そういえば、「私は仏教徒です」と公言する人と出会ったことがない?
今朝(?)の起床時刻は、AM2時頃だろうか。
夫の生活音で目が覚めてしまった。
シラフなら気遣いの十分な夫だが、酔うとそうはいかない。
何事も大雑把になるから、全ての動作音がなかなかに大きい。
しばらく辛抱していたら、寝支度を整えて布団に入ったから、私も二度寝するか一瞬迷った。
酔った人の寝つきは早く、かつ鼾がすごいのよね…。
二度寝したところで、鼾の音で再び起こされるだろう。
そうなるとイライラのタネになりかねない。
昨日の就労移行支援で受けたプログラムは「マイレポート」。
こちらは毎月週1程度の頻度で行われるプログラム。
月初に1〜2ヶ月先の近い目標と、半年もしくは退所時の未来像を設定し、毎週頭に一週間を振り返る。
昨日は「パターン分析」
そこに私は信頼できる師匠ができた、と記した。
一人一人の発表の時間には「仏教徒になった」と、躊躇うことなく公言した。
キリスト教徒は大抵、どこへ行っても堂々と公言するのよね。
けれど仏教徒と公言する人には、未だかつて出会ったことがない。
お坊さんと創価学会の人くらいかな?
「私は仏教徒です」
聞いたことがない。
そんなんで試しに言ってみた。
「ヴィパッサナー瞑想から仏教を知って、仏教徒になりました。そこで信頼できる師匠ができました」と。
師匠、おっちょこちょいで落ち着かない私ですが、
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
一周年。
なんとなく私なりに見えてきたものがあって、
今の時点で思うのは、
「苦しみながら輪廻転生するのも、そう悪くはないのかも?」
ということだ。
それぞれの生き方がそれぞれの人生になるのだから、
綺麗事や言い訳を並べ立てていないで、それぞれが感じる方へ進めばいいんじゃない?
怒りたい人は怒ればいいし、
結果として嫌われることは多いだろうし、
冷静な人からは馬鹿にされるだろうし、
怒れない自分を情けなく思っている誰かからは尊敬されるかも知れない。
真剣に怒っている人を見て、
馬鹿にしながら面白がって、
スッキリしている狡猾な奴らに踊らされるのも一興だ。
本気で怒ったあとはひどく疲れるし、
羞恥心と嫌悪感で落ち込むこと甚だしい。
我を忘れる勢いで怒鳴り散らしているときの陶酔の後にやってくる地獄は、
筆舌に尽くし難い。
だってだから、そういうのも因果なのでしょう?
実にくだらない世の中から脱出を試みても、
叶うとは限らない。
お前のような凡夫には解脱するのは至難の技。
そうやってあざ笑うのは、覚ったと勘違いする気の毒な輩。
馬鹿にされたとて、どうせ同じ穴の狢。
それでも仏教には大いに興味があるのよね。
だって本物を見極めたい。
私に見極められるかな?
どんぐりと背比べして、
目糞が鼻糞を笑う。
昨日、はてなブログから開設一年を知らせるメールが届いた。
もう一年!
まだ一年。
やっと一年?
はてなブログさん、
こちらこそ、これからもヨロシク。
陰で笑われてもいいの。
どうしたって、バカバカしい人生。
その時々の心情を、ありのままに綴っていけたらいいなぁ。
再びの一年後に、
私はなにをしているんだろう。
どんな私になっていても、
例えば生きていなくても、
すべてはただ流転している。
普通の朝の日記。
目がさめると、遮光カーテンの隙間から光が差し込んでいた。
手を伸ばして枕元のiPadを手にとって時刻を確認すると、5時28分だった。
ベッドタイムの設定を確認すると、解除状態。
眠れなかった昨朝、解除していたのを忘れていたのだ。
チラと失敗したという思いが浮かんで、すぐに消えた。
そんな小さな失敗よりも、ぐっすり眠れたことが嬉しかった。
そんなんで今朝の瞑想は、1時間に短縮。
瞑想の後でシャワーを浴びて、朝食をとってから今ホッと一息コーヒーブレイクだ。
出かける時刻まで後、小一時間。
それほどのんびりとはしていられない。
窓から、素晴らしく晴れ渡った青空がのぞいている。
今日はどんな一日かな?
新しい出会いはあるだろうか?
