遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

怒濤の二日間 ⑶

前回の続き。

r-elle.hatenablog.com


私は自宅のお風呂だと、ゆっくりと寛げない。おそらくそれも生育歴からくるものだ。
穏やかだった父は年々気難しくなって、私が中学生の頃はいつも眉間にシワを寄せて、まるで仁王様のような形相をしていた。


女子中学生といえば、オシャレに目覚めて、ファッションが気になったり、お手入れに勤しんだりするものだ。
奥手だった私とてどうしたって入浴時間が長くなる。
若干色気付いた女子中学生の入浴タイムは、入念なお手入れに時間を要するのだ。
トリートメントにボディマッサージ、ゆっくりと湯船に浸かりながらする美容体操。
それから何と言ってもロングヘアーに欠かせないのは、シャンプー後の十分なすすぎ洗い。


入浴に時間がかかると父が浴室の前で怒鳴るのだ。
「おい!Y美、いつまで風呂に入ってるんだ?! 風呂場で一人で何をやってるんだ?!」
「いつまでシャワーを流してるつもりだ!いい加減にしろ!」
等々...。


だから私は湯船になどゆったり浸かっていられない。
いそいそとせかせかと、すべきことを手早く済ます。
湯船に浸かる時間があったら、マッサージがしたい。
シャンプー後の十分なすすぎは諦めても、せめてじっくりとヘアパックをしたい。
なんだかいつかTVで観た囚人の入浴みたいな有様で、無心で作業を進めるのだ。


その癖が身についてしまっていて、自宅のお風呂ではのんびり出来ない。
誰も急かす人はなくとも、慌てている自分にふと気づくのだ。
湯船に浸かっていてもドキドキと動悸がして、ゆっくりとなんてしていられない。
そんなんで自宅で浴槽にお湯を張るのがなんだか勿体なくて、基本的にはシャワーしか使わない。
ちなみに夫は大抵は、局で入浴を済ませてくる。


だから私はフィットネスクラブの浴室や、スパや銭湯が好きだ。
公衆浴場でなら、ゆったりとした気分でのんびりと入浴タイムが楽しめる。


この日は東京ドームでのイベントだから、ちょっと贅沢にラクーアに行きたかった。
けれど失業保険給付の終わった今の私に、ラクーアは贅沢に過ぎる。
そんなわけで私は、この日お休みだった夫と二人で銭湯へ寄ってから、東京ドームへ行くのも良いな、と考えていた。
この提案をすると夫は、素っ気なくこう即答した。
「俺は今日は風呂はいい」
一人なら休みの日は銭湯へ行くくせに...この人ときたらいつもこの調子だ。


さいざんすか?
ならば私一人で銭湯へ行きますわぃ!


「待ち合わせ、何時頃?」夫が聞く。
「え?時間決めなきゃいけない?」
「そりゃそうだろ?」
「ぶー、どうせ暇なんでしょ?東京ドーム付近で探索してれば良くない?」
いつもなら一人でぶらぶらするのが好きな夫だから、この提案はナイスだと内心思う私だったが...
「え?俺今日はすることある」
「なに?することって、どうせいつものあれでしょ?」
「いや、今日は日報書かなきゃ」
...おいおい、日報に何時間もかかるんかい?ツッコミたい気持ちをグッと堪えて、出来るだけ普通に言う。
「ふーん、じゃ17時半頃かな? もっと早く行けるかも?早めに終わったら連絡するから、いつでも出られるように支度はしておいてね」


人が待っていると思うと、やっぱりゆっくり入浴なんてしていられない私は、予定した時刻より早めにお風呂から上がり、16時半に夫にLINEした。
『今、お風呂から上がりました』
『すぐ出ます』と夫から返信がある。
念のために到着時間を確認してみると17時10分には着くと返信が届いた。
私の到着予定時間は17時。10分くらいなら待つのも致し方ないだろう。


そして17時10分になっても何の連絡もなく、東京ドームの待ち合わせ場所に現れない夫にLINE『今どこにいるのか』問い合わせると、何と池袋だと言う。
まだ池袋って...お風呂上がりで寒空で下で待つ者の身になれない、夫に腹が立つ。
『じゃ私は先に入ってるから』と返した。
『もうすぐ着くよ』と夫。
イラっとしたがグッとこらえて『はい〜』と返した。
17時半過ぎに呑気な顔をしながら、ゆっくりと悠々と近づく姿がこれまた気に触るが、さらにグッと堪えて「寒かった」と言ってみる。
なんの返しもない。
あ〜もう、この人はこういう人なのよね...と諦めた。


ゲートを潜って入り口に到着すると、不快は一気に飛び去った。
白く輝くライトが会場を明るく照らす。その真っ白なライトを浴びて浮かび上がる会場。
犇めく人々の喧騒と熱気と興奮が、私の憂鬱や怒りを吹き飛ばした。


まぁイイよね? 今日は思い切り楽しもう!


