遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

水たまりの中を乱暴にじゃぶじゃぶ歩きたい。

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今日の私は就労移行支援事業所はお休み。
だからぼんやり過ごしている。


ここのところ心が晴れなくて、週末は踠いてみたりしたけれど逆効果...。
土曜日の悪あがきが日曜日の完全ノックアウトへ。


土日祝日は、なんの縛りもない自由な表現を予定してるんだけど、
その自由を満喫するほどの気力もなくなっていたくらい、弱っていた。


そんなんで今日は溜まっているここ暫くのドロドロを、この後の第二弾ブログで吐き出す予定。
デトックスですから♪

巻き添えを食いたくない方は、次に更新されるブログはスルーで、
よろしくお願いします!



君はレースの途中のランナー - 馬場俊英


“夢みてた未来に 輝ける未来に
ひとりきりの中央線
楽しくないことに
気づいている みんな
窓の向こうの空にいつかあったもの
いつの間にか建ったビルの群れに
全部隠されてしまった
Oh my friends
好きな場所が消えて行く
終わりも始まりもせずに
続いて行く道を
君は今日も歩いている
Oh please listen to my melodies
so this is your song
いろんなことがあった
仕事がダメになったりして
そのたびに 新しい日々を
始めて来たと思う
だけどこの頃
こんな風に思えて仕方ない
僕らは長いひとつの
同じゲームの延長戦を
今も続けているんじゃないだろうか
Oh my friends
君は何をあきらめて何をゴールに描いたんだろう
走ることをやめてもまだ
立ち止まることを選べず
君は歩いている
Oh please listen to my melodies
so this is your song
改札を通り抜けた僕ら
まるでレース途中のランナー...”


馬場俊英の「君はレースの途中のランナー」
上は、オリジナルからいくつかの歌詞を省いている。



雨ですな...。





雨靴履いて乱暴に、
水たまりの中をじゃぶじゃぶ歩きたい。









行ってらっしゃい。




行ってきます。
















どうにかなるさ♪

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一昨日は活動的に動きすぎて、昨日は読書をするくらいで何もせずに過ごした。
今日も若干の低空飛行。


それでも昨夜は今日の準備をしたし、今朝はすでにシャワーを浴びた。
就労移行支援事業所に通う人の中には「前日に翌日の準備ができない」という人が少なくない。


私は中学生の頃に翌日の準備ができなくて困っていた頃がある。
学校から帰ったらすぐに制服を着替えるように言われているのに、それもせずに制服のままベッドに横になっていた。
父はノックなどせずに子供部屋に入る人だったから突然部屋に入ってきては、そんな私を発見して怒鳴り散らすのだった。


あの頃の私は、どんどん何も出来なくなっていく自分に対して非常に悩んでいた。
それでもなす術はなく、焦りばかりが先走る。
勉強は疎か、翌日の準備や着替えまでもが出来ない
出来ない自分を責めるから、ますます苦しくて仕方なかった。


今は出来ない私を怒鳴る人は、もういない。
なんにも出来ない日があっても、私は私をジャッジせずに、なんにも出来ないまま平然と過ごせる。




ムッシュかまやつ - どうにかなるさ



“今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ
あてなどないけど どうにかなるさ
あり金叩いて 切符を買ったよ
これからどうしよう
どうにかなるさ
見なれた街の明かり 行くなと呼ぶ
けれどもおんなじ暮らしに疲れて
どこかに行きたい
どうにかなるさ

仕事もなれたし 街にもなれたよ
それでも行くのか どうにかなるさ
一年住んでりゃ 未練ものこるよ
バカだぜおいらは どうにかなるさ
愛してくれた人も 一人いたよ
俺など忘れて 幸せつかめよ
一人でおれなら
そうにかなるさ”


今日の朝ソングは、
かまやつひろしの「どうにかなるさ」


2017年3月1日に78歳で旅立った人。
この方のいい感じの抜け加減が好きだったなぁ〜


あのほわわんとした笑顔は、
「まぁいいかぁ」って気分にさせてくれたな。


さあ今日も肩の力を抜いて、
リラックスして気楽にいこう。


そう、どうにかなるさ♪







行ってらっしゃい。




行ってきます。














荒む心はどこからやってくるのかな?

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今朝の空は綺麗に晴れ渡っている。
青空というよりも、ちょっと淡めのブルーだ。
ある意味、今朝の私の気持ちもこの空のように、淡めのブルーだ。


現在、杖生活を送る私。
昨日の帰宅の地下鉄車内で、私は優先席に座っていた。
優先席は満席だった。
8席の優先席に腰掛けていたのは、三十代と思しき健康そうな男性が2名、おばちゃんが2名(私を含む)、年配の男性が1名、初老の女性が2名。あと1名は覚えていない。
途中駅で祖母らしき人が連れ添った、ヘルプマークをつけた少女が乗車してきた。
少女は重症っぽくて、身体は硬直しているし、視線も定まらない。
細身で小柄な彼女は、年老いた祖母が支えていないと立っていることすら困難そうだ。


私は周りを見渡す。
混み合った優先席付近でも誰もがスマホを操作していて、彼女たちに気づかない。
仕方がないから私が席を立った。
少女の祖母であろう老女は私の杖にすぐに気づいて申し訳なさそうにするから、「大丈夫です」と私は言った。
そこでやっとスマホ操作に夢中になっていた一人の男性が気づいて、席を譲った。


私としては女の子の隣におばあちゃんも座って欲しかったのだけれど、他に席を譲る人はいなくて、私に席を譲ってくれたおばあちゃんは立ったままだった。
優先席はあくまでも優先なだけで、お年寄りに席を譲るか譲らないかの判断は当事者に任される。


私は目をつぶって無の境地になる...いやはや、無の境地になんてなれないからイライライライラ...。
ストレスが溜まるってば!


私はヘルプマークをつけない。
つけていても無視されるのが予測されるし、つけていたら逆に嫌な目に合うこともあると聞くから...。
万が一パニック状態になったり体調が悪くなったりしたら、途中下車した方が気が楽だ。


ヘルプマークつけているとさ、「キチガイ」扱いする人がいるんだよね...。
そういった偏見持っている人って案外少なくない。


私の隣に座る、定まらぬ視線で俯いたまま無言で指先を擦り合わせる華奢な少女。
彼女を見ていたら切なくなってきた。
ちょっと疲れた優しげな顔で、静かに彼女を見守るおばあちゃんに、「実は私も障害を持っているんです」と話しかけてみたかった。
できなかったけれど...。


多くの人が降りる駅で、少女とおばあちゃんも下車するようだ。
その際に、おばあちゃんと私は互いに目配せして微笑みあった。
こんな感じの淡い繋がりも、心を少し柔らかくする。


ガラガラに空いた車内の優先席にのうのうと座り続ける人たちに、批判的な気持ちが湧いてきて、空いた別席に移動した。
こういう怒りって不当なものなのかな?



ファイト!吉田拓郎


今日の朝ソングは、
吉田拓郎バージョンの「ファイト!」


歌詞は出てくるから割愛。



今日は怒りじゃなくて、
心がホットになる、そんな出来事があると良いなぁ〜





行ってらっしゃい。




行ってきます。
















内部障害についてご指摘をいただいたため、記事の一部を修正しました。



言いたいことを言えるかな? 相手に伝えられるかな?

