これはもう人間の尊厳など、微塵もない。いやもう、むしろ人ですらない。これほどの屈辱も、当然のことと受け入れなければならなくなった己の全てを呪った。

 

すっかり飼いならされた私は当時、精神医療機関に携わる人間に対して、ヘラヘラと愛想笑いすら浮かべて、卑屈な対応をする身と化していた。以来、入院を余儀なくされる非常時以外は極力、そういった関係者との関わりを避けて生きてきたのだ。

 

この20年間で、精神疾患への考え方も変わったようで、少なくとも表面的にはあからさまな差別はなくなったようだ。関係する全ての人が変わったとは言いがたいけれど、精神障害者に対する理解努力や、真剣に向き合う姿勢を持つ従事者と出会うことで、私自身の彼らへの疑念も薄れたようだ。

 

あの医療機関での9ヶ月間は全く無駄ではなかったのだと、今日つくづくそう思えた。避けて通って、知ろうともしなかった障害者支援を、今さら受けてみようと考えていること自体が、私には奇跡だ。20年間焦がれ続けて、やっと辿り着いたその医療機関に短期間で夢破れ、再び根無し草となった私がこの歳になって今、思い悩まずそこへ向かえたのは、もちろん経験値であろうはずもない。いくつもの偶然のような必然がつながりあってそこへ導かれた、としか私には言いようがないのだ。




山手線は嫌いだ。

地下鉄と違って窓があるだけ開放感があると言う人を否定しはしないけれど、開けた窓の向こうに広がる小さな風景を決して美しいとは思えない。だいいち風を封鎖した透明なだけの窓ガラスには、なお一層の閉塞を感じてしまう。その上あの、時間を問わない混雑ぶりにはますます辟易するばかりだ。

地下鉄ならば、ある程度の時刻調整で暖和できる密着も、あの緑の線では不可能だ。その沿線にあるその施設へ通うのは、対人恐怖症の私にとっては一つの試練とも言えた。この20年で障害は重症化の一途をたどる。なんとか引き返したいと思えば思うほど、普通の日々が遠ざかっていく。敢えてその沿線を選んだのも乗り越えたい一心で、のんびり時が解決すると誤魔化すだけの時間も、刻一刻と終焉に迫るばかりという焦りからだ。

 

営業職でせせこましく、都内のあちこちを周っていた頃に訪れたことのあるその駅に、降り立ったのは何年ぶりだろう。整然と都市化を続けるこの東京の、しかも山手線沿線にこれほどの面影を残す駅がいくつ残っているだろう。

懐かしさすら感じるその駅の、どこにでもあるチェーンカフェで約束の時刻まで時間を潰した。

 

年齢的に真夏の直射日光は避けに避けていたけれど、9月も半ば過ぎなら不要と思った日傘が必需品と後悔しながら、残暑の中をその施設に向かって歩く。23区とは思えない、地方都市のような路地裏にその施設が入った集合ビルはあった。路地に面した一階の狭い間口の左右に設置された監視カメラが、ここが一般ではない人々の集う特殊な場所であることを告げる。いよいよ一般から遠ざかる自分を頭の隅に追いやりながら、あくまでも普通人のように背筋を伸ばしてドアを押した。

 

目前の視界を遮ったパーテーションの、「30分前の入室はできません」と書かれた小さな張り紙が目に飛び込む。ますます一般との隔たりを強く感じながら、意を決して奥へ進み出来るだけ明るい声で「こんにちは」と小さく叫んだ。その直後、手前の島に座る数人の視線がこちらに移ることを感じる。相変わらず私ときたら緊張を払拭する技巧で、対象以外の全てをシャットアウトしているから、電話で話した女性であろう人しか目に入らない。案の定、その女性が席を立ち、にこやかに小部屋へ案内した。

 

通されたその小部屋で簡単に名乗り合ってから、書き込むべき書類と私を残してその女性は去った。記入すべき内容は考えずとも書き込める項目ばかりで、私はこともなくスラスラと書き進んだ。最後の項目に手が止まる。私にとっては初めて問いだった。

「困っている時にどうして欲しいですか?」

私は困っている時に、人に助けを求めるのが下手だ。いや、むしろ助けを求められない。助けを必要としていることすら自覚しないことが多々ある。一人で勝手に思い悩んで悩んだ末に自然に抜けられれば大成功だし、下手をすれば狂う。狂えば精神病院へ入院となるから、入院する前に考えることを停止する。狂う前に悩みから逃げ出すのだ。

 

「状況によって異なりますが、声がけして欲しい時と、距離を置いて欲しい時があります。」

思考が止まってしまい、このままではタイムアウトとなるので、なんだか曖昧なことを書いて終わりにした。

書き終わると、まるで見ていたかのようにノックが響いた。返事をすると先ほどの女性が顔を見せた。愛嬌のある丸顔が邪気を見せず微笑むから、私の警戒は一気に消え去った。

 

1時間強の面談時間の予定が3時間近くになったのは、私が話過ぎた結果だ。この女性の人柄故か、それとも私の話したい欲求故か? 

初めての就労支援移行サービスは恙なく終了して、すっきりとした気分で家路に着いた。

この後、4か所の施設を予約していたが、全てキャンセルしてこの施設に通うことに決めた。通所までに申請から1ヶ月を要すると言われたことも決心した理由の一つではあるが、胡散臭いと言われてしまうだろうが、流れを感じたから。

 

おそらく私は本来、信じやすい人間なのだと思う。単純で愚かしい。そんな私が用心深くなったことは、悲しむことではないだろう。用心深くなったとはいえ、信じたいと思う気持ちが未だに大きいのだ。あれほど焦がれて、変わってしまったことを嘆いて、自分でも意外なほどショックを受けた後、またこうやって信じたいと思える人たちに会える。

 

精神医療への大いなる夢や希望、信念を持ってこの世界の従事者の一人となったであろうあの人が現在、すっかり変わってしまったとしても、彼の元へと集まった多くの変わらぬ想いを持ち続ける方々に出会えたこと。これ以上、人に何を望むだろう。

 

自分を信じること。まずはそれで十分だ。

自分を信じられるから、人を信じられる? 

信じさせてくれる人に出会えるから、自分が信じられるのだ。