遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

戦闘態勢は整った!

5年前に引っ越したオンボロマンションは、賃料が格安なのと駅近という理由で入居を決めた。
たった5年で建て替えのため退去とか、ありえない。
契約料や転居時にかかった費用プラス、これから転居する費用を考えると、おいそれと大人しく転居するはずもない。


当然ながら立ち退き費用は支払ってもらえると考えていた。
ところが…この家主ときたら、立ち退き料を支払う気が全くないということが判明した。
家賃の6ヶ月分程度が相場とされている立ち退き料を、知らぬ存ぜずで逃げ切ろうとしている。


確かに法的根拠はないけれど、常識的に考えれば、家主として支払うのは当然の義務。
それをなんと!
「安い家賃で貸してあげていた」
ですと?!

こんな老朽化したオンボロマンションを、高い賃料を出して借りるバカはいない。
実際に私たち夫婦がこのマンションへ引っ越しを決めた時には、借り手がつかなくて半年以上空室のままだったのだ。



「安いから次々と借り手がついて、今までは改装する間もなかった」
は?
なに言っちゃってんの?


今年の春先に家主であるご主人が亡くなった。
職人気質の堅実な人で、儲けを追う人ではなかった。
建て替えやリフォームでお金をかけてまで、家賃を上げる気がなかったのだ。


その堅実な人が他界して、業突く張りの奥さんと娘がリフォームを考えただけだろう。
それにしてもリフォーム代はどれくらいかかるのだろう?
駅近とはいえ、築50年でエレベータなしのオンボロ建物をいくら綺麗に内装だけリフォームしても、そうそう賃料は上げられない。
リフォーム代回収目的で賃料を上げ過ぎたら、高くて借り手がつかないんじゃない?


今春、隣室が雨漏りがするようになったと聞いた。
修繕見積もりを取った際に、業者にリフォームを勧められたのだろう。
業者の口車に乗せられて、高いリフォーム代を捻出する気になったのだろう。


店子をタダで追い出して?
そうは問屋が卸さない!


法テラスに電話を入れて、10月半ばに今回の件で相談予約を入れてある。
本日はそれを家主に伝えにいく。
戦闘態勢は整った。


今後の展開は随時、当ブログでご報告いたします。













竹を割ったような性格?

転居先が決まって昨日、不動産会社に提出する住民票を区役所に取りに行った。
マイナンバーカードを取得している私だけの住民票なら、コンビニでも取れるんだけどな…。
面倒くさがり屋の夫は、未だマイナンバーカード未取得だ。
スマホから簡単に申請できるから、さっさと済ませてしまえば便利なのに。
転居後、今度こそ申請してもらうつもり。


区役所の後、借りていたトランクルームの荷物の撤去。
そして何よりも楽しみだったのは、トランクルームオーナーのY子さんとお茶する予定。
ちょっとした行き違いがあって、待ち合わせのファミレスですっかりお待たせしてしまった私を、ニコニコと柔和な笑顔が迎えた。
一月ぶりの再開。


私がいうのもなんだが、Y子さんはかなり独特な考えの持ち主。
表現方法もなかなかに独特で、嫌味の応酬に慣れ親しんだ私からすると、
「あれ?これって嫌味?」
と戸惑ってしまう部分もある。


そんなんで昨日ご一緒した4時間で、
「あれ?」→「ん?」→「おや?」→「むむ?」→「むむむ?」→「むむむむっ!」
と心境が変化して、最後にババンと言ってしまった。
「今日のY子さん、嫌な感じがします」


そんな言葉を直接投げかけられたことが未経験のY子さん、目をまん丸にして無言で私の所感に聞き入っていた。
言いたいことを言うだけ言ってやっと口を閉じた私を待って、Y子さんは語り始めた。
そして知ったのは、どうやら彼女は何の気なしに話した言葉で、黙って人が離れていくことを幾度も経験したらしい。