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朝起きてからちょっとぼんやり過ごして、
ベランダに出て空を撮ったのは午前6:15頃。
トイレに行っていたと思しき酔った夫が、後方から声をかける。


「なんだ?そんなのは空じゃない」
「は?」と反応した私に、さらに夫は、
「晴れてるのになんで雲なんか撮るんだ?」
と聞く。


「晴れてても青空ばかりじゃ変化がないでしょ?この雲なんかイイじゃん」
そう私が答えると夫は、
「空ブログか?」
と再び聞くから、
「あ〜ぁ...空ブログ...うんまぁそんな感じ」
と適当に答えておいた。
「ふ〜ん、空ブログねぇ」とかつぶやきながら夫は寝室へと去った。


昨夜の夫の帰宅は午前1時頃だったけれど、あの時間まで飲んでいたということかな?
ちょっとモヤっとしたけど、『まぁ今日は彼の休日だからイイんじゃん』と腹までは立たなかった。


あれだね、私あんま認めたくなかったけれど、やっぱ私は境界性パーソナリティ障害だよね。
主治医は違うって断言したけど、重症でもないだろうけど、症状的にやっぱそうだろうな...。
私が主治医に「私はボーダーじゃないの?」って聞いたのは10年くらい前のこと。
当時の境界性パーソナリティ障害って言ったら『ヤバイ人』の代名詞みたかったね。
主治医が気を使ったのか、当時の概念がからすると違っていたのかは定かではないけれど...。


昨夜、寝る少し前にLINEニュースの「自分に手紙を書こう」的なのが、私のLINEアプリに表示されたから、そのページを開いてみた。


目に飛び込んだのは、
「赤ちゃんの頃は何でも思い通りにいった」
「泣けば周囲が思い通りのことをしてくれる」
的な内容。


速攻でそのページを閉じた。
だって私、赤ちゃんの頃に思い通りになんてしてもらっていないもの。


お腹が空いて泣いても、
お尻が気持ち悪くて泣いても、
なんだか気に入らなくて泣いても、
父が仕事から帰ってくるまでは放置されていたんだから、赤ちゃんができる唯一のアクション『泣く』をしてもすぐさま私の思い通りにしてくれる大人が日中は居なかったんだから。


生後一年で妹が生まれてお姉ちゃんになって、早々に「姉」をさせられたから、ますます我慢を強いられたたし...。
思えば「自分の思い通り」っていう経験が乏しい私。
経験がない私が「思い通りの人生」を送るのって、そりゃ難しいんじゃん?


今でもすぐに他人軸になってしまうけれど、けどま、ずいぶん自分軸になってきたのじゃない?


自分の本音に気づく。
自分の気持ちを相手に伝える。
「NO」という気持ちを表明する。
自分のしたいことを自分で選択する。
こんな訓練なんて、普通にできる人からしたら意味不明だろうけれど、訓練しなきゃできない人って案外少なくないんだよね。




オワリカラ(OWARIKARA)『new music from big pink』MV


今日の朝ソングは、
タカハシヒョウリの「new music from big pink」


”new music from big pink
ヒップなやつらは今夜も グルーヴに合わせて
夜を引っかきまわす
試験管ベイビーの未来は 明るいものと信じてる

コインロッカーベイビーの未来は 僕らの胸の中にある

LOVE

LOVE is DOG from HELL
酔いどれ詩人が言うことより
「楽しまなければ疲れるだけ」
お前が一番良いこと言ったんだ

僕のベイビー

どんな顔してるの

また新しい歌が生まれる

new music from big pink
心臓を突き破り蒸気機関車が 走り出す
new music from big pink
俺の想い 夜の街を
駆け抜ける

new music from big pink
恋をしてるねガール
唇の色でわかるさ 唇の色でわかるさ

new music from big pink
夢を見てるねボーイ
瞳の色でわかるさ 瞳の色でわかるさ

短すぎるスカートは スカートと呼べないよううに

短すぎるバケーションは 休暇とは呼べないように

短すぎるフルアルバムは フルアルバムとは呼べない

優しすぎる音楽は 優しいとは呼べない

new music from big pink

心臓を突き破りジャンボジェットが 離陸する
new music from big pink
僕の想い 夜を超えて
お前の街へ

new music from big pink
心臓を突き破りアドバルーン
燃え上がる
new music from big pink
俺は今ここにいるよと
燃えている”




あれ?朝ソングだった?
なんだったっけ?
空ブログ?


まぁなんだってイイよね。
朝にアップしたところで、朝に読むとは限らない。


今日は午後から就労移行支援事業所だ。
受けるプログラムは「グループワーク」だな。
基本的に苦手なのよね...複数人で行う作業。


けどね、今日はどんな自分が出てくるやら♪
その発見が面白い。


どんな自分に会えるかな?
ちょっとワクワクしない?








行ってらっしゃい。




行ってきます。














「ぼやき」〜「知性は内面を磨く」へ。

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今日は就労移行支援はお休み。
夕方から通院予定。


少し前から杖生活を送っている私。
古傷が原因で元々両膝がボロボロなんだけど、
悪化してしまってここ一週間くらい杖なしじゃ痛くて歩けない。
炎症を起こしてるのかな?


杖生活は4年ぶり。
ずいぶん長く痛みを誤魔化しながら過ごしていた。
あの頃に杖を買っておいて良かった♪


今回の激痛の責任はホットヨガの新米インストラクターの、変な張り切りにあるんじゃない?
膝がボロボロで正座すらできないって事前に申請してあるのに、なんだかもう指導したくって仕方ないんだろうなぁ...。


バランスポーズを取っている最中に突如、新米インストラクターに踵を押さえつけられてバランスを崩してしまった。
その時に腰を痛めてから歩く際、痛みのある腰を庇っていたら左膝に激痛が走るようになった。


更に更に今の痛みへの過敏反応はさ、
あのやたらと寄りかかってくる人への恐怖もあるんだよね...。
悪い子じゃないんだけど、闇が深すぎて話を聞いてると胸が苦しくなる。
動悸が激しくなって、息が出来なくなるんだ。
近くに居ると、むちゃくちゃ疲れてしまう。


普通に歩けるのは奇跡的と医師に言われるほど、私の膝はボロボロだ。
痛みに鈍感な私は、少々の痛みは我慢出来てしまう。
けど、敏感になってしまうことがたまにある。


それにしても杖をついて満員電車に乗るのって、本当にストレスがたまる。
つり革につかまらずにスマホ操作をしている人が隣に立っていると、ヒヤヒヤドキドキ。
万が一にその人がよろけて私の方に倒れかかってきたら、今の私じゃ二人分の体重を支え切れない。
変に右膝を踏ん張って、まだ何とかなっている右膝まで悪化するんじゃないかと思うと気が気じゃない。


だから混雑する東京メトロでの通所は避けて、再びバスで始発駅まで行って始発駅から座って就労移行支援事業所に通っている。


今日は夕方から雨になりそう...。
雨の日の杖って、むっちゃ怖いんだよね。
出かけるのが憚られる。
病院、どうしようかな...。




筋肉少女帯 人間嫌いの歌


今日の朝ソングは、
筋肉少女帯の「人間嫌いの歌」

“人間てやだな 人が大嫌いさ
ちっちゃな地球にひしめき合って やなやつばっかだから

人間てやだな 人が大嫌いさ
上げたり下げたり関係ないのに 値踏みをしたがるから

人間てやだな 人がとにかく嫌いさ
救って殺して繰り返してるの 歴史と読んでるから

人間てやだな 人が大嫌いさ
妬んで憎んで笑顔で裏切る どいつもこいつも 俺も

ああ 人間嫌いの歌に 世界中の人の名前を
だけど人間嫌いの歌に ちょっと例外もあって ただ一人君

君以外の 君以外の 君以外の 君以外の
君以外は 君以外は 君以外は 君以外は

人間てやだな 人が大嫌いさ
恋して愛して もどかしくて どいつもこいつも 俺も”



うは♪
久しぶりに筋肉少女帯を聞いた。
若い頃の大槻ケンヂ、むっちゃカッコよかったな...