なにはともあれ、自然に訪れた眠りに感謝。
昨日のダーク気分は…。
来月から就労移行支援事業所への通所が再開されるし、新しいこともいくつか始める予定がある。
だから昨日は予定を入れずに、ゆったりと気ままに過ごす予定だった。
けれど14時過ぎにかかってきた電話で、急遽外出することとなる。
かかった電話は保険事務所からで、お相手は障害福祉課の担当職員。
住民税が未申告のため障害福祉サービス受給者証の発行ができないというのだ。
9月1日から通所できるように余裕を持って申請したものの、重要な知らせをギリギリになって受けるとは思ってもいなかった。
「つまり9月には間に合わないということですか?」
「そうですね…申請してもすぐには反映されないでしょうから、手続きは郵送ですから二、三週間はかかるのではないですかね」
まるきり他人事という無感情の対応に虚しさを覚えつつ、区の職員に期待する方がどうかしていると自らに言い聞かせる。
更にこの人に心情を訴えても暖簾に腕押しということも、幾度かのやり取りで判明している。
話をしても長引くだけで、時間の無駄になるだけだろう。
こちらから課税課に電話をして確認してみると告げて、一旦電話を切った。
令和2年度分だから令和元年(平成31年)1月から12月までの期間の所得だ。
この期間は1月から10月までは失業保険を受給していたから、課税の対象にはならないはず。
その後も私の収入はない。
それでも申告は必要なようで、今回の状況はこれを知らなかった私の手落ちだ。
区役所の課税課に電話をして今回の事情を説明し、届け出の流れを確認すると、来所すれば手続きは当日に完了するという。
再び保険事務所に電話かけて担当にその旨伝え、これから区役所へ出向くことを伝えた。
対応の早さに彼女は驚いたようで、少し戸惑っている。
指示を待つのも時間の無駄なので、「区役所の方に手続きに証明書が必要かを聞かれましたが、必要ですか? 申告の後、私がしなければならないことは他に何かありますか?」と訊ねた。
「あ、いえ、反映されればすぐにこちらで手続きをします」
「9月に間に合うように手続きをしていただけるんですね?」
「反映されれば間に合います」
こういった確約はしないというお役所仕事的なやり取りも実に時間の無駄だから、粘らずにさっさと会話を終了して出かける準備に取り掛かる。
我が家から管轄の区役所まで、door to doorでおよそ30分。
支度に時間をかけてはいられないから、着替えだけ済ませるとさっさと家を出た。
15時半には手続きが完了する。
この手続きを担当した職員にお願いして、障害福祉課の担当職員に反映の確認と、9月に間に合うように手続きが完了できるかを確認していただく。
第三者を介入させないと、あの障害福祉課の担当職員は信用できない。
一旦席を立って電話をかけに奥に引っ込んだ職員は、5分ほどして戻ってくる。
「反映していることを確認しました」とその職員は言う。
「ありがとございます。障害福祉サービス受給者証の発行が9月に間に合うことも確認していただけましたか?」と問うてみる。
「あ…確認しませんでした」
「…お手数ですが確認していただけますか?」
「…はい、お待ちください」
一から十まで再確認が必要なことに、ちょっと呆れるが顔には出さないように注意した。
しばらくして戻った区役所の担当から9月に間に合うように手続きを完了させるという確約を聞いて、ホッと一息ついた。
一息つくとすぐに、なんとなく虚しい気分になった。
炎天下のもと、汗をだらだらかきながら家路を辿る。
なんだかぐったりしてダーク気分のまま、昨日のブログ記事を更新したのでした。
いやはや…なりきりっぷりがお恥ずかしい。
あの人たち、あの公務員さんたちってば、あれよね?
やっぱりそれ相応の努力はしているのよね?
何かしらの資格を取得しているわけだし、採用試験にだって合格しているわけだ。
ある意味つまらない仕事とも言えるし、彼らがいなければこちらも困る。
コロナでも休めないし、暑くても出勤しなきゃだしね。
しかもあれだ。
彼らがもし「給料泥棒」だとしたら、これはもう盗みだからね?
いいのいいの彼らの問題だから、私には関係ないの。
第一、悪人てほどでもないしね。
日々、ストレスも溜まってるだろうしね。
公務員に厳しいこと言う人は、多いもんね。
かく言う私も、ちょっと前までは彼らには相当厳しかったよね?
ガンガン意見してたものね。
ある意味、クレーマーとも言えたよね?
そういえばあの精神科医Sったら、「あんたたちは基地外なんだから、気に入らないことがあったら基地外らしく怒りまくれ」的なことを言っていたなぁ…。
あの言葉を真に受けて、あのクリニックの一部の患者たちはなかなかに攻撃的だったけれど、傍から見ているとちょっと引いたもの。
うん、あの人たちを近くで見れたのも良い経験だった。
怒りを覚えても躊躇するようになったもの…。
その流れで仏教と出会ったのも良かったな。
怒りを露わにするのは恥ずかしいって実感していたから、怒りが悪業と知って十分に納得できた。
恥プラス悪業ときたら、これはもうやめる努力するしかないよね?
