遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

眉間にシワを寄せてみたところで...一瞬後には笑っているかもよ?

ホッブズから言わせれば、人間は誰しも強欲な利己主義者であろうし、人間にとって最も重要なのは自己保存の欲望であるのだろうが、それにしてもここしばらくのマスクやペーパー類の買い占めをする強欲さにはうんざりする。
そんな風に一々怒りを覚える私自身も、十分に利己主義なんだけどね。


風邪をひきやすく、また一旦風邪をひくとなかなか治らない、下手をすると冬中風邪をひいている状態になりかねない私としては、毎冬のマスクは欠かせない。
その上、マスクで顔を隠さないと人前に出られなくなるという精神的症状の悪化も考慮して、マスクが自宅に常備してあるのは特別ではない。


それなのになんてこと!
この騒ぎでマスクが入手できない。


残りわずかになった貴重なマスクを無駄遣いしないためにも、仕方がなく結果的に週末の外出を控えるよう呼びかける政府の願い通り、この2日間は自宅で過ごしている。


読書に明け暮れるにはもってこいのこの状況。
昨日は頭休めに漫画配信サイト「ソク読み」で、無料漫画を読むことにした。
久しぶりのログインでまず、大きなショックを受けたのは、前日の2月28日の時点で5000ポイントの失効があったこと。
昨日ログインしていれば...と後悔しても後の祭り。


むちゃくちゃショックではあったが、これまた仕方ないと諦めて心癒されるであろう動物ものを選択することに。
期間限無料お試し版の中から選び出した一冊は、原作:夏 緑/作画:ちくやまきよしの「しっぽの声」。

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なんとも愛くるしい表紙に胸キュン♪


CDのジャケ買いって昔あったけど、この表紙の愛くるしさにつられて、読み始めてしまったこの漫画...いやはや、なんとも胸にドスンとくる問題作なのだった。


1巻の末尾には、公益財団法人動物環境・福祉協会 Eva 理事長である杉本彩氏による「あとがき」が掲載されている。

長年この活動に携わり思うことは、動物の問題は人の問題、人や社会のモラルや文化の水準が問われてくるのです。少し想像力を働かせて周りを見つめてみてください。私たちの生活の中で、意識しないと気付かないことがたくさんあります。例えば、生まれて間もない仔犬仔猫がショーケースに置かれて売られていること。コートの襟や袖、バッグに付けられた毛皮は、どの動物のものでどうやって作られたのか。檻の中で始終人目に晒された逃げ場のない状態の展示動物。それらを見て何を思うか...。当たり前に映る目の前の光景に疑問を持つ人は、まだまだ多くありません。誰かが異を唱えないと、人はいとも簡単に受け入れてしまいます。それは環境問題も同じこと。貴重な自然や生き物に対し、経済発展と銘打ってその価値を正しく判断せず、自然破壊、環境汚染を繰り返しています。人間の勝手な消費生活の中で、どれだけの尊い自然や動物が失われてきたことか。生態系の頂点に立つ人間は、動物の痛みと苦しみを想像し、その叫び声に耳を傾けなくては。それは巡り巡って私たちの生活や生命、次の世代を担う子どもたちの未来にも大きく関わることだからです。
動物を幸せにするのも、不幸にするのも人間です。人と動物が関わった時点で、私たちは動物福祉に配慮しなければなりません。動物の福祉とは、人間目線で単に動物絵お会いし可愛がることではなく、その先にある考えであり、エシカルエコロジーにも繋がるものです。倫理と化学の側面からその規範に則って、動物に痛みや苦しみ、恐怖を与えないよう、動物の目線でその幸せを考えること。それは愛玩動物だけでなく、畜産動物も、実験動物も、動物園で展示されている動物も同様です。そして、その考え方がひいては人間をも救うことになるのです。
人は動物を利用して動物からたくさんの恩恵を受けています。そのことを認めた上で、動物が命ある限り不快な思いをしないよう配慮するー動物福祉は、人が動物を関わる以上、最低限の責務でもあります。