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この頃のオーケン...はぅぅ(´♡ω♡`)!


けどけど、今は今で、
いいんじゃないですか?!

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う〜ん...シブい!


歳を重ねるほどに、その人となりが顔に出る。
歳を重ねても素敵に生きていればずっと変わらず...いやいや歳をとるごとに素敵は増すものだ。



今日は病院をキャンセルして、自宅で一日読書デーにしようかな?
知性は内面を磨く...

に違いない!




今日の私は外出しないかもだけど...






行ってらっしゃい。




行ってきます。















3月、春めいてきたね。

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どんどん春めいてきてる。
3月だよ?
花粉症の方には辛い季節。
コロナウイルス感染も加わってマスク不足ってねぇ...。
花粉症の夫も目に違和感があるという今日この頃、
我が家の残り少ないマスク事情はどうなっていくのか若干の不安...。


けど、まぁなるようにしかならないからね。
コロナウイルス感染の可能性よりも夫の花粉症の方が辛いような気がするから、
いざとなったらマスクは夫に譲ろう。


けど、あれですよ?
私の対人恐怖が強く出てマスク着用しないと外出できなくなったら?
その時は就労移行支援事業所を休めばいいかぁ〜
仕事ってわけじゃないし...。


ブログ記事の内容で試行錯誤している方は少なくないようだけれど、
そういう方から本ブログを見たら「なにやってんの?」とか言われそうだなぁとちらりと思ったりする。


けど、気にしない〜♪
私が私のその時の気分で、書きたいことを好きなように書くのじゃ。



Superfly『Beautiful』Music Video


今日の朝ソングは、
Superfly の「Beautiful」

“世界で一つの 輝く光になれ
私でいい 私を信じてゆくのさ
遠回りしても 守るべき道を行け
私でいい 私の歩幅で生きてくのさ

誰かをうらやむのは 避けられない心情?
誰かをゆるすのは 難かしい心情?
ないものを探せば 数え切れないけれど
ゆっくり愛してみよう 私というこの命を

世界で一つの 輝く光になれ
明かりのない 明日を迎えたとしても
悲しみの先に 孤独が押し寄せても
息をしてる 今日も息をして 生きている

世界で一つの 私に幸あれ
涙に幸あれ 明日に幸あれ
世界に一つの 輝く光になれ 泣いてもいい
私は歩いてゆくのさ
涙は頬を 流れる星のようさ
私になれ 私を叶えて生きてくのさ

いつの日も

いつの日も”


自分のまま、ありのままで、
飾る必要がどこにあるんだろう?


自分にしかない価値を、
自分自身が知っていればそれでいいと思うんだよね。


自分を信じるのが、
自分だけでもいいと思うんだ。


誰になんと言われても、
自分だけは自分の味方。


『誰かに気に入ってもらうために』
じゃなくて、
『自分のために』
でいいんじゃない?


春だ!
花粉は飛んでるけど、キラキラする季節がやってくるよ。


厚いコートを脱いで、
春色の洋服を選んで、



行ってらっしゃい。


行ってきます。
















さぁ今日も、一日をクリエイトしに出かけよう♪

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東京はそぼ降る雨。
だからなのか、とても落ち着いた気分。


就労移行支援事業所は午後からだから、ゆっくりと過ごしている。
その頃には雨も上がるだろう。


今日のちょっとした失敗は、二度寝をしてしまったこと。
ここ最近、二人の知人に連続して「発病してからショートスリーパーになって、薬で調整している」的なことを言われたから、なんだか気になって実験してしまった...。


私は、4〜5時間しか眠れないわけじゃないのですよ?
目覚ましをかけなくても、自然に4〜5時間で目がさめるのです。
目覚めた後から二度寝をしてしまうと、起きた時に軽い頭痛があったり、気だるさが残ったりして、寝起きの時の体調がイマイチなのよね。
スッキリした一日を過ごすには、一度目に目覚めた時に起きてしまうこと。


ショートスリーパー遺伝子」を持つ人がショートスリーパーなのであって、
病気になって眠れなかったり睡眠が浅くなるのは単なる睡眠障害だっつーの!
むっちゃ言ってやりたかったけど、やめておいた。
だって彼女ら、現在は過眠症で困っているから、ショートスリーパーの私が羨ましいんだと思うのよね...。


あ〜ぁ...人のそういう感情って面倒臭い!



岡崎体育 『MUSIC VIDEO』Music Video


今日の朝ソングは、
岡崎体育の「MUSIC VIDEO」

“クリエイション クリエイション クリエイション 音楽と
クリエイション クリエイション クリエイション 映像が
毎回 からまり合い 手を取り合い ドンピシャのタイミングで
パン
「はいカット」が聞こえるような
揺るぎない制作意欲は作り手の願い
狂ひ泣き眼差しは受けての想い
1億人に届け MUSIC VIDEO”


ふはは♪
もしかしたら案外、誰もが毎日、
自分自身の MUSIC VIDEO を制作しているだけなのかもね?



さぁ今日も、
自分自身の一日を、クリエイトしに出かけよう♪








行ってらっしゃい。




行ってきます。















眉間にシワを寄せてみたところで...一瞬後には笑っているかもよ?

ホッブズから言わせれば、人間は誰しも強欲な利己主義者であろうし、人間にとって最も重要なのは自己保存の欲望であるのだろうが、それにしてもここしばらくのマスクやペーパー類の買い占めをする強欲さにはうんざりする。
そんな風に一々怒りを覚える私自身も、十分に利己主義なんだけどね。


風邪をひきやすく、また一旦風邪をひくとなかなか治らない、下手をすると冬中風邪をひいている状態になりかねない私としては、毎冬のマスクは欠かせない。
その上、マスクで顔を隠さないと人前に出られなくなるという精神的症状の悪化も考慮して、マスクが自宅に常備してあるのは特別ではない。


それなのになんてこと!
この騒ぎでマスクが入手できない。


残りわずかになった貴重なマスクを無駄遣いしないためにも、仕方がなく結果的に週末の外出を控えるよう呼びかける政府の願い通り、この2日間は自宅で過ごしている。


読書に明け暮れるにはもってこいのこの状況。
昨日は頭休めに漫画配信サイト「ソク読み」で、無料漫画を読むことにした。
久しぶりのログインでまず、大きなショックを受けたのは、前日の2月28日の時点で5000ポイントの失効があったこと。
昨日ログインしていれば...と後悔しても後の祭り。