世の中を冷静に見渡してみると、怒る人よりも怒らない人の方が多かったりするし。
怒っている人の方が目立つだけで、大人しくしている人の方が断然多数。
あ〜気づいて良かった。
危ない危ない…怒りを正義って勘違いしてた節もあるし。
正義感故の怒り、とかね?
あぁ、また余計なおしゃべりブログ記事を書いちゃったなぁ…。
こういうのはちょっと久しぶりだけれど、仏教徒としてどうよ?って感じだけれど、直さないで更新してしまおう♪
今日はなんとなく、そんな気分。
マインドコントロール
1990年代に起きた一連のあの事件で、「解脱」という響に浮かぶ偏見と危機感はただならない。
若い人には現実味のないあれらの事件から、宗教に感じる胡散臭さは私たちの世代では笑い話にすらならない。
そんなんで「解脱を目指す」などとは、軽々しくは口にできない。
「解脱」と耳にしただけで、ちょっと緊張したりするのは神経質に過ぎるのかもしれない。
もう10年以上前になるが、あの宗教団体の踊りの振り付けをしたという女性と知り合ったことがある。
その当時は既に彼女は、どこにでも居る普通のおばさんにしか見えなかったけれど、ご当人の話ではダンサーを目指していた若い頃は人目をひく美人(本人談)で、教団内でも特別な存在であったという。
事件が明るみになって教祖が逮捕される直前に、教団施設から逃げ出した時の、彼女の体験談を聞いた。
なかなかに緊張感のある話で、聞いているだけでドキドキした。
驚きをあらわにしないよう注意しつつ平然とした態度で最後まで話を聞き終えたものの、話を聞きながら一刻も早く彼女と別行動をとりたいと心から願った。
「さよなら、また」という挨拶をした瞬間の開放感、あの安堵感は今でも鮮明に思い出すことができるくらい、緊張した数時間だった。
その後、彼女と普通に付き合うことは出来なかった。
事件から長い年月が過ぎているとはいえ、感じる恐怖は否めない。
彼女は何の犯罪も犯していない。
けれど一連の犯行が明らみになる前から、あの教団の行動は一種異様だったのだ。
そんな教団に入信してしまう人というのは、やはりちょっと異様な気がする。
そんな教団に少しでも不信を感じれば、洗脳されるほど近づかないのではないか?
あの時の彼女は出会ったばかりの何も知らない私に、自ら進んでこの話を語った。
大して親しくもない私に、そんな大変な話をしたのは何故だろう?
秘密にしておけば、どうという特色もない普通のおばさんである自分を、特別な存在と知って欲しかったのか?
彼女はこうも言った。
「あの教団と出会わなければ、私はどんな人生を送っていたかなって、たまに思うの。
有名なダンサーになって世界的に活躍していたかもしれないし、普通に結婚して今頃は孫に囲まれた平凡だけれど幸せな人生を送っていたかもしれない。
少なくとも独身で頼る人もいなくて、たった一人で惨めでつまらない人生を送ってはいなかったと思う」
どう考えたところで全ては彼女の妄想に過ぎず、現実はただ一つしかない。
他人のことはよく見える。
けれど私だってそう変わりはないだろう。
立派な両親だったら?
せめて普通の親だったら?
愛されて大切に育てられたら?
母がアルコール依存症でなければ?
父が家庭を大切にする人だったら?
だったら精神を病まなかった?
それは誰にも分からない。
今の私には、この人生しかない。
誰だって少しずつ洗脳されている。
社会からマインドコントロールされている。
社会の歯車であることを強要されている。
輪廻の渦に巻き込まれて、永遠に転生し続ける歯車。
養子に出される前の父の名字は、十六藤の一つだった。
養子に出された先は、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏、佐々木氏流が名字の由来。
父は母に向かって、偉そうにこう言った。
「世が世ならば(俺様は)、お前のような平民となど結婚する身分じゃない」
夫の長兄が婿入りした一族は自分らの出自は明かさぬまま上から目線で密教を尊び、弟嫁を千葉出身と思い込んで漁師の出と蔑む。
武士の出という夫の母は満鉄勤めだった父が自慢で、自分の嫁ぎ先を農家の出と嘲る。
卑しい人ほど自慢話ばかりで、勝手な想像で人を見下す?
こんな風に考える私の心は真っ黒で、汚れているに違いない。
どこまでも澄んでいる仏陀の心には、きっと誰もが憧れるだろう。
そうありたいと願うだろう。
仏教を知ったとき、彼らの心は澄んでいたのかな?
純粋に仏の道を信じたのかな?
絡む政治をどう捉えていたのだろう?
心から人の幸せを祈ったのかな?
