遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

オープンダイアローグ

精神疾患を持つ者が精神保健福祉士取得を目指すなど、馬鹿げていると思われる方もいらっしゃるかも知れない。しかも、その歳になって何ができる? 単に資格取得趣味と批判する声まで聞こえてきそうだ。

 

私が精神保健福祉士の資格の取得を決意したのは、オープンダイアローグに参加したいと思ったことが切っ掛けだ。フィンランド発祥のこの精神療法は、入院や薬剤を極力使用しない点が特徴の、統合失調症うつ病、引きこもりなどに大きな成果を挙げている治療だ。オープンダイアローグは現在、日本でも注目を集めている精神療法の一つだ。

 

 

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上記で紹介されているオープンダイアローグチームでは、医師、看護師、心理士、家族療法・トラウマセラピストの5人の専門職で構成されているが、精神保健福祉士もこの治療に参加できる。医師や看護師や心理士を目指すのは、現状の私には現実的ではない。それでも精神保健福祉士であれば、努力によって全く不可能ではない。


私は約18年間に渡って精神障害者として生きてきた。20年程前の初めて精神病院へ入院、そののち診断された統合失調症という病。後に誤診であったと主治医から告げらるが、約3年もの間、精神病者として失意の中で過ごした。その当時の世間においての統合失調症への偏見や差別はひどいもので、私はずいぶん肩身の狭い思いをしたものだ。現在では双極性障害おそらく1型であろうと診断される私は、再発防止のため一生涯精神科での治療を余儀なくされることだろう。

 

私の生い立ちは、私にとって非常に厳しかった。アルコール依存症で子育てを放棄した母からのネグレクト、日々繰り返される両親の暴力を伴う激しい夫婦喧嘩、母からの精神的虐待、父からの躾と称する折檻を受けながら成人した。恐らく中学時代にうつ病を発祥したが、父の判断で内科を受診、内科的な病気と診断。通学を強要された学生時代。強要される通学で長期に渡る引きこもりは許されなかったが、不定期で短期間の引きこもりを私は何度も経験している。

 

あのころ私の精神状態を理解する大人は皆無で、辛く苦しい日々を送った。

あの段階で、理解者と出会い治療を受けられたら? 

親身になって話を聞いてくれる相談相手が一人でもいたら?

もしかしたら私の発病はなかったのではないか?

どんなに悔やんでも過去は変えられないし、発病前にも戻れない。

 

だから私は今の自分にできること、

今の自分だからできることで、苦しみ悩む人々との関わりを持ちたいのだ。

回復する人々を、この目で目届けたい。