むちゃくちゃショックではあったが、これまた仕方ないと諦めて心癒されるであろう動物ものを選択することに。
期間限無料お試し版の中から選び出した一冊は、原作:夏 緑/作画:ちくやまきよしの「しっぽの声」。

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なんとも愛くるしい表紙に胸キュン♪


CDのジャケ買いって昔あったけど、この表紙の愛くるしさにつられて、読み始めてしまったこの漫画...いやはや、なんとも胸にドスンとくる問題作なのだった。


1巻の末尾には、公益財団法人動物環境・福祉協会 Eva 理事長である杉本彩氏による「あとがき」が掲載されている。

長年この活動に携わり思うことは、動物の問題は人の問題、人や社会のモラルや文化の水準が問われてくるのです。少し想像力を働かせて周りを見つめてみてください。私たちの生活の中で、意識しないと気付かないことがたくさんあります。例えば、生まれて間もない仔犬仔猫がショーケースに置かれて売られていること。コートの襟や袖、バッグに付けられた毛皮は、どの動物のものでどうやって作られたのか。檻の中で始終人目に晒された逃げ場のない状態の展示動物。それらを見て何を思うか...。当たり前に映る目の前の光景に疑問を持つ人は、まだまだ多くありません。誰かが異を唱えないと、人はいとも簡単に受け入れてしまいます。それは環境問題も同じこと。貴重な自然や生き物に対し、経済発展と銘打ってその価値を正しく判断せず、自然破壊、環境汚染を繰り返しています。人間の勝手な消費生活の中で、どれだけの尊い自然や動物が失われてきたことか。生態系の頂点に立つ人間は、動物の痛みと苦しみを想像し、その叫び声に耳を傾けなくては。それは巡り巡って私たちの生活や生命、次の世代を担う子どもたちの未来にも大きく関わることだからです。
動物を幸せにするのも、不幸にするのも人間です。人と動物が関わった時点で、私たちは動物福祉に配慮しなければなりません。動物の福祉とは、人間目線で単に動物絵お会いし可愛がることではなく、その先にある考えであり、エシカルエコロジーにも繋がるものです。倫理と化学の側面からその規範に則って、動物に痛みや苦しみ、恐怖を与えないよう、動物の目線でその幸せを考えること。それは愛玩動物だけでなく、畜産動物も、実験動物も、動物園で展示されている動物も同様です。そして、その考え方がひいては人間をも救うことになるのです。
人は動物を利用して動物からたくさんの恩恵を受けています。そのことを認めた上で、動物が命ある限り不快な思いをしないよう配慮するー動物福祉は、人が動物を関わる以上、最低限の責務でもあります。

◆しっぽの声/1巻>あとがき より


知った上で見る表紙の子たちの、どことなく悲しいこと。


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現在6巻まで電子書籍化されてるけど、切なすぎて4巻でやめにした。


一昨年の11月に、15歳で他界した我が愛猫。残されたペットシーツや猫砂、高齢猫用フードを捨てるには忍びなく、また取っておいても悲しくなる。そこでどなたかに譲るべく、「ジモティ」というサイトの『あげます』に掲載した。


すぐに欲しいという女性から連絡がきて、掲載した愛猫の遺品を手渡すため会うことになった。
待ち合わせ場所でその人を待つと、スクーターに乗った若き女性が現れた。
少しふっくらとした、可愛らしい顔立ちをした感じの良い女性だった。


待ち合わせ場所で立ち話をすると、彼女は猫保護に力を注いでいる人ということが分かった。
猫好きならではの、話が弾む。
互いにその後の予定が迫っていて弾む話は中断せねばならず、後ろ髪を惹かれるように「さよなら」をした。
私たちは別れ際に「落ち着いたら食事でもしましょう」という約束をした。


Sクリニックに通い始めたばかりの当時の私は多忙を極めており、彼女もまたブラック企業からの転職を考えていた時期であったため、再開は翌年の2月終盤となった。


待ち合わせのカフェで3ヶ月ぶりに会った彼女を見て、私は驚いた。たった3ヶ月で見事に太っている。何キロ太ったのだろう?一度しか会ったことがない人なので、私の記憶違いかと思うほどの変わりようだ。


ほぼ初対面の彼女に余計なことは口には出せず、ごく普通に会話が始まった。
話を進めるうちに、彼女の保護猫活動への執着に違和感を覚えた。
仕事以外のほとんどの時間を、保護猫活動に費やしている彼女。
野良猫たちの餌代などにお給料のほとんどを当てている彼女の生活には、ボランティアを超えた執念すら感じる。


そして時間の経過とともに打ち解けた彼女は、自らの生い立ちを語り始めた。
彼女はまさに、ACだった。


裕福な家庭に育ってはいるものの、その家庭のあり方は普通ではなかった。
そんな彼女に私はAC概念を説明をした。
ACが初耳をいう彼女はしかし、自らをACと認めた。
彼女は心療内科にはかかったことはないものの、スピリチュアル系の様々なセッションに参加した経験があるようだった。


その後、彼女とは一度しか会っていない。
元気でいるだろうか?
今も自分のことは置いて、猫中心の生活を送っているのだろうか?
「しっぽの声」にボランティア活動に中心を置きすぎて、破綻する女子大生の話があった。
その女子大生がちらりと彼女と重なって、なんとも遣る瀬ない気分になった。


人は何のために生きるのか?
どんなに体裁を取り繕っても、結局自分のために生きていることに変わりはないのではないか?
三者のためを思っての行動も、結果的に自己満足の行為なのだろう。


親からの虐待で怯えた幼い日、続く生きづらい人生。
同じように苦しむ人の力に、少しでもなりたいな。
そんな思いも、かつての無念を晴らそうとしているだけなのかも知れない。
自らが生きていくために、その思いが必要なだけなのかも知れない。
生きていく行為の全てが欺瞞なのかも知れない。


それでも歩み続けるしかないだろ?
何のために生きているのか?
何のために生まれてきたのか?
そうやって答えを探し求めていなければ、生きていくのすらしんどい。


隣人愛を欺瞞であると捉えるよりも、それを信じて誤魔化す方がどれだけ人間らしいだろう。
素直な気持ちって、なんだろうな?