ちらりとでも出世欲が浮かんだのかな?
お釈迦様よりも優れた人など、そう簡単には現れない。
それでも心からお釈迦様を信じて、少しでも近づきたいと願う人はいるだろう。
清らかな心になりたいな。
なれたなら、いいなぁ。
呪文は"There is no place like home!"
久しぶりのブログ更新。
何日ぶりだろう?
なんのかんのお騒がせの末、昨夜遅く家に戻った。
7月25日の夜に家を出てから、25日目の帰宅。
その間、3晩自宅で過ごしたから、22日間家を空けていたことになる。
長かったような、短かったような…一月も経っていないのよね。
帰ることを決意したのは、先週行われた就労移行支援事業所の担当との面談で、当初計画していたように私の都合よくはいかないことが判明したから。
離婚するつもりはなかったものの、真剣に別居を考えていた。
しばらく家を空けてみて、夫の顔がすっかり穏やかになった。
誰にも気兼ねせずに過ごすことは実に楽ちん。
私たち夫婦は、どちらも一人が好きだ。
誰かと一緒にいると、余計な気遣いをして疲れてしまうんだな。
興味を持った企業がアルバイトを急募していたから、これはもう何が何でも採用されなくちゃと焦った。
けれどそう思い通りに事は進まない。
就労移行支援の再開も、私が考えていたよりも時間がかかるようだ。
担当と話し合った末、焦らずにじっくりと再就職を進めることになった。
つまりしばらくは無職で過ごさなければならない。
そんな経済状態では、一人暮らしは継続できない。
のんびり過ごしている夫には気の毒だけれど、帰るしか手立てはなくなってしまった。
昨日は3週間ぶりの通院で、主治医にも近況報告をした。
「え?まだ家出をしてるの?」と主治医。
「はい、けれど今日帰る予定です」と私。
「それは良かった。ご主人も心配して連絡をよこしてたでしょ?」
「うーん…別に心配はしてなかったんじゃないかな?」
「なぜ?」
「これと言って連絡はなかったですよ?」
「え?一度も?」
「はい、あ…私宛の郵便物が届いたと一度だけLINEがあったきりです」
「それは…」
「まぁそういう人ですよ」
「帰れるの?」
「この前、ちょっと帰った時に報告してあります、帰ることにしたって」
「それで」
「特に何も、ふーんって感じでしたよ?」
「…」
「大丈夫ですよ、問題ないです」
「そう?」
「ちょっと何を考えているのか分からない人だけど、気にしたって仕方ないですから。私としては別居してた方が楽だけど…」
「ご主人もそうじゃない?」
「それはもう絶対にそうですよ。別居してから速攻でいい顔に戻りましたもん」
「そうなの?」
「そうなんです。私が家を出る前は眉間にシワが寄っちゃって、私の父にそっくりになってたんですよ、それがすっかり穏やかな顔に戻ったから…」
「お互いに一人がいいってね」
「そうなんです…家出中は気楽で良かったなぁ…ひと所に居ないであちこち移動するのが楽しかった」
「あんたはそういうのが性に合ってるんだね」
そう言って主治医は笑った。
そんな経緯で戻ることになったのだけれど、思いがけずに昨夜は久しぶりぐっすりと眠れた。
布団に入ったのが22時頃で、夫が帰宅して一旦目が覚めはしたものの、朝の目覚めは午前7時過ぎ。
今朝はじっくり瞑想もできて、一日のんびりと落ち着いた時間を過ごしている。
今はそうだな…オズの魔法使いの、ドロシーみたいな気分だ。
また見えなくなるかも知れないけどね。
新たな出発。
家を出てからの出来事や感じたことをブログ記事にしたいのだけれど、
案外やることが多くてなかなか時間が取れない。
一昨日の夕方から一旦自宅に帰ってみた。
溜まった洗濯物をしたかったのが第一の理由、コインランドリーは弱水流ないのよね..夫の様子も気になったし。
帰宅するとその日は23時出勤の夫は昼間からビールを飲みつつ、ここのところの彼のマイブームをしていた。
やはり夫は一人が性に合っているようだ。
マイペースで、不自由なく暮らしている。
ルイボスティーや麦茶を冷蔵庫に作り置いたり、お風呂場の換気扇を自力で直したり。
離れて暮らすことは、私たちにとってはとても良いみたい。
互いになんの干渉もなく、自然体でいられる。
週末は宿代も若干高くなるから、週末だけ家に帰ろうかな?
