パンドラの箱
突然やってくる絶望感の理由なんて
ないものかと思っていた。
長く精神病者として過ごし、どこか諦めてしまっていた私は、
心の変化の有様などは全て病に起因するのだと簡単に片付けていた。
もちろん育った環境が及ぼす影響は多大なものだと気づいている。
気づいてそれを訴えたところで、同じような環境で育った誰もが精神を病むわけではないと、片付けられてしまうのが怖くなっていただけだ。
私の母は、汚いと言ってはおしめを変えず、乳首が痛いと言っては授乳すらしなかった。仕事から帰った父が第一にするのは、泣き叫ぶ私のおしめを変えること。そのから私にミルクを与えて寝かしつけてから、おしめを洗う。
乳首が痛くて授乳するのが嫌ならば、せめてミルクを与えることくらいはできようものを、母に言わせれば「この子は難しい子で、泣き止んでくれないからミルクもあげられない」になってしまうのだ。
確かに泣いていてはミルクも飲めない。けれど泣いているのはお尻が気持ち悪いからでしょう?
この状況は父から母への愛を奪うが、自業自得としか言いようがないと私は思う。
母に言わせれば、私が原因で父の愛を失ったことになるのだけど。
私は乳児期のこの出来事を長い間、「放置されていた」という言い方で表現しており、それを特に指摘されたことはなかった。
長くかかった精神科から転院した先の、若い医師がこの話を聞いて、ごく普通に「ネグレクト」と口にしたとき、私はひどく動揺した。
「え? ネグレクトですか?」
そう尋ねる私に、不思議そうな顔を向ける若い医師。
「あの、私...ネグレクトというと、食事も与えられずにガリガリに痩せ細って、入浴も着替えもさせてもらえずに、あの汚れにまみれて放置されて...あ、放置...確かに私、放置されていましたけれど、それはあの、私には全く記憶がなくて... それでもネグレクトと呼ぶんですか? ネグレクトって、あの、何か響きが、なんと言うか...」
ショックを隠しきれない私に同情したのか、若い医師は「あ、や、そうですね、放置、ですね」と慌てて言い直した。
「あ、いえ、大丈夫です。そうですね、あれはネグレストですね」
その医療機関はデイナイトケアプログラムが充実しており、プログラムの中には交流分析もあった。
様々な時期の様々な要因で、人は様々な行動形式を身につける。3歳までの幼児期に受けたネグレクトは、唐突にやってくる絶望感を引き起こす。これは後の修正が不可能であるということを聞いた。その現実を知って目の前が真っ暗になった私は、込み上げる悲しみを我慢することができずにポロポロと泣きじゃくった。
時たまやってくるあの絶望は、今後消すことは不可能なのだ。
人前で泣き出すだなんて、なんとも体裁の悪いことも、この施設内では特別なことではなかった。長い期間通院している患者は、とっくにその期間が過ぎていても、悲しみの期間はここにいるたいていの患者が通ってきた道なのだ。無言の共感がそこにはあったから、私は気がすむまで泣くことができた。
ここでは幾つのも体験と、幾つもの発見があった。
徒らに精神病歴だけが長かった私が、投げ出して置き去りにしてしまった精神の探求を、再開しようと決意した。
忘れられない人がいる。
優しい人にも出会った。
たくさんの気づきがあった。
自分と同じように苦しむ人々がこれほど多くいるのだと確認もした。
短期間で、ここを去ることを私は選んだが、ここに居続ける人々を否定することではない。
私が彼らとは違うというだけの話。
私は彼らと同調できないというだけの話だ。
これは決して、どちらが正しくて、どちらが悪いとう話ではない。
一時期は統合失調症とまで言われ、その後も病名がはっきりとせず、通算20年間で精神病院への入院を4回も繰り返した私が、またこうして自分と向き合う時間を作ろうとしている。
インナーチャイルドの癒しは、大きなトラウマ体験を持つ者は一人で行うのは危険と知った。
20年前に私は、ジョン・ブラッドショウの「ファミリーシークレット」を読みながら、一人でジェノグラムを行った。
これは後々現れる私の様々な症状の、発端となった可能性も捨てきれない。
あの医療機関に通う地下鉄の車内で私は、ふと込み上げる悲しみに我慢できず、泣き出すことがしばしばあった。
一度開いたパンドラの箱は、簡単には閉じない。
あの医療機関で再度開いたパンドラの箱は、これから私にどのような影響を与えるのだろうか。
今の時点では全く分からない。
けれど後戻りは出来ないということは分かっている。
どんな結果になろうと私は、進むしかない。
あの医療機関で出会った、ある精神保健福祉士が教えてくれた一編の詩。この詩を涙なしで読むことが、今現在の私には出来ない。
いつか、別の通りを、私が歩くことはあるのだろうか。
5つの短い章からなる自叙伝
第1章
私は通りを歩く。
私は落っこちる。
私はどうしたらいいのかわからない、・・・どうしようもない。
これは私の間違いじゃない。
出方がわかるまでものすごく時間がかかる。
第2章
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
私はそれを見ないふりをして、
またまた落っこちる。
また同じ場所にいるのが信じられない。
でも、これは私の間違いじゃない。
やはり出るのにずいぶん時間がかかる。
第3章
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
それがあるのが見える。
それでも私は落っこちる、・・・これは私の習癖(くせ)だ。
私の目は開いている。
自分がどこにいるのかわかる。
これは私のしたことだ。
すぐそこからでる。
第4章
私は同じ通りを歩く。
歩道に深い穴がある。
私はそれを避(よ)けて通る。
第5章.
私は別の通りを歩く。
作/ポーシャ・ネルソン 訳/深沢道子