◆しっぽの声/1巻>あとがき より


知った上で見る表紙の子たちの、どことなく悲しいこと。


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現在6巻まで電子書籍化されてるけど、切なすぎて4巻でやめにした。


一昨年の11月に、15歳で他界した我が愛猫。残されたペットシーツや猫砂、高齢猫用フードを捨てるには忍びなく、また取っておいても悲しくなる。そこでどなたかに譲るべく、「ジモティ」というサイトの『あげます』に掲載した。


すぐに欲しいという女性から連絡がきて、掲載した愛猫の遺品を手渡すため会うことになった。
待ち合わせ場所でその人を待つと、スクーターに乗った若き女性が現れた。
少しふっくらとした、可愛らしい顔立ちをした感じの良い女性だった。


待ち合わせ場所で立ち話をすると、彼女は猫保護に力を注いでいる人ということが分かった。
猫好きならではの、話が弾む。
互いにその後の予定が迫っていて弾む話は中断せねばならず、後ろ髪を惹かれるように「さよなら」をした。
私たちは別れ際に「落ち着いたら食事でもしましょう」という約束をした。


Sクリニックに通い始めたばかりの当時の私は多忙を極めており、彼女もまたブラック企業からの転職を考えていた時期であったため、再開は翌年の2月終盤となった。


待ち合わせのカフェで3ヶ月ぶりに会った彼女を見て、私は驚いた。たった3ヶ月で見事に太っている。何キロ太ったのだろう?一度しか会ったことがない人なので、私の記憶違いかと思うほどの変わりようだ。


ほぼ初対面の彼女に余計なことは口には出せず、ごく普通に会話が始まった。
話を進めるうちに、彼女の保護猫活動への執着に違和感を覚えた。
仕事以外のほとんどの時間を、保護猫活動に費やしている彼女。
野良猫たちの餌代などにお給料のほとんどを当てている彼女の生活には、ボランティアを超えた執念すら感じる。


そして時間の経過とともに打ち解けた彼女は、自らの生い立ちを語り始めた。
彼女はまさに、ACだった。


裕福な家庭に育ってはいるものの、その家庭のあり方は普通ではなかった。
そんな彼女に私はAC概念を説明をした。
ACが初耳をいう彼女はしかし、自らをACと認めた。
彼女は心療内科にはかかったことはないものの、スピリチュアル系の様々なセッションに参加した経験があるようだった。


その後、彼女とは一度しか会っていない。
元気でいるだろうか?
今も自分のことは置いて、猫中心の生活を送っているのだろうか?
「しっぽの声」にボランティア活動に中心を置きすぎて、破綻する女子大生の話があった。
その女子大生がちらりと彼女と重なって、なんとも遣る瀬ない気分になった。


人は何のために生きるのか?
どんなに体裁を取り繕っても、結局自分のために生きていることに変わりはないのではないか?
三者のためを思っての行動も、結果的に自己満足の行為なのだろう。


親からの虐待で怯えた幼い日、続く生きづらい人生。
同じように苦しむ人の力に、少しでもなりたいな。
そんな思いも、かつての無念を晴らそうとしているだけなのかも知れない。
自らが生きていくために、その思いが必要なだけなのかも知れない。
生きていく行為の全てが欺瞞なのかも知れない。


それでも歩み続けるしかないだろ?
何のために生きているのか?
何のために生まれてきたのか?
そうやって答えを探し求めていなければ、生きていくのすらしんどい。


隣人愛を欺瞞であると捉えるよりも、それを信じて誤魔化す方がどれだけ人間らしいだろう。
素直な気持ちって、なんだろうな?


まぁその時々でね、気持ちなんて変わるものだから。
今日は今日の、今の私。



一瞬先には変化するかも知れない、そんな程度の私の感情。


そうそう一般的に、
「しっぽの声」は明るい気分でいたい方には、オススメできない漫画です。