まぁその時々でね、気持ちなんて変わるものだから。
今日は今日の、今の私。



一瞬先には変化するかも知れない、そんな程度の私の感情。


そうそう一般的に、
「しっぽの声」は明るい気分でいたい方には、オススメできない漫画です。















「HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」西川芳宏著を読み終えて。

「ダメ人間の終わり」に引き続いて、西川佳宏氏の「HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」を読了した。


r-elle.hatenablog.com


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本書は「はじめに」の序章から始まり、以下の5章からなる。
【第1章】心の基本原則
【第2章】スピリチュアルの捉え方
【第3章】苦しみを楽にするヒント
【第4章】心のプログラムを緩める捉え方
【第5章】ハートを見つける
この後に「おまけ」と題された章と「おわりに」の後序で終わる。

前回の「ダメ人間の終わり」は幼い頃から悩み模索し続けた私が、既に気付いて自分なりの答えを見つけ出してはいるが、どこか迷いがあって確信が持てないこと、それら迷いを払拭し、確信へと導いてくれた書であった。
また読んでいる最中に、現実とのリンクがあり、驚きを感じもした。
言ってみれば、出会うべくして出会った運命の書である。


そして「ダメ人間の終わり」を読み終えはしたが、こちらで紹介しているワークを実践したわけではない状況下で、次に進むのは如何なものかと思いつつ、Kindle Unlimited の199円期間が3月3日で切れることを考慮して読み始めたのが本書である。


結論を言うと本書は、私にとっては読んで良かったと心から思える一冊だ。
興味の対象となるものの情報を事前に入れてしまうと途端に興味を失ってしまうことが、私には多々ある。そのため大抵の場合は下調べなどをせずに、「したい」と思ったことをなるべく早く、興味が色あせないうちに行動に移すようにしている。今回も著者である西川芳宏氏について事前に調べもせず、まずは読み始めた。
そして読了後、西川氏のHP『心理カウンセリング・コンパス』やブログの存在を知り、メルマガ登録も済ませた。


本ブログ記事は若干長くなったため、目次を設置する。



西川芳宏氏HP『心理カウンセリング・コンパス』から、本書の紹介を引用

2019/09/12 に出版されてた本書と「ダメ人間の終わり」の紹介を、西川氏ご自身が『心理カウンセリング・コンパス』内で【本2冊「自分らしく生きる方法」「ダメ人間の終わり」出版しました!】で、以下のように綴っておられる。

selfcompass.jp

HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」です。
HSP(繊細な人)や他人軸の人向けに書きましたが、心の仕組みはどなたでも参考になりますので、ぜひお読みください。


「ダメ人間から抜け出すためにがんばってきたのにダメだった」
「がんばっても報われなかった」
「がんばったのにむしろ悪くなった」

そういう方はぜひ読んでほしいと思います。


と、ある。

また同ページの【本出版の経緯】にある、2017年7月に出版された「本当は傷つきやすい人たちへ」については、以下の通り紹介なさっている。

読むだけで心が楽になる本が書きたいなと思い、本を書き始めました。
実際には読むだけで心が楽になるというのはかなり難しくて、本を読んでその場はスッキリしても、大きな改善には結びつかないものです。

読むだけでビリーフ(本では「心のプログラム」と呼んでいます)が緩めば少しでも楽になれるはず!と思って、ビリーフを緩めるヒントになる本を書きました。


出版順や読みやすさから考えて読み進めるのであれば、「本当は傷つきやすい人たちへ」→「HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」→「ダメ人間の終わり」となるのかもしれない。
最初に出版された「本当は傷つきやすい人たちへ」は未読のまま、「ダメ人間の終わり」〜本書へと読み進めた私。けれどこの感覚的な順番は、私には適していたと考える。


「ダメ人間の終わり」について同ページに、こうある。

自分を「ダメ人間」と責めやすい方、責めたことがある方のために書きました。

「自分をダメ人間と思うことがなくなる!」という意味で「ダメ人間の終わり」というタイトルにしました。

文章は読みやすく書いたつもりですが、内容はもしかしたら理解するのに時間がかかるかもしれません。



一般的に理解に時間がかかるものの方が、私自身は強く心惹かれることが多い。
すぐに解ってしまうと共感だけで終わってしまうから、興味が継続しないのだ。
そのときに感銘を受けても、すぐに忘れて興味の対象が別のものに移ってしまう。
飽きっぽいのだ。
その点「ダメ人間の終わり」は、この強烈なタイトルに加え、長く自身を「ダメ人間」と定義していた私には実にときめく書であった。
この書を読み終えた今だからこそ、選択した私自身の感覚を自ら認め、自らでそれを賛称しよう。


私の知る一部の心理カウンセラーたちと、西川芳宏氏の相違点

西川芳宏氏には勿論お会いしたことは疎か、私からコンタクトを取ったこともない。
著書やメルマガ、ブログ、HP等にある誰もが知りうる西川氏のプロフィール、心理カウンセラーであること、いくつかの考察を知るのみだ。


幾人かの心理カウンセラーに過去、私は出会っている。そのうち実際に私が心理カウンセリングを受けたのは、一人の女性心理士による30分のカウンセリングを3回のみ、だ。
このカウンセリングは私にとって、全く意味のない1時間半だった。
無意味と感じた第一の原因は、このカウンセラーの外見が私の好みではなかったことにあるだろう。
彼女は同年輩のオバちゃんで、優しげではあるけれど、どことなく貧相だったのだ。
卑屈さが、その顔や言動に滲み出ていた。
加えてファッションセンスも私好みではなくて、実に安っぽい。


知人の心理カウンセラーから、心理士で高収入を得られるのは一握りだとは聞いてはいる。
かつかつ食べていければ、まだ良い方だとも...。
それでも他人からお金を取ってカウンセリングをするのだから、身なりには気を使った方が良いのではないかと私は思う。
あまりにも貧乏くさいと、高いカウンセリング料金を払う気持ちが失せてしまう。
大丈夫なの?この人...他に依頼がこないんじゃない?と不安になるばかりだ。
人と対面で接する、しかも他人の人生を導く仕事を選んだのだから、何を我慢しても外見を整えるための出費は惜しまずにいてほしい。
ただしボランティアで人のためのみを思って、無償で癒しを施していらっしゃるような方は、この限りではない。


私が知る複数名の心理士資格取得者は「教えたい」「導きたい」の表現方法がどうにも上から目線で、「主導権を握って、他人を操作したい」という本性が垣間見えて、なんだか距離を起きたくなる。
出会った当初は奥ゆかしくて遠慮気味な彼らは話すうちに押し付けが強くなり、会話中に不要とも思える言葉や言い回しの置き換えを何度も何度もする。正確に理解するために、ある程度の言葉の変換は必要とも思えるが、あまりにも執拗だと良い印象はしないということに彼らは気づかないのだろうか?


人の表面的な不愉快すら理解できずして、他人の深層心理を探ることが果たして彼らにできるのだろうか?
信用のおけない不快すら感じる他人に、心の奥の闇に繋がる重要な出来事や思いを、打ち明ける人が果たしてどれくらい存在するのだろうか?
それだからこそ彼らは食べるに値しない収入しか得られないのだろうけれど、それにしてもこの人たちは自己承認欲求と自己顕示欲のためだけに心理士の道を選んだのではないかと偏見を持ってしまう。


けれど西川芳宏氏の文章からは、全くこの「上から目線の操作性」が感じられない。
ご本人にお会いしたこともない私だけれど、だからこそ単純に純粋に氏の文章から感じるお人柄の良さに心が動く。


本書の序章「はじめに ネガティブなエネルギーと心のプログラム」で西川氏は下記のように述べられている。

私は、クライアントが自らの力で自己肯定感を上げて、心が楽になっていくということを重視しています。人はその力があり、それができないのは、やり方や理屈を知らないだけなので、それをお手伝いするとともに、その人自身の潜在的な力を引き出すサポートをしています。カウンセリングでスーパーマン的な力で癒してしまうと、その場は良いのですが、自己肯定感は育まれず、依存的になってしまい、結果的にはますます弱くなってしまうからです。


HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person)とは?