掃除もしたいしね。
今日の午前中には、休止状態にある就労移行支援事業所での面談がある。
毎週金曜日に新しく担当となったスタッフに電話で近況報告をする。
私が家を出たこと、就職したい企業ができたことは、彼女に報告済みだ。
本日は受給者証の再申請にあたって、相談支援専門員を含め三者で話し合いの予定。
少しずつだけれど、動き出している。
とりあえず、近況報告。
残暑がものすごい。
コロナ対策と熱中症対策、なかなかに厳しい今年の夏ですが、マイペースで乗り切りましょう♪
ではまた。
穏やかな日常。
昨日、久しぶりで帰宅すると夫は、少し嬉しそうに「帰ってきやがった」と言った。
「帰ってきたんじゃないよ〜少し荷物を取りにきたの」と私が言うと、ちょっとだけ引く気配があった。
「ぶーちゃん、一人の方が好き勝手にのんびりできるでしょ?」
「いや、俺は毎日仕事だからな」と夫。
「別々の方が私はリラックスできるかも?便秘が治っちゃった」と私。
「まぁ良いんじゃない?」と飄々と夫。
「ぶーちゃんも安い物件に引っ越したら良いんじゃない?4万円未満でシャワーがついてる物件があったよ?」
「本当か?」
「うんうん、フローリングよりも和室が良いんでしょ?」
「うん」
「フローリングのだと学生さん用っぽいので3万2千円の物件もあったよ?」
「畳が良い」
「だよね?見てみる?」
「いや、まだしばらくはここで良い」
「そうなんだ...けどここは来年の8月には出なきゃだよ?」
「...」
今、住んでいるマンションは来年の8月で建て替えのため、それまでに退室するよう言い渡されている。
なかなかに心配性の私は家主からこの話を聞いてすぐに物件を探し始めた。
条件の合う物件とは、そう簡単に出会えない。
夫は実にのんびり構えていて、ギリギリで構わないと言う。
意見が合わないんだな...。
夫は主張を通す方だから、私が折れるしかない。
今回の別居は互いが持っている不満の暖和に役立つようにも思えるし、ますます溝が深まるようにも思う。
どんな結果が待っているか、今のところ謎だけれど、こんな距離感はなかなかに心地よい。
今回、私は夫と二人で食べようと思って、大福もちを二つ買って帰ったけれど、夫ときたら剣もほろろに「いらない」ですと...。
まぁね、相手に合わせて嫌々食べて、後から愚痴るよりはいいですがね...たまには寄り添ってくれても良いのじゃない?
と、ぶうぶう不満が湧いてきた。
一緒に大福もち食べている図を思い描いてしまった私の勝手な空想が、いらぬ不平不満に発展するのだろう。
「あ〜ぁ...一緒に食べながら少し話がしたかったのになぁ」
そう私がこぼすと夫は、
「タイミングが悪い」と一言。
まま、おっしゃる通り、私の一存でございます。
「次は一緒にご飯を食べながら、もっと話ができたら良いなぁ」
私がそう言うと夫は無言で頷いた。
今回、帰宅したのは杖が必要になったから。
膝の痛みが日を追うごとに増している。
この状態では近々、杖なしでは歩けなくなるかも知れない。
肩の力をぬいて。
子供の頃からの癖で、つい頑張りすぎてしまう。
なかなか特殊な環境下で育ったから、「私がなんとかしなくちゃ」と小さな頃から頑張っていた。
そんなんで、弱音を吐いたり、甘えたり、リラックスするのがとても下手だ。
過集中になるから自分が疲れていることもよくわからないで、気づかぬうちに無理をする。
今朝の座る瞑想で、足の痺れが酷いのにそれを観察して座り続けた。
私の足が「もうやめて苦しいよ」と訴えていることに、ふと気づいた。
そうすると手たちが自然に動いて、痺れた足を優しく撫でた。
すると足の一部に強い痛みを感じて、こんなに痛くなるほど我慢して座り続けていたことに驚く。
「ごめんね、ごめんね、痛かったね」心の中で謝りながら、さすり続けた。
涙がポロポロと溢れる。
また自分に対する慈しみをすっかり忘れていたのだ。
聖者と比べてもね、能力が違う。
それぞれの持つ力で、それぞれのスピードで。
マイペースで大丈夫、それが今日の気づき。
迷い道、惑い道。
このところ、どうも父や母、妹や甥たち、伯父や従兄弟たちのことが思い出されて仕方がない。
特に思い出すのは20年以上も昔に他界した父のことで、つい思いにとらわれてしまう。
父の生い立ちを考えると、なにやら悲しくなってしまって、かわいそうでならなくなる。
連鎖的に母や妹のことも思い出して、これまた彼女たちの苦しみを考えると悲しくってやるせなくなる。
