遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

涅槃さんのこと、これからのこと。

十年近く前にしていたブログで出会った人たちのことを、たまに思い出す。
心から好きだった人もいれば、なんとなく苦手と思いつつもやりとりをしていた人もいて、
私がよく思い出すのは心から好きと思えた人たちだ。


涅槃さんとの出会いの経緯は忘れてしまった。
どちらからのアクションだったろう?


アメーバーブログは読者申請後、承認されると読者となる。
そのひと手間が原因の一つでもあるのだけれど、私としては、いや肯定感の少なめの人なら、承認されないのではないかという自信のなさ故に読者登録の申請ができなかったのではないか?
よって読者登録せずにやりとりを重ねることは、案外多かった。


実に様々なタイプの方とのやりとりがあり、バックボーンも趣味も好みもブログの手法も多種多様で個性的だった。
いずれのやりとりも、それぞれの楽しさがあった。
比較するものではないが、若き日に小説家になりたかった私としては、小説家志望の、もしくは過去そうだった方とのやりとりが非常に刺激的で、今でも深く印象に残っている。


涅槃さんはその一人で、彼女とは互いに読者登録せずに長くやりとりを続けていた。
二年ほど前までは残されていた涅槃さんのブログは、今はもう削除されていて私にはその存在の行方を知るすべがない。
現在のアメーバーに「涅槃」というブログ名の方を見つけはしたものの、男性らしいので私の知っている涅槃さんとは別人と思われる。
アメーバーでブログを更新するのをやめてからも、私はごくたまに涅槃さんやラッコさんのブログを覗きにいった。
かつて交流のあった人の変わりゆく姿は、どことなく違和感を覚える。
それに加え外部から覗き見る継続される更新に、もう部外者となった疎外感への少しの淋しさがある。
しかしながら、それ以上に感じる懐かしさで暖かな気持ちになるのだった。


あの頃やりとりをしていた方のブログのほとんどが現在では削除されているが、本を出版しプロとして現在も活躍なさっている方がお一方だけ確認できた。
当時の私がほのぼのと気軽にやりとりを続けていたのは、どちらかと言えばメインブロガーの方ではなく連れの方。
まんま「ツレちゃん」がブロガー名なのだけど、なんというか彼のふわふわっとした優しと可愛らしさが滲み出る文章や「かいわれ」の成長記録が、私の心を隅々まで癒した。
メインブロガーの方ももちろん素敵な人なのだけど、どうも恐れ多くてやりとりには若干気が引けてしまうのだった。


このお二方のブログは今では他のブログサイトに引越しを済ませ、現在もブログ更新を続けておられる。
その存在を知ってはいても、私からは何のアクションも起こせずに過ごしている。
覚えていてくれたら嬉しいけれど、忘れられていた時の悲しさを考えると、とてもじゃないがこちらからアクションなど起こす気になれない。
そんな勇気は私にはない。


この「はてなブログ」でブログをなさっている多くの方々にも、恐れ多い感を抱く「プロですか?」と見紛うがごとき完成度の記事を更新なさる方々が少なくない。
ACには様々なタイプがある。
自己顕示欲の高すぎるタイプもいれば、自己肯定感が低く自信が持てず気後れしやすいタイプもいる。


私はよく前者に見られるが、実は後者だ。
自己否定感の塊だった私が、周囲の人々のおかげで自己肯定ができるようになってはきたものの、やはり長年連れ添い馴染んでしまった自己否定感から、そう簡単には脱却できない。


おそらく私の根っこにあるのは、けっこうなお調子者だろう。
けれど、それでも育った環境やその後続く他者からの攻撃により、そのお調子者の芽は無残にも毟り取られ、粉々に踏みつけられた。
粉々に壊れた陶器のかけらをつなぎ合わせるように、なんとか形らしきものになった継ぎ接ぎだらけの自己肯定感は、非常に脆く崩れやすい。
ほんの少しの刺激でも、スコールみたいな自己否定感が襲来して、自己否定の塊へと舞い戻るのだ。


たくさんの愛を受けて、確立する揺るぎない自己肯定感とはわけが違う。
それはまさに嵐までとは行かぬ、強めの風で吹き飛ぶようなあばら家のようなものだ。
いやもしかするとそよ風が吹いただけで、ふわふわと飛散する綿帽子並みかも知れぬ。


まぁそんなことは今回はどうだって良い。
ん?良くもないか?
これはこの記事には関係性があるのだから。


そうそう、そうなのだ!
本日この記事のメインは涅槃さんのこと。


涅槃さんね、そうなんだよ...
似たブロガーさんに出会っちゃったんだな、これが...このはてなブログでね。
なんでか読書登録してくださったの。


お邪魔したら...「はぅぅっ、なんだろ?この感じは...」とね...
そいでもって私ときたらドキマギしながらコメントを書いちゃったんだな...
いや私だって、初めてお邪魔したブログには、滅多に即コメントはしませんよ?
だってほら案外臆病ですから、私。
あーもーこりゃ書かずには去れん!という、なんだかそんな気持ちになる時があるのですよ。
でね、その方のブログ記事はなにか引っかかるものがあって、ついコメントしちゃったんだな...
そうしたら嬉しいことにコメント返しをいただきまして、
それでつい調子に乗ってムッサたくさんコメントしまくっちゃったのよね。
で、ハッと我に返って途中で退散。
よく知らん奴から、いくつもコメントもらって嫌な気分にさせてしまったらどうしようか?と...猿の反省に入った私。
でね下記のブログを書きかけたのです。

