くだらないブログ? くだらない人生って?
ブログを始めると途端に、情報が一気に傾れ込んでくるね。
そうすると思い悩んで眉間にしわを寄せて考え込んでいても問題解決にならないと、
すっかり諦めて置き去りにしてしまった、たくさんの問題たちが再燃する。
解決の糸口が見つかったかもと大きな喜びを感じたり、
選択を間違えていたのかと迷いが生まれたり、
影響を受けやすい単純な私と、頑固で猜疑的な私が鬩ぎ合う。
読むだけでワクワクと心躍ったり
へぇそうなんだと関心したり
単純に面白くて笑ったり
胸が締め付けられたり
私は私自身に興味があるのと同様に、私以外の人間にとても興味がある。
その人のバックボーンを知りたいと思うし、
その人が今なにを考えていて、何故そういう結論に至ったのかを知ることも面白い。
なにやら分からないけれど、そのブログを訪れるだけで
包み込まれるような、ふんわり優しい気持ちになれたり、
うわーその上から目線はなんなんだ?
一体あなたの何を持って、そこまでの過剰な自意識が生まれてくるのさ?
と、ムカつきながらもその人間形成に迫りたいし、
ほぇ〜その実態を感じられない気取りっぷりはネット上でのハリボテなんじゃない?
本当の生活をのぞいてみたいな〜
実情がポロリと溢れるその瞬間を見逃したくはないから毎日チェックしてみたくなったり、
この人は良い人だよね? どうなの? あれ? けど悪い人なの? どっちどっちどっちなの?
なんてすっかり白黒思考に走って、ハラハラするのも悪くない。
これほど高潔で素晴らしい志があるんだって衝撃的に感動したら
その意志へ行き着くまでの経緯や、行く末にまで興味がわく。
知的に冷静に、感情を交えずに、淡々と論理的に、理論的に、合理的に意見を述べてを論点を明確にし、その論点に気づかなかった他人にまで影響を及ぼすくらいの能力を持つ人には瞠目するし、これからの活躍が気になって仕方なくなる。
言霊って本当に影響するのかな? って疑問に思ったら実行してみるし、
それって効果あるの? って興味を持ったら試したくなる。
少し前に9ヶ月通った病院の精神科医は Wikipedia にも載るくらいの著名な人物で、彼の著書を私は20年近く前から愛読していたから、すっかり彼に傾倒していてその先入観が故に、彼の俗物的な部分を知るにつけ興醒めしていったな。
彼はけど、面白いことを言うんだよね。
実に独特な考えの持ち主だったな。
短い期間ながら、彼の発言には大いに驚かされたよ。
以下はWikipediaからの引用
2014年のインタビューでは、「AC(アダルトチルドレン)じゃない人なんていないからね。大体の人の親は、変でしょう。問題のある親で、だからこそ個性ができてくる。不満が無いと、欲求が生まれないじゃないですか。欲求不満が自分を創る訳でしょう」と述べ、誰もがアダルトチルドレンであり、母親は子供の欲求をすべて満たそうとしてはいけないと語っている。近年では、アダルトチルドレン・ブームから派生した「毒親」という俗流心理学的概念にも言及している。
そして彼はね、こう言ったよ。
「親は自分の子どもをいくらでもぶん殴ってもイイんだ。そうやって子供は育てられるんだ。それじゃなきゃみんな動物になっちまう」
虐待親に育てられた私には衝撃的だったなぁ、この一言。
こうも言ったな。
「発達障害、発達障害ってあんたたちは大袈裟なんだよ。そんなの大人になったら関係ないだろ。それは障害ですらない。大人になれば大抵は普通に生活できるようになる」
そうなの?
良いことも言うよ。例えば、
「障害者はそのまま治す必要なんてないんだ。その個性を生かして生きていけるようになればそれでイイ」
うん、この意見には私も激しく同意する。
その病院のデイナイトケアには感情の出し方を訓練するようなプログラムもあって、人間には多くの感情があることを教えていたよ。
苦しさも悲しさも辛さも、憎しみも恨みも、妬みも軽蔑も、
どんな醜い感情だって全てひっくるめて私の一部で、それが私を形成しているんだ。
美しいプラス感情だけの持ち主なんて、薄っぺらでちっとも人間味が感じられないんじゃない?
その胸の内を覗かせてみろ! って言いたくなっちゃう。
苦しいときは苦しいって言えばいい。
悲しいときは泣いていいんだ。
辛かったらのたうち回ればいいし、
楽しい気分のときは思いっきり楽しめばいい。
浄化されたような気分になったら清々しさをすんなり受け止めて、
感動には胸を躍らせればいい。
多くの感情を持っているからこそ、人生の素晴らしさを感じて受け止めることができると思うんだ。
苦しみを知らない人は、可哀想だと思うよ。
悲しみを知らない人は、冷たいんじゃない?
辛さを知っているから、人に手を差し伸べたくなる。
憎んだり、恨んだり、そういう感情を持てるほど、その人には感じる心や、人に対する真剣で一途な思いがあるんだ。
妬みも軽蔑も、人が生きていく上で大切な感情の一つなんだって。
ACはさ、自分の感情が見えなくなっているみたいから、その湧いてきた感情がどんなものなのか、なぜそういう感情が生まれてきたのか、冷静に外側から観察してみるといい。
そこのデイナイトケアには認知行動療法や交流分析、ハコミセラピーまであって、保険診療で自立支援制度の指定医療機関でもあった。残念ながら赤字ということでデイナイトケアは終了してしまったけれど。
あの病院はね、私はあわなかったから転院した今も未練はないけれど、行ってみて良かったなって心から思う。何ごとも知らないより知っていた方がいいって私は思っているからね。
そして、こうやってブログを再開する気持ちになれたのも、あの病院の反逆者と言っても過言ではない、『ぼそっと池井田氏のブログ』で彼の生き方に触れたから。
就労移行支援を受けてみる気になったのも、あそこで素晴らしい精神保健福祉士に出会えたから。
ねぇ、真に悪意があって行動する人は、どれくらいの割合で存在するんだろうね?
いくつもの思考
いくつもの意見
いくつもの主張
いくつもの過去
いくつもの失望
いくつもの挫折
いくつもの絶望
いくつもの人生
いくつもの欲望
いくつもの希望
いくつもの夢
たくさんの優しさ
普通に生活していたら私には私分の人生しか経験できないからさ、
他人の人生を知ることは知識が増えることだと思ってるよ。
だから、
くだらないブログなんて一つもない。
どんな底辺を彷徨っていても、くだらない人生なんて一つもない。
私はそう思うんだよ。