あまり悲しむとね、ちょっと頭が痛くなる。
頭が締め付けられるような感じになって、涙が止まらなくなる。
そんなんであまり深い悲しみにとらわれないように、瞑想を一所懸命やっている。
忘れていた子供の頃のことも、思い出すんだな。
これはなかなかに楽しい思い出たちなんだけど、だからこそちょっと切なくなる。
あのしっちゃかめっちゃかだった我が家にも、楽しくて幸せで平和な頃があったのよねって思うと、人間の悲しさっていうかなぁ...。
思い出したのは小さな私が父に習って、お経を読んでいたこと。
最近になって曹洞宗のホームページにお経のページがあることを知ったのだけれど、そこで曹洞宗のお経が聞ける。
幼い私が読んでいたのは「般若心教」と修証義の第一章「総序」。
小さな私はもちろんお経の意味など分からなくて、ただ言葉の転がり方が面白くて仕方なかった。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、とかね。
ぼーじーそわか、とかね。
笑いながら唱えるものだから、父に「一つ一つの漢字にはきちんと意味があるんだぞ」って言われたのを思い出した。
色即是空。空即是色。
このことの意味を父は説明してくれたけれど、当然ながら小さな私にはよく理解できなかった。
ただなんていうか、父の遠くを見るような、なんだかぽかんとしたような、ちょっと悲しそうな顔に、ふざけないできちんと真剣に聞かなくちゃと思った。
あの頃父はまだ30代だったのよね...若かったんだなぁ...。
これはまだ、我が家が平穏な頃のお話。
その後、妻のアルコール問題に翻弄されて苦しんで、それでも自らもお酒をやめらない、つい女性に走ってしまう己の弱さを父はどう考えていたのだろう。
自室に閉じこもって生気を失っていく長女を見るにつけ、彼は自分を責めたろうか?
こんなはずじゃなかったのに、と悔やんだろうか?
一時期ぱったりと読まなくなったお経を再び読むようになった父は、けれど、第三章の「受戒入位」を避けていたように思う。
どんなに後悔して懺悔をしてみても、彼はお酒と女をやめられないのだ。
自分の不甲斐なさを責めて、辛くて苦しくて、耐えきれずに酒を飲む。
優しく慰めてくれる温かい女を探す。
逃げて逃げて逃げて、彼は逃げきれたのだろうか?
死に捕まった瞬間、彼の脳裏にはなにが浮かんだろう?
苦痛で寄せた眉間と、あの何か恐ろしいものを目にしたような死の瞬間の父の形相を思い出す。
思い出して悲しんだとて、なんの解決にもならない。
父がこれ以上苦しまないように、私は前を向いて正しい道を歩もう。
過ぎ去った悲しみにとらわれてはいられない。
さて、そろそろ今日の自分のことをしよう。
昔話。
昨日に引き続き、父の話。
基本的に躾には厳しかった父。
食事時にはテレビを観てはいけなかったし、余計なおしゃべりはしない。
特にお箸の使い方にはうるさくて、お箸の持ち方から惑い箸、渡し箸、逆さ箸、移り箸、刺し箸、寄せ箸、探り箸、箸渡し、指し箸、なぶり箸、銜え箸、握り箸、仏箸、撥ね箸、落とし箸は禁止。
お茶碗やおわん小皿はきちんと左手で持つ。
どんなにお腹がいっぱいで苦しくても残すのは絶対にタブーで、ご飯粒一つも残してはならない。
きちんと正座をして背筋を伸ばし、こぼさないように気をつけて、音を立てずにさっさと食べる。
ご馳走様の後は一休みする前に、自分の使用したお箸とお茶碗を下げて洗う。
洗濯物は必ずたたまなくてはならず、干してそのまま着るなどの横着は以ての外。
水の出しっ放しはいけない、戸は静かにしっかりと閉めて、敷居や畳の縁は踏まない。
帰宅したらさっさと着替え、着替えた服はきちんと仕舞う。
脱いだ靴はきちんと揃え、使い終えたものは元の場所に戻す。
歩くときは姿勢を正し、足早にさっさと歩く。
ぐずぐずしない、要件をはっきり伝える、無駄口を叩かない、大きな音を立てない。
言いつけは守る、嘘はつかない、約束は必ず守る。
長電話禁止、陰口禁止、言い訳禁止、長風呂禁止。
使い終わったものはきちんと片付け、人の話を聞くとき話すときは相手の目を見ること、返事は一度「はい」と。
親の意見に口答えをしてはならない、呼ばれたら即座に返事をして用事を中断してきちんと向き合う。
疲れていてもブスッとせず、常にこやかに、人には親切に、特にお年寄りと小さな子供は大切に。