続く列に順って長い階段を降りる。
人混みをかき分けてAのブースへ進む。
そしてAの大きな後ろ姿が、私の目に飛び込んだ。


臨時雇いのアルバイトの女の子が、私と夫に気づいて小首を傾げる。
私はその子に笑いかけて無言でAを指差す。
女の子はコクコクと頷いてAに知らせようとするから、私は唇に人差し指を立てて当てると『しーっ』と合図した。
女の子は再び軽く頷いた。


私はAの背中をニヤニヤしながら見つめる。
いつ気づくことやら?
間も無く振り返ったAが、一瞬驚いた顔をしてから照れ臭そうに笑った。


細かい描写はこの辺で終わりにしよう。
夫と私はAとの再開の挨拶を交わして、Aオススメのおつまみをいただく。
一旦売り切れとなり18時再販予定のストラップを買いに、私は席をたった。
ストラップを購入して席に戻ると、Aからいただいたおつまみは紙皿からほとんど消え失せていた。
「え?なにこんなに一人で食べちゃったの?」
「お前、なかなか帰ってこないから」
「や、10分も経ってないじゃん?」
「そんなことない」
「まぁイイや...じゃ残ってるのは私ね」
そう言い残すと、Aのブースへ急ぎおちょこを差し出して一杯目の日本酒。


そしていよいよ会場の探索だ。
ワクワクが止まらない。


え?広場恐怖症は?って?
ふふふ♪ 群衆の中に混ざって、私が私として誰からも認識されず、また私自身も他者を意識せずに溶け込んでしまえれば、どんな場所でもどんなに混み合っていても平気になってしまうのだ。
けれどそこに意識を向ける人、例えば怒り狂った人とか、マナーを破る人とかが居ると途端に人を意識しだして緊張が始まる。
こんな風に、楽しむためのイベントに集まる人というのは、大抵が上機嫌で楽しそうだから、人が気にならなくなる。
人が気にならなければ、自分自身からの意識も消えて、リラックスできるんだ。
そんな時の私は、他者から見たらかなりハイテンションではあるけれどね。
知らない人にどう見られても私は気にしない。


で、この日も上機嫌になった私はこの『ふるさと祭り』を目一杯楽しもうと、目をギラギラさせて次の対象店舗へ急ぐ。
出店者に日本酒の説明を求めて、初めて会う人との交流が始まる。
こうゆうのが楽しい。
知らない人と触れ合い、ここに参加しなければ出会うこともなかったであろう人と交わる瞬間。
その瞬間で終わる、赤の他人と共有するひとときを心存分に楽しむのだ。
興奮した面持ちで振り返り夫を見やると、なんとも不機嫌なつまらなそうな顔と出会った。
途端に意気消沈して、やはりこの人と来るべきではなかったと後悔した。


その後、喫煙したがる夫を巻いて、私は一人で会場を回った。
楽しもう。楽しまなきゃ。楽しむんだ!


そして私は一枚の写真も撮っていないことに、ふと気づいた。
ああ、私は楽しんでいるふりをしている。
そのことに気づいたら急に悲しくなった。


この会場の犇めく人混みの中で、私が今感じている孤独を同じように味わっている誰かを思った。
それは夫だったり、Aだったりもするだろう。


なぜ私は、あの時に夫を選んだのだろう?
私の選択は間違っていたのだろうか?


私はこれから先、夫と過ごす時間の中で、これほどの孤独をどれだけ味わうのだろうか?


それから私はAの仕事が終わるのをAのブースの中で過ごして、先に会場を出ていた夫と落ち合わせて三人で飲みに行った。
酒がすっかり弱くなった夫が呂律の回らない口調で、Aと私の会話に入り込む。


どこかで見た光景だった。
思い巡らさずともすぐに浮かぶ、それはあの原家族での食卓の光景だ。
私が父と話していると必ず、母や妹が会話の主導権を握ろうと、無理やり別の話題にすり替えていく。
どうして会話がひと段落するまで待てないのだろう?
もしくは会話に然りげ無く入ってはこれないものか?
そうやって会話の主導権を握りたがる人の気持ちが分からない。
結局、複数名の中で聞き役に徹するのは、私の役目になる。


そうやって終電を逃して、ラクーアで一泊して、眠れずに朝を迎えて、一睡もせずに就労移行支援事業所へ向かった。
胸の奥に重くつっかえた何かがあって、変な胸騒ぎと
急激に人目が気になりだして、バックに常備しているマスクを取り出して、慌てて口元を隠した。
どこにも私の居る場所なんてない。
事業所のドアを開けたら振り返る人の拒絶する顔が浮かぶ。
私の存在を訝る人の中で、一日をどうやって過ごしたら良いのだろう。
私はまた必要以上に明るく振舞ってヘトヘトになった挙句、夕方からのSちゃんとの約束場所へなんでもない顔をして出向くのだろうか?


どうしようもない気持ちになって、どうしたら良いのか分からなくなって、私は就労移行事業所へ電話をかけた。
電話口に出たのは奇跡的に私の担当スタッフで、事情を説明しているうちに涙が止まらなくなった。
彼女は落ち着いた静かな声で相槌を入れながら、急かすこともなく私の話に聞き入る。
受話器の向こうから、彼女のゆっくりとゆったりとした気配が伝わってくる。


次第に落ち着きを取り戻した私は、しばらくカフェで休んでから通所することを告げた。
この日30分の遅刻をしても、また一睡もしていなくとも、就労移行支援事業所へ行って本当に良かった。
現在の私が一番落ち着ける場所は、この就労移行支援事業所かも知れない。
夫にはとても申し訳ないけれど、夫が不在の時の自宅も実に落ち着いて過ごせるのだけれど。


そうやって一睡もせずに、けれど無理もせずに終業時間を迎えて、これまた落ち着いた気持ちでSちゃんと過ごした。


眠らずに過ごした怒涛のような二日間も、後からこうやって振り返れば、充実した二日間だと思える。


「Mさんは一人悩みながらご自宅で過ごすよりも、ここへいらして作業をなさっていた方が落ち着くのではないですか?」
就労移行支援事業所の担当スタッフのその助言は、今の私には確かな事実だ。


思いつめるのはやめにして、少しだけ前を見て、今できることをしよう。
できることを精一杯やっているうちに、新しい扉が見えてくるだろう。
今日は今日のことを。
明日の準備は整っている。
あとは明日に備えて、ゆっくりと眠ろう。




おやすみなさい。
みなさま良い夢を!



長々とつまらぬ話を、
最後まで読んでくださって、
どうもありがとう!



ではまた。