「悪気はないのだけれど、どうも私は言い方がおかしいらしくて、お相手を怒らせてしまうみたい。
長男が私に似ているのよね…彼はとても優秀なゲームプログラマーで大手のゲーム会社に勤務していたの。
海外からも彼の作ったゲームは評価されて、彼と話したいと言って海外から色々な人が会社を訪れたらしいの。
けれど、彼はその場に出席できないのよ、上手く話ができないらしくて…。
彼が小学生の頃、彼を庇って私が担任に食ってかかった時、それを見ていた彼が言ったの、
『僕は今のお母さんと先生のやりとりを見て、普段僕が友達とどんなやりとりをしているか知ったよ』って。」


ふむ…。


「Y子さん、もしかして発達障害です?軽い…」
「そうかも知れないわね」
「子供は親を見て育ちますから…」
「…」
「あれです、関係ないですよ、何も言わずに離れていく奴なんて。Y子さんには理解のあるご主人とお子さん達がいるんだから」
「そうかしら?」
「そうですよ。言いたいこと言っちゃえばいいんです。理解してくれる人だけでいいじゃないですか?」
「そうね?」
「そうです。トランクルームの受付の時のY子さんは気遣いがあって感じ良かったから、きちんと仕事バージョンはあるじゃないですか?」
「そうよね?仕事の時はちゃんと出来るわ」
「それで十分です」


Y子さんは無邪気な子供みたいに純粋で、思ったことをそのまま口にする。
それを理解できれば、曖昧に濁したり二枚舌を巧みに使う輩よりも、ずっとずっと気持ちが良いのだ。
だって本音を言ってくれているのだから、裏を考えて悩む必要がない。
言われて嫌な感じがしたら、正直にその時の自分の感じた気持ちを口にすれば、すぐに伝わる。
表面だけ取り繕って、陰口を言い回る怖い人たちよりも、安心してお付き合いできる。


帰宅後、届いたY子さんのLINEに、
“Y子さん、嫌な感じがしますって、正直に言って貰って嬉しかったです”
とあった。
きっと人間関係でたくさん悲しい思いをして、今に至ったのだろう。


理解されにくいY子さんを囲む、6人の家族が彼女をしっかりと支えている。
Y子さんもそれに答えようと、一生懸命良き妻母でいる努力をしている。
愛ある素敵なご家族。
いつかお会いしたいな〜
今度はご自宅にご招待してくださるとのこと。


まぁ焦らず、ゆっくりとね。
この出会いを大切に育んでいけたらいいなぁ。


良き出会いがまた一つ増えて、充実した気分を味わった日。










それぞれの My Life

就労移行支援事業所の利用を、完全にやめることに決めた。


本来なら10月6日だった心療内科の診察日を、昨日に変更したのは9月25日。
9月24日の事業所の担当スタッフN女史との電話面談で感じた違和感は、時間が経つごとに不安へと変わっていった。


N女史は、私の薬を増やすように主治医を誘導するつもりなのではないか?
このところ起こった様々な出来事はすべて繋がっていて、得体の知れない何かが私を陥れようとしているのではないか?
そんな妄想で、徐々に不安が深まっていく。


このままでは精神的に良いことはない。
そう判断し、心療内科の診察予約を電話で変更した。
N女史立会いの前に、主治医と二人きりで話がしたかったからだ。


主治医は私の現状を丁寧に聞くと、いとも簡単に結論に導く。
「そんなに辛かったら、やめればいいじゃない?」
「え?やめてもいいんですか?」
「僕はもともと言っていたでしょ?あなたに就労移行支援は必要ないって」
「え?けれど先生、私は転職ばかり繰り返してるじゃないですか?」
「いいじゃない?職なんて何回変えても?あなたは一人で仕事を見つけて、大抵のことはなんでもこなせるでしょ?」
「うーん…けれど、もう歳だし、転職もできなくなるんじゃないです?」
「そんなことはないんじゃない?」
「…まぁ選ばなければ、できる仕事はいくらだってありますよね」