HSPについて、まずはWikipediaから引用する。

ja.wikipedia.org

テッド・ゼフの著書「The Highly Sensitive Person's Companion」による定義では「産まれたときから幼少期に渡り説明のつかない体験を繰り返し、HSPではなく生まれた人より五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人達」とされる。
Wikipedia>ハイリー・センシティブ・パーソンより

HSPは病気や障害ではなく、心理学上の概念であり精神医学上の概念ではない。DSMにも指定はされていない。
Wikipedia>ハイリー・センシティブ・パーソンより

HSPは生まれ持った気質であり、生涯、変わることはない。人口の約15~20%を占め、男女によって偏りは見られない。同様の性質は、人間以外にも100種以上の生物にも見られる。
Wikipedia>ハイリー・センシティブ・パーソンより


本書では「とても敏感な人」「敏感すぎる人」「とても繊細な人」と訳されると記されている。

HSP・繊細な人が苦しみを楽にして自分らしく生きる方法」

本書はどのような人に向けて書かれているのか?

  • HSP(敏感すぎる人、とても繊細な人)
  • 感受性が強く傷つきやすい人
  • 他者批判などを受けると心に強く残ってしまう人
  • 優しく思いやりがある人
  • いい人
  • 他人の気遣いをしすぎる人
  • 他人がどう思っているのかが気になってしまう人
  • 他人軸の人
  • 内向的な人
  • 人間関係を築くのが下手な人
  • 押しに弱く、譲ってしまう人
  • 自己主張が難しい人
  • 「ノー」がなかなか言えない人
  • 自分を責めがちな人(「自分のせいだ」と考えがち)
  • 劣等感が強い人(コンプレックスが多い)
  • 完璧主義な人(でもできない人)
  • 損をすることや理不尽な目に遇うことが多い人
  • 頑張ってもなかなか報われない人

以上の人が持ちがちな心のプログラムを挙げたと、この序章で氏は述べられている。
また氏ご自身がまさに過去には上記の人であり、悩み苦しんだとも。

【第1章】心の基本原則

この章ではまず、「物事の捉え方」で心の仕組みを解説。


次の「心のプログラム」では、物事の捉え方の違いを生み出しているものが心のプログラムであるとして、その仕組みと解説。


「心のプログラムができた原因」では、心のプログラムができる例を挙げ解説。
そして「抑圧」から「投影」「抑圧投影の仕組み」へと進む。


その後、「心のプログラムが強くなる理由」「HSPの性質」「恐れ」「愛」「恐れの対処法」についての解説がある。

【第2章】スピリチュアルの捉え方

「スピリチュアルを取り入れるスタンス」では、カウンセリングにスピリチュアルを取り入れていることによって役立つことについて述べ、「この世に生まれた目的」「鏡の法則」「統合」へ。


「女性性と男性性」では、男性性の資質と女性性の資質のいくつかを、具体的に参考として挙げている。


【第3章】苦しみを楽にするヒント

「白黒思考の罠に気づく」では白黒思考の特徴を、「矛盾を許す」では白黒思考が生まれる要因を善悪思考として、それにより生じた矛盾や葛藤を少なくする方法を解いている。


「無意識を意識化する」では、無意識を意識化するためのプログラムやワークの紹介。


「自分責めを止める」では、自分責めや必要以上にへりくだることや謙虚癖の弊害と、それらの癖を止める方法を。


「自分の感じ方を相手に適用しない」では、人を気づかうときの大切なポイント「自分の感じ方と相手の感じ方は違う」という当前のことへの理解を促し、HSPの人は5人に1人、その中でも強い繊細な人はさらに5人に1人として、自分の基準が周囲とはかなり違って特殊であることを認識するよう呼びかけている。


「罪悪感の背景と対処法」では、HSPが罪悪感を持ちやすいこと、その対処法。
どんな自分をも愛すること、「無条件の愛」を自分に向ける重要性を。


【第4章】心のプログラムを緩める捉え方

「自分がされたら嫌なことは人にやってはいけない」
「誠実でなければいけない」
「相手を傷つけてはいけない」
「冷たくしてはいけない」
「自分勝手はいけない」
「人を嫌ってはいけない」
「感情を出してはいけない」
「本音を言ってはいけない
「成果を出さないといけない」
「良い○○でないといけない」
「成長しないといけない」
「幸せになってはいけない」


以上の心のプログラムを緩める捉え方を紹介し、この章の最後に「それでも心のプログラムが緩まない場合」の対処方法を紹介している。


【第5章】ハートを見つける

「ハートとは」は本書の筆者である西川氏がカウンセリングで大事にしているのはもちろん、人生において最も惹かれた『ハート』について語られている。


続く「主体的に生きる」で、更に氏の『ハートで生きる』ことへの思いを、「自己肯定感を高める」では『ハートで生きる』ために欠かせない自己肯定感の高め方を紹介。


「自分の本質とつながる方法」では、自分とつながるための4つの方法を紹介している。


その後「ハートと心のプログラムの違い」について解説し、「ハートがわからないとき」から「ハートの声を聞く方法」へと続いていく。

おまけ 心の傷の処置のやり方

ここでは、抑圧せずに心の傷を対処方法を紹介し、その対処方法をより効率的に行うためのテクニックを2つ紹介している。

おわりに ハートシフトへ

こちらの最終章は、私が本ブログ記事にする内容ではないと思われる。


本書を読み終えたあなたのために、
あなたが読んで、
あなたのハートで、
どうぞ感じてください!



















まず自分。

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今朝の目覚めは5:28 a.m.
30分程まどろんで、起床したのは6:00 a.m.


昨日の就労移行支援事業所のプログラムは疾病理解。
7名の参加者で、各々のテーマーを紙に書いて、テーマに沿って皆で話し合う。


私は先日のあるⅡ型の利用者の「Ⅰ型は攻撃的」という一言がずっと気になっていたので、
それをテーマとして紙に書いてみた。


『先日、Ⅱ型の利用者の方に、Ⅰ型は攻撃的と言われました。皆さんもそのように思われますか?』


優しい意見が次々と出されて、心が温まった。
Ⅰ型でもⅡ型、また双極でも、精神を患っていない人でも、攻撃的な人は攻撃的というご意見に、「確かに」と思えて、私の緊張は一気に解けた。


私の主治医は私の病名を断定しない。
気分障害とは言うことはあるんだけど、「どれにも当てはまらないから、分からないよ」と宣う。
「いわばM病」などと彼は言ってのけるのだ。
一時期はそんな主治医を信じられなくなったりもしたけれど、彼の言うことはある意味正しいのだろう。


だから私は昨日のプログラムで、
双極性障害と診断したのは長くかかっている主治医ではなく、セカンドオピニオン精神科医からの診断です。特にⅠ型と言われたわけではないのですが、おそらくそうではないかと私自身が思ったんです。」
と言ったら、
「自分で病名を決めつけるのは良くないよ」とのご意見。
「勝手に思い込んで悩むのは...ね?」


あ...確かに!