昔やっていたブログで出会った涅槃さんのことを、
私はたまに思い出す。


そしてつい数日前から、繰り返し彼女のことを思い出している。
それはとあるブロガーさんの記事を拝読したことから始まった。

そうあの日、ダークな気分から突如としてハイに転じた私は、
新しく読者登録してくださった方々のブログ巡りを再開したのだった。
ここしばらくよそ様から受ける刺激に対する抵抗力が低下していたため、
馴染みの方々のブログサイトにすら足が遠ざかっていた。
そんな私が新しい刺激に耐えうるはずもなく、この一ヶ月近くの間
読者登録していただいても完全スルー、見ない気づかないふりをして過ごしていた。
もうなんか、人と関わりたくないし、
今やりとりしている方だけで十分だし、
これ以上広げると大変だし、
と、やたらと閉鎖的な気分で過ごした。


けれど、あの日の私は違った。
好奇心がメキメキ湧き上がってしまった。


そして...あれ?
なんか、これってデジャビュ
ん?初めての気がしない...。
いつかどこかでお会いしました?

あ!涅槃さんだ!
涅槃さんでしょ?


って、あれ?
全く年代が違うってことにハタと気づく。


ノリノリ気分でその方の記事にコメントしまくった後、
涅槃さんとの出会いを辿るために昔のブログを最初から読み返してみたら、
あまりの誤字脱字おかしな言葉遣いと意味不明さに打ちのめされてしまった...。
やだな...穴があったら入りたいとはまさにこのことだわ...。


涅槃さんのブログはとうに削除されて、どこにも存在しないのよね。
涅槃さんは現実的なお方だったから、過去のご自身の過去ブログが恥ずかしくなってしまったのかも知れない。


ブログを長く続ける特徴...
平気で前言撤回できる恥知らず加減が重要なのかも?
己のアホさ加減に愕然としても、そのうち忘れ去れる能天気さとか?


恥知らずな私は、恥で死ぬんじゃないか?と一瞬思うけれど、
数十分で立ち直る。


そして、調子に乗って涅槃さんと重なる部分をコメントしまくった自分を抹殺したくなるほど、
今、恥じております。


削除しに行こうかな...
なんか脱字もあったしな...

◆『遠い箱』ダッシュボード>記事管理>下書き より引用


上の記事を書き始めたときは、今回のブログタイトルと共通項のあるタイトル「涅槃さんのこと。」だったのね。
けど、あれね...昔のブログ読んじゃったのが影響して、自分の過去ブログのアホっぷりに打ちのめされるってそりゃもう気持ちのやり場がないわけで...タイトルは「人間失格」に変更してみたりしたのです。
これはもう自損事故ですからね、しかも自賠責入ってないってば...っていう感じの落胆ぶりだわぃ...。


そしてね、もう気力の限界っていうんですかね?
これ以上、私にはこのブログ記事の続きは書けない...とりあえず今日のところはここまでにしておいて、下書きに保存しておこう。
そして気力を回復してから続きに取り掛かろう...とね。


けれどなんだ?
けっこう刺激のある日が続いてしまったから、ダメージが次々とね...上の記事を書くほどの気力はとうとう戻ってこなんだ...。


そして今、挑んでいるのです。
私にとってのポスト涅槃、いつまでも過去ブログ引きずってないでね、新しい世界に馴染むための第一歩が貴女との出会いなのです。


言葉は難しい。
そして伝える方法の選択は、更に難しい。
どこかの全く違う人に向けた言葉でも、曖昧すぎるが故に、繊細な私たちの心に刺さる。
だからできればシンプルに単刀直入に当事者へ向けてキッパリとハッキリと表現できれば良いのだけれど、ブログとはいえ公に開かれているこの場所で、揉めるのもスマートではないのでね...どこの誰が見ているのか分からないから言葉を選ぶ。
けれど選んだ言葉が曖昧すぎて、本来大切に思う人たちを傷つけてしまったなら、それはもう本末転倒だ。


もしももしも私の不用意な誰に向けたか分からぬ不安になる言葉で、貴女を傷つけてしまっていたとしら、ごめんなさい。
けど、あれは貴女や、無言でそう望む奥ゆかしい気持ちを持つ人々へ向けての言葉ではないのです。
あからさまに直言されたら、だって断れない人も中にはいるわけで...
また大人のおおらかな表向きの対応も、実はキリキリとした胃の痛みを伴っていたりもするってことをね、
なんというかドカドカと平気で踏み込んでくる人にね、少し遠くから言ってみたのです。
けれど、こういうやり方もなんだかね...遠回しすぎた。


そういう人に、ここへは来てほしくなかったのですよ。
直接本人にコメントできるほどの気力がなくて、
けれど、当事者にはコメント拒否設定を試みたりはしているのです。


これね、この記事、読み返すときっとどんどんカッコつける方向へ進んでしまって、
なんだか体裁だけ整えて本当に言いたいことがぼんやりとしてしまいそうなので、
読み返さずに更新します。


誤字脱字、おかしな言い回し。
笑いたい奴は笑えばいいさ〜
今、伝えたいの。
今、この時に。