欲張らない、生意気を言わない、謙虚であれ。
なんだかもっとあったけれど、ちょっと思い出し切れない。
ひたすら厳しいばかりではなくて、いたずらっぽく人を試すようなこともよくした。
例えば、こんなことがあった。
五十円硬貨と百円硬貨を手のひらに乗せて、「どちらか一枚やるぞ、どちらがよい?」と聞く。
若い方はご存知ないだろうが、当時の効果は百円硬貨より五十円硬貨の方が大きかった。
私が大きい方を指さすと、「お?そっちでいいのか?」と聞く。
頷くと「お前は欲張りだなぁ、大きい方がいいんだな?」と笑うから、こちらも「じゃぁこっち?」と百円玉を指さす。
そこで「舌切り雀」の話をしてくれたりする。
躾には厳しかったけれど、酔った母への対応は恐ろしかったけれど、父はたいていは陽気で機嫌の良い人だった。
幼い頃の休日には、必ずどこかへ遊びに連れて行ってくれた。
鬼のようだと心から憎んでいた時期もあったけれど、それもはるか昔の話。
思い出せば後悔と苦しみしかなかったけれど、今では心が暖かくなる思い出に変わったようだ。
遠い遠い昔話。
昨日から今日にかけて、すっかり父の思い出に浸ってしまった。
父の日を忘れていたからね。
こんな日もあって良いけど、残り時間は限られている。
懐かしんでばかりいられない。
明日からはしっかりと、自分時間をね、今のことをしよう。
夢
父の死後、ずいぶん経ってから見た夢の話。
お堂のような場所で父は一人、あぐら座をかいている。
生前の父は一見すると威厳に満ちた人であったのに、なんとも心もとない様子に胸がほろりときた。
「お父さん、なにをしているの?」尋ねると、ハッとしたように振り返って「おお、Y美か」と言って微笑む。
「一人でなにをしているの?」重ねて尋ねてみる。
「うーん...修行しているんだよ」と、なぜだか照れ臭そうに父は答えた。
「ずっと、一人で修行しているの」
「ああ」
「そうなんだ...」
「ずいぶん酷かったからな」
なんと応じてよいやら、言葉が出てこない。
「お前にもずいぶん辛い思いをさせたな」
困ったような面持ちでそんな風に言うから、思わず涙が出てしまった。
大きな手が伸びて、私の頭をポンポンと叩く。
「お父さん」
「なんだ?」
「私は大丈夫だよ」
「おお、そうだな」
「お父さんは一人で寂しくない?」
「大丈夫だ。お前はお前のことを考えていればいいんだよ」
「うん...いつまで修行するの?」
「わからんよ」
父本人は知らぬうちに、長崎の育った寺から佐賀の知らぬお寺に養子に出され、自らの意思とは関係なく苗字も本籍地も変わったようだ。
その父が幾つで出奔したか定かではないが、おそらく20代半ば頃と思われる。
それから流れ流れて関東の地につき、31歳の頃に私が生まれている。
九州を出てからの長い歳月を父は本籍地を移すことをせず、そのままにこの世を去った。
長崎の寺の跡取りと思い込んでいた幼ない頃の父は、なんの悩みもなく幸せだったろう。
周囲から神童と呼ばれ、常に学級長で溌剌とした子供時代。
小学四年生の頃にその寺に本物の跡取りが誕生してから、父の違和感は芽生えたようだ。
分け隔てなく育てる実母と思ったその人が、父に内緒でその家の実子に特別なおやつを与えているのを物陰から見てしまったのだという。
それから少し後に親戚の叔母と名乗る女性が、父の通う小学校にこっそりと訪ねてきた。
名乗らずとも、この人が自分の本当の母親だと父には分かったのだ。
たまに訪ねてくる兄だけが自分の身内であり、この寺の中に自分の家族はいないのだと知った時、父はなにを思っただろう。
見知らぬ土地の見知らぬ寺に有無を言わさず養子に出された若き日の父は、どんな気持ちがしたろうか。
全てを捨てて家を出たとき、父には少しでも希望があったのだろうか。
「泥棒と殺人以外はなんでもやったな」
そう嘯く父が独身時代なにをして生きてきたのか、全てを私は知らない。
父のお経を読む声が響く。
そんな夜は不眠症の私でも、安心した面持ちで眠りに就けるのだ。
私が高校を辞めて自室に引きこもってしまった頃、突如父が創価学会に入信したことがあった。
創価学会の関係者が訪ねてきた時のこと、宗教を嫌う母がヒステリックに御本尊を叩き割ってその人らを追い返した。
たった数日間で人のいいなりにやめてしまえるようなものを、父が少しでも信じたとは到底思えない。
父は遠い昔に戻りたかったのだろうか?
捨ててしまった仏道に未練があったのではないか?
