遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

【疾病理解(双極性障害)】

去る2020年1月23日(木)、通所する就労移行支援事業所で行われたプログラム
【疾病理解(双極性障害)】は、私にとって実に有用な二時間だった。


私が精神科との関わりを持ってから実に25年、四半世紀の年月が流れた。
その間、診断名の変化は著しい。


初めて入院した時に言われたのは『心因反応』。
その時の主治医から「無理を続けると精神分裂病になりますよ」と釘を刺された。
無論、この私が大人しく人の助言になど従うはずもなく、その後も無理を重ねた末、2000年に2ヶ月の保護入院となる。
退院の2ヶ月ほど後に『精神分裂病』と診断される。
それから2年ほど後に『双極性障害』に診断名が変わり、その後も『気分障害』『統合失調気分障害』等々、約20年の間に私を診た一人の精神科医から与えられる病名は度々変化した。


一昨年の2018年10月から11ヶ月の間に通院した精神科医は私を診て、「明らかに統合失調症ではない」と断言した。
その後、2ヶ月ほど通院した心療内科で受けたテスト結果と問診で『双極性障害』と診断される。
昨年2019年10月から再び20年近くの付き合いとなる精神科医の元へ戻ることとなったが、彼曰く私の病状はどの精神病にも当てはまらず、言わば『M(私の苗字)病』とのことだ。


初めて私が精神病院に入院したのは1995年3月。
今考えればブラック企業と言える広告代理店での過酷な労働によるワーカーホリックに加え、私生活では15歳年上の家庭を持つ男性との不倫に悩んでいた時期だった。
当時の私は入院する二週間ほど前から、様々な妄想に囚われ始めた。
そして、いつしか幻聴も始まった。
その当時、企画営業をしていた私が使用しいた黒革のA4サイズのスケジュール帳、そこにはクライアントとのアポイントや様々なスケジュールがびっしりと書き込まれていた。
ある日の外回りの最中に聞こえてきた声。
「それが全ての元凶!今すぐ捨てなさい!」
私はその声に従い渋谷駅のゴミ箱にスケジュール帳を捨てると、会社へは戻らずに自宅マンションへ帰宅し、そのまま会社の無断欠勤を続けた。
その時分の私は、自分はもう死んでおり、死後の世界を彷徨っていると思い込んでいた。
そして3ヶ月の精神科への入院へ。


二度目の入院は2000年5月。
1998年に父が多発性骨髄腫で他界し、その後続く父の死後の対応、次々に起こる身内のトラブルで疲弊していた1999年、追い討ちをかけるように親友の自死が重なった。
疲労と自責の念に苛まれ、私は再び妄想の世界へ。
この時の妄想は1999年に地球は滅亡しており、人ではなくなった私が一人、レプリカの地球を彷徨っているというもの。
そして精神科へ2ヶ月弱の入院。


三度目の入院は、現在の夫と入籍した後の2007年。
その当時の私はSVとして生き生きと職務をこなし、人間関係も円滑で、精神的に大変安定していた頃だった。
それを壊したのはある掲示板での無記名の誹謗中傷だった。
勤務していた企業は元々2ちゃんねるにスレッドが立っていたが、私とは無縁の世界だと思っていた。
しかしながらある日、その掲示板に私の悪口が書かれたのだった。
その投稿を読んだ時のショックを、私は未だに忘れられない。
書き込んでいる人物はおおよそ見当がついたが、なんの証拠もない。
そして被害意識がどんどん深まり、信頼していた職場の人間全てを、疑わしく感じ始めるようになっていく。
被害妄想が始まり、職場の全ての人が私を敵対視しているように感じられ、最終的に出社できなくなり、休職の末退職。
期を開けずに転職したが、SV候補として入社した転職先で、派閥争いに巻き込まれ、再び人間不信に。
ここはたった3ヶ月で退職することとなった。
その後、専業主婦となった私は自宅にひきこもり、鬱々とした毎日を送っているうちに再び妄想の世界へ。
この時は世界中から自分が憎まれており、全人類が私を抹殺しようとしているという誇大妄想を抱いた。
この時の精神科への入院はひと月程度。


この入院の一年後の2008年の四度目は、自殺未遂の末一週間の入院。


五度目の入院は2013年。
夫の浮気騒動からしばらく後、専業主婦でいることに不安を感じ始めた私は、再就職を決めた。
いずれ一人でも生きていけるだけの収入を得たかった。
5年のブランクを経て選んだ就職先は、インセンティブを合わせると月収50万が見込め、100万を超えるパート社員も存在するという触れ込みだった。
実に怪しいその企業がネット上でも悪評の高いブラック企業と知ったのは転職後、ひと月ほど経った頃だった。
その宗教じみた企業概念に私の精神は再び蝕まれ、橋を渡った。
この時は、死後の私の概念が、過去の地球を彷徨っているという妄想に取り憑かれている。
1ヶ月の精神科への入院。


以来、私は自分の限界を超えないように、若干の調整をしながら生きている。
もう入院は二度としたくないからだ。
気分がハイテンションになり、自分自身の限界値に達する前に、無理せずに休む。
誰にも会う約束はせず、外出も控え、外部からの刺激を避けて、静かに一人で過ごす。


私を長く診る主治医は診断名をつけたがらないけれど、昨日のプログラム【疾病理解(双極性障害)】の資料にある症状は面白いほど私の症状と一致し、やはり私は『双極性障害Ⅰ型』なのだと納得した。
病名など関係ないと言う精神科医は少なくないようだが、当事者にとって所属感は意外な安寧に繋がるのだ。
座学に続く座談会の、自分と通じる経験や心の動きを持つ人々との交流はなんとも言えない安心感と共感を私にもたらした。


健常者の中で自らの異常に怯え、苦しみ悩み、それらを人に悟られまいと努力を重ねた日々。
緊張の渦中にあって、パニックを打ち消そうとする努力が更なるパニックを生む。
苦手と感じることが増える日々の中で、己の崩壊を目の当たりにしても何の手立てもなく、焦燥と嫌悪と苦悩で、身動きは愚か息がつまるほどの重圧感と圧迫感で生きているのが辛くなる。


この日の充足した二時間あまりの、同じ病を持つ者同士が真摯に向き合い、真実を語り合ったからこそ得られる一体感は、実に貴重な体験となった。