安心するために、明確な病名を知りたくなってしまう。
自分がどこに所属するのか明らかじゃないと不安なんだ。


そうだな...もっとふんわりしていてイイのかも知れない。
こんなところにまで、白黒思考が出てしまうんだな。



Mr.Children 優しい歌


“誰かが救いの手を 君に差し出している
だけど 今はそれに気づけすにいるんだろう

しらけムードの僕等は 胸の中の洞窟に
住みつく魔物と対峙していけるかな

一吹きで消えそうな 儚い願い
言いかけて飲み込んで 恥ずかしくなる

魂の歌 くすぶってた 照れ隠しの裏に忍ばせた
確信犯の声

出口の無い 自問自答 何度繰り返しても
やっぱり僕は僕でしかないなら

どちらに転んだとしても それはやはり僕だろう
このスニーカーの紐を結んだなら さぁ行こう

簡単に平伏した あの日の誓い
思い出して歯痒くて 思わず叫ぶ

後悔の歌 甘えていた 鏡の中の男に今
復讐を誓う

群衆の中に立って 空を見れば
大切な物に気付いて 狂おしくなる

優しい歌 忘れていた 誰かの為に
小さな火をくべるよな
愛する喜びに 満ちあふれた歌”



今日の朝ソングは、
Mr.Children の「優しい歌」


昨日はプログラムの後でお茶をして、ちょっとダークな気分をもらってしまった。
まだまだ他者との境界線が上手く引けない私。


もうちょっと距離感を考えないと、苦しくなるんだな。


しっかりと境界線を引けるようになるまでは、接近しすぎは危険だろう。
私は私のために生きている。
誰のためでもなく、自分のため。


だから今はまず自分がしっかりと立つこと、それを中心に考えることに決めたんだ。
寄りかかられ過ぎてしまったら、救うどころか共倒れになる。


もっと強くなれたらね、
そうしたら自然に人にも優しくなれると思うんだ。




さあ今日も、
胸を張って背筋を伸ばして、
前を向いて出かけよう。









行ってらっしゃい。




行ってきます。














今日も絶対にイイ一日。

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今朝ふと目覚めたのは4:28 a.m.
夫のベッドは空。


昨夜の夫の帰宅は10 : 37 p.m.
それに合わせて食事の支度をして、軽く一緒に飲んだ。


昨夜の私は日付が変わる前に眠ってしまったから、
それ以降の彼を知らない。


流石にこの時間までは飲んでいないだろうから、
「転寝をしているな」と思った。


放っておいても構わないのだけれど、
気持ちのざわつきは私のどこにもなかったから居間に行ってみた。


案の定、眠りこけている夫。
その姿を見ても怒りはゼロ。
いい感じだ。


眠る夫のお尻をペンと叩くと、とんでもなく驚いた様子でつい笑ってしまった。
「風邪を引くよ」と一言告げて、私は寝室へ戻った。


うとうとして再び目覚めたのが、5:12 a.m.
隣のベッドから夫のいびきが聞こえた。


いいんじゃないですか?
私の夫との距離感。
しっかり境界線が引けているんじゃない?


今日は就労以降支援事業所は午後からだから、
ベッドの中で眠りの余韻を堪能した。


午前7時に布団から出るまで2時間近く、
ぬくぬくホワホワ過ごす。


いろんなことが作用して、私は今とても楽。
このまま安定したいところだけれど、きっとまだ癒しは足らないだろう。


けれどこれから先に、悪い予感はどこにもない。
心の揺れまで無くそうとは思わない。
揺れても修正できれば、それで十分だ。




ラックライフ / 初めの一歩 [Music Video](TVアニメ『チア男子!!』OP主題歌)


今日の朝ソングは、
ラックライフの「初めの一歩」


“何気なく過ごしてる
日々に蓋をしてしまう
抜け出したい気持ちは山々です
初めの一歩目が
踏み出せない僕に
いつでも君が僕の手を引っ張って

新しいモノを見に
連れて行ってくれる
世界が変わる
はじめの一歩目で
変われた気がした
どこまででも行ける
もう大丈夫僕らなら

行け、飛べ
ありのままで
不安も迷いもあるけれど
やってみなきゃわからない
事がたくさんあるんだよ

行け、飛べ
あの空に届きそうなぐらいに手を伸ばす
僕らはもう一人じゃない
新しい世界に飛び込むのさ

怖い辛い悲しい事
ばかりじゃないけど
そっちの事ばかりが気になって

小さな事で笑えてる僕の方がいい
誰しもが
好きな自分でいられますように

行け、飛べ
できるだけ
小さな幸せに目を凝らせ
雨の日でも風の日でも
大切なモノは変わらない

行け、飛べ
あの空に届きそうなぐらいに手を伸ばす
僕らはもう一人じゃない
新しい世界に飛び込むのさ

行け、飛べ
ありのままで
不安も迷いもあるけれど
やってみなきゃわからない
事がたくさんあるんだよ

行け、飛べ
あの空に届きそうなぐらいに手を伸ばす
僕らはもう一人じゃない
新しい世界に飛び込むのさ”


今の気分にぴったりだな。
なんかこういうのって、なんて呼んだらいいんだっけ?


まぁいいや。


イイ青空が広がってるよ。
今日も絶対にイイ一日だ。







行ってらっしゃい。




行ってきます。













ありのままで大丈夫だ。

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午前6:47、雨で光る歩道。
傘をさした人が足早に歩道を行く。


私が通所する時刻には雨はやむかな?
それでも折りたたみの傘は用意した方が良いみたい。


今朝の気分は低め。
もしかしたら、これくらい重いのが平常の気分なのかも知れない。


双極性障害、躁気分があまりにも気持ちがいいから、
比較すると平常時の気分が重く感じられてしまう。


私はⅠ型だから尚のこと、軽躁状態が長く続くようだ。
人にも寄るのだろうし、主治医などは私の症状は非常に珍しいという。
薬をほとんど飲まずとも、問題なく過ごせる。
まぁ何を問題にするか、だろうけれどね。


子供の頃から辛いことの方が多かったから、
多少の気分低下ならなんなく過ごせる。


人前に出るための気分のあげ方も心得ている。
とても疲れるけれどね。


今日は重めの気分だから、以前なら通勤のために気分を上げまくっている時刻だ。
気分を上げるのは簡単。
鏡を覗いて、まずは笑顔を作るんだよ。
それからお気に入りのメイク道具で、お化粧をする。
どんどん気分が上昇する。
仕上げはお気に入りの服を選んで、着用する。
全身を鏡に映して、ガッツポーズでちょっと悪そうにニヤリと笑う。
これでOK!準備万端だ。


就労移行支援事業所に通う今は、無理に気分を上げないことを目標としている。
毎日その時の気分のまま、ノーメイクで家を出る。


仕事を始めたら軽いメイクはしないとだな。
そうするとやはり気分は多少上がるのだろうか?