49歳の父はなにを思っていたのだろう。
今となっては知る由もない。
唯あの頃の状況を、悔やんでいたのは確かだろう。
南無妙法蓮華経と覚え違えていたお経は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」
父の読むお経の声が、今鮮やかに蘇る。
そしてあの頃、よく耳にしたのは、「修証義」第一章 総序から第二章 懺悔滅罪。
無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め確し、紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。熟感ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに至るときは大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。今の世に因果を知らず業報を明らめ図、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、増悪の者は墜ち修善の者は陞る、毫釐をたがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に墜ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。
「お前は酒が強いけれど、普段は飲まなくて偉いな」
よく父が私を褒めた言葉だ。
肝硬変の兆しが見えたときに父が溢したのは、
「酒をやめるくらいなら死んでも構わんよ、命など惜しくもない」
そんな父が今際の際で呟いた「死にたくない」の一言が、悲しかった。
心は深くて、簡単には見えない。
悔やむくらいならば変えれば良いものを、できないのが業なのか?
単なる弱さなのか?
私に、第三章 受戒入位を耳にした記憶はない。
父はまだあのお堂で、一人修行を続けているのだろうか。
あの夢が、ただの夢とはどうしても思えないのです。
終焉
今朝ふと気づいたのだけれど、縁のある宗派がなんだかすごいことになっている。
まず父の育った寺が曹洞宗で、父方の菩提寺も曹洞宗。
伯父の一人息子が婿入りした先は、代々のクリスチャン一家。
夫の生家の宗派は浄土真宗で、夫の兄が婿入りした寺は真言宗。
信仰心の薄い日本人ですから、驚くほどのことでもないのでしょうが...。
昨日、伯父と15年ぶりで電話で話をした。
父の七回忌で会って以来、長く疎遠だった。
父の七回忌のときに「これでY美ちゃんたちと会うこともなくなるだろうから」と言われたときになんと返してよいのか分からなくて、言葉が出てこなかった。
ただ黙って頷いただけの別れ。
その後、長男の婿入りした横浜の家に同居することとなった伯父の転居先住所も電話番号も知らずに、長い年月が過ぎた。
昨朝の瞑想中に、伯父の顔が思い浮かんだ。
もうこの世の人ではなくなっているかも知れない。
思い立って父の育った寺に電話をかけてみた。
寺の住職であるKおじさんはとうの昔の世を去っていて、その一人息子も30代で他界したのだと聞いた。
残されたお嫁さんが婿をとったのだと。
現在修行中の長男がこの寺の跡取りとなる予定だという。
この長男が私と血の繋がりがあるのか、婿養子との間に生まれた全くの他人なのか、あえて確認することはしなかった。
この寺には私の血縁関係者が、一人もいなくなったのかも知れない。
それでも私と同年代のお嫁さんは忙しい最中に手を尽くしてくださって、伯父の現住所と連絡先を知らせてくれた。
そして15年ぶりに受話器から聞こえる伯父の声は、以前と変わらなかった。
今年で91歳を迎えたのだという。
コロナが収束したら会いに行く約束をして、受話器を置いた。
どうやら私の親族はこれから先、命が繋がっていく気配がない。
伯父には孫が出来なかったようだし、私の甥たちも結婚願望は皆無のようだ。
深い血縁関係が消えゆくことに、寂しさよりも安らぎを覚えるのはどういうことだろう。
なにかホッとしてしまうんだよ。
SMILE
自分の中で一区切りがついたから、今日で毎朝のブログは終了。
今後は気ままにフリー更新の予定。
気が向いたときに朝ブログも更新する。
そして睡眠導入剤なしで眠りがやってくるか実験中の今朝は、
眠りそびれているから起床時刻はなし。
昨夜読んだ本に強烈な既視感があった。
朝方帰宅した夫に、その経験があるか聞いてみたら、意外にも「ある」と返ってきた。
続けて輪廻転生を信じるかと訪ねたら、「科学的に証明されていない」とのご回答。
科学を知らない人が科学を語ることに違和感を覚えたので、口論となる前にこの話題は終了した。
なにかというと非科学的と言いたがる人には辟易するんだな。
既視感もね、まぁ精神病者の私が語ってしまうとさ、まさにそれになってしまうからあまり口にしない。
Nat King Cole - "SMILE", / Charles Chaplin
今日の朝ソングは、
Nat King Cole の「SMILE」
雨の土曜日、ましてや今の状況下で外出する人はどんな気分かな?
私ならちょっと憂鬱になって、出勤のために気分を上げるために試行錯誤している時刻だろう。
こんな朝にも平常心を保てるあなた様には、畏敬の念しか持てませぬ。
お仕事に出かける方も、ゆっくり過ごされる方も、なにかしらの予定がある方も、
笑顔で過ごせますように。
行ってらっしゃい。
行ってきます。