遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

帰り道

先日、自立支援の医療機関変更で保健福祉センターへ行った。手続きを終えたとき、夫のアルコール問題について相談したい旨を職員に打ち明けた。

 

すぐ隣の席に座る女性に、この相談内容が聞こえるのではないか? 精神障害を患う女の夫がアルコール依存症だなんて、気の毒に思われるのではないか? などと、余計なことを気にかける私にとって、この一言めを発することはとても勇気がいる作業だった。

 

「担当者を呼んで来ますから、このままお待ちください」

そう言い残して変更手続きを終えた職員が席を外す。一人残された私は、この一言を口にできたことに胸を撫でおろした。

それでも卑屈な気持ちが消え去ったわけではなく、隣の席に座る女性の様子を盗み見ては様子を伺うのだった。

程なく私の住む地域担当の保健福祉士がやって来て挨拶をした。

優しげな女性だ。40代だろうか。

可愛らしい女性だが落ち着きがあって、安心できる。この女性が担当であることを喜ばしく思った矢先に、残念ながら私の住む地域担当者が不在のため代理で話を聞くということが分かった。

 

隣の女性が気になって小声で話し始めた私だが、熱心に話を聞く代理の担当者に、いつの間にか話に集中して周りが一切気にならなくなっていた。話すうちに涙がポロポロと頰を伝い落ちて、私は不安が限界まで達していたことに気づいた。

 

1時間は話しただろう。止め度ない思いに自ら終止符を打って、私は話に切りをつけた。丁寧に話を聞いていた代理担当者は少し困ったような優しげな顔で、担当者に伝えることを約束した。改めて週明けの月曜日に私から担当者に電話をかけることとなり、この日の相談は終了となった。

 

保健福祉センターを後にしたとき、安心したと同時にとても疲れている自分に気づいた。電車に乗って帰るか迷ったが、泣き顔が気になって歩いて帰ることにした。

ゆっくり歩いても、40分で家には着くだろう。良い運動にもなるし、頭も冷やせる。

 

夫のアルコール問題は、現時点でそれほどの問題ではないと思う。母のそれに比べたら、なんとも他愛ない。それでもアルコール依存症で夫がどうにかなってしまうのではと悩み続けたこの10年余りの年月は、私にとっては長い長い日々だったのだ。

 

母の飲酒が引き起こす様々な問題に悩み続けた日々は、母と疎遠になった今でも私に深い傷を残している。夫が深酒するたびに思い出す母の醜く歪んだ顔や、父や私への罵倒がまざまざと蘇り、胸がムカムカして息苦しくなる。

 

あれほど母に苦しめれて、今また夫の飲酒に悩まなければならないだなんて、いったい私の人生は何なのかと恨めしく思う日から逃れられるのではないかと、ずいぶん楽な気持ちになって、けれど安穏としているとまた思わぬしっぺ返しを喰らったりするから、喜ぶのは止めておこうだなんて、またいつものぐるぐるした思考がやって来て、少しうんざりしながら苦笑いした。

 

まぁ、いいや、

考えたってなるようにしかならない。

 

明日は明日の風が吹く

 

明日のことは明日に任せて、

今日の夕食は何にしようかな?

なんて少しぼんやりした頭で、帰り道を歩いた。