くるり グッドモーニング


今日の朝ソングは、
くるりの「グッドモーニング」
脱力感が心地よい。



“夢は歩むここから始まる
スクランブルは広がってゆく
そこらじゅうに
歩いてゆく 歩いてゆく”



人前だからといって元気にする必要はないんだよね。
私は私のまま、その時々の気分のままで問題ないんだよ。
無理に上げる必要なんかない。


いつだって、どこでだって、ありのままの私でいい。







行ってらっしゃい。




行ってきます。





















マイナスの感情と、プラスの感情と...。

※注!
このブログ記事は、死とお酒の話題が出てきます。避けたい方は読まずにブラウザを閉じてください。



朝まで飲んで、
けれど滅法お酒が弱くなった私は、友人Aと比べたらかなり酒量が少なめだったように思う。
ベロンベロンには到底ならない程度の、気持ち良い酔いが朝まで続いた。
それにしてもAのお酒の強いこと...驚異的だ。
相当に飲んでいたのに、朝まで普通だった。


元々友人Aとは歪んだ部分が共鳴して、以前はかなり深めの話になったりしていたのだけど、昨日は案外さっぱりした普通の会話をしていた。
家業を継いで普通に仕事をするようになった彼も、随分普通の感覚になったように感じた。
昔話もしなくなった。
それでも私同様に認知の歪みはひどいし、白黒思考も大したものだった。


しばらく連絡を取っていなかった友人Mの話題が出て、「呼んでみる?」って話になった。
AがMの携帯電話番号に発信したが繋がらない...呼び出し音すら鳴らず、ガイダンスが流れる。
メール送信してもリターンメールが...。
嫌な予感がした。


私たちは生きていくことが結構しんどい。
こんな風に連絡が取れないと、なんだか不穏な空気になる。


冗談っぽく、
「死んでたりして」
などと言ってみる。


冗談っぽく、
「奴ならありえる」
と返ってくる。


「いやいや〜Mは死なないんじゃん?結構図太いじゃん?」
「いや...案外Mくんは繊細だから...」
「...そりゃまぁそれは分かってるけど...死ぬような奴じゃないと私は思うな」
「分かんないよ?」
「そりゃまぁ分かんないよね...案外みんな簡単に死んじゃうよね...」
「ん」
「や、けどMは死なないって」
「そうかな?俺はMくんは死んでもおかしくないと思う」
「そんなこと言ったら、誰だって死んでもおかしくないじゃん」


そんな不毛な会話をしていると、AのiPhoneにMからの着信があったようだ。
驚いたようにAが「Mくんから着信があった!」と言った。
「かけてみる?」
「もちろんでしょ?」


Mと神妙に話すAを横目で眺めながら、不意に涙が出てきた。
生きていて良かった、心からそう思ったのだ。
そして来月、皆で会う約束をした。


電話を切ってから、私は言った。
「あれだよね? 私たちってさ、やっぱり自分の本当の感情がすぐには分からないよね?」
「え?」
「Mが死んでるんじゃないかって思った時、本当はすごく嫌だったじゃん?そんなの絶対に嫌だって思ったでしょ?」
「うん」
「けど、なんてか冗談っぽく言っちゃうじゃん?深刻に話せない」
「ああ」
「死んじゃってても平気っぽくしちゃうよね?」
「うん」
「死んじゃってたら、むちゃくちゃ悲しいのに...悲しいってすぐに分かった?」
「分かんなかった...」
「だよね...」
「うん」
「電話繋がって、無事って分かって、ホッとして、嬉しくなって...で、やっとさっきまで悲しかったんだって分かったよ、私」
「俺も...」


辛かったり苦しいことが日常的にあると、その感情を感じないように、感情に蓋をする。
それが癖になって、いつの間にか感情に気づかなくなってしまう。
感情に鈍感になる。
そんなのは卒業して、私は私の今の感情なら、しっかりと感じられるようになったと思い込んでいた。
そんな簡単なものではないのだと、実感した日。


そういえば、愛猫の死も、私は十分に悲しみ切っていないように思う。
父の死も、親友の死も、未だに思い出すと悲しみで胸が締め付けられそうになる。
母のことも思い出すと恋しくて、母の愛が欲しくて、苦しくなる。
母の愛を疎みながら、独り占めする妹が憎くなる。


苦しい...悲しい...寂しい...。


この思いが消える日は、いつか訪れるのだろうか?


苦しいのも、悲しいのも、寂しいのも、
感じている時は辛いけれど、この感情も私には愛おしい。


楽しさや喜びを感じている時の幸福感に比べたら、全く興奮はしないけれど、そのポツリとした感覚を私は懐かしむ。
生きていく上で支障になる程のそれらは、不要なのだろうけれど、その負の感情も大切にしていけたら...それを持ち続けながらも、生き生きと生活できるようになれたら良いのになぁ...。

















立川にて。

今日は数少ない大切な友人と、朝まで二人飲みの予定。
友人の都合で、立川で飲むことになっている。


せっかく立川まで行くのだから、小金井公園で本日開催予定だった『四季の花まつり冬・うめまつり』
へ寄ろうと思っていた。


けれど…
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止のため、中止
ですと…(ToT) 残念!


仕方ないのでホットヨガの無料体験を予約したけれど、思わぬ中央線の混雑でくたびれたのでキャンセルした。
友人との約束の時間は20時。


あと4時間、なにをしようかな?
良く晴れ渡った気持ちの良い休日だ。
立川の町を、あてもなく一人ぶらりしてみよう♪










感情を感じて、痛みを受け入れる。

久しぶりに夢を見た。
そしてまた久しぶりに、泣きながら目が覚めた。


幼い頃から理不尽なことが多くて、その理不尽を自らに納得させるために、子供ながらにいくつもの理由や意味を考えたものだ。


「母が私にきつく当たるのは、父から愛されない悲しみが原因でお酒を飲んでしまうから。お酒を飲まなければ母は優しい人。可哀想な人」


「父が厳しくて怖いのは、母が家事もせずにお酒を飲んで暴言を吐くから。実母に捨てられた寂しさのある父は常に母性を求めているから、外に女性を作ってしまう。本当は真面目で優しい人」


「妹が負けず嫌いで自己中心的なのは、本来生まれてこない子、母のお腹の中にいた時に父から堕胎するよう言われたことを知ってしまったから。父が無条件に姉(私)を可愛がるのが悔しくて、自分の方が愛されるよう頑張っている努力家」


家族の誰からもその本心を聞いたことはなかったけれど、自分を納得させるためにそう思うようになっていた。


今朝見た夢の中の私は、まだ子供だった。意地悪をするでもない普通にしている妹とただ一緒にいるだけなのに、悲しくて涙が止まらない。涙を流し続ける私に、父が「どうした?」と聞く。私は何も言わずにただ泣き続ける。
父が妹を連れて部屋から出て行く。一人になった私は何故だか安心して、思う存分悲しみを味わうために声を出して泣き始めた。
「うわーん」と声をあげて、子供らしく泣きに泣いた。


泣きながら目覚めたけれど、とてもすっきりとした気分だった。
心の中にぽかりと空白はあるのだけれど、私の中で詰まっていた一つの悲しみが無くなったようだ。


これは「ダメ人間のおわり」の第7章にある「本当の感情を出して、痛みを受け入れた」ことの作用なのかも知れない。


こうやって少しずつ、子供の頃から抑えてきた感情をきちんと感じて、表現して、心の痛みと向き合っていく。
幼少期の抑圧によって生まれたモンスターを、少しずつ解放する。
きっと私の中には巨大なモンスターがわらわらと潜んでいるから、全てを解放するには長い時間がかかるだろう。
解放することによって今朝のような開放感を味わえるのならば、どれだけ時間がかかろうと、どんなに苦しい気持ちになろうと、私はこの作業をコツコツと続けられるだろう。


いつか全てのモンスターを解放して、本当の自由が訪れる日を楽しみにしながらこの地道な取り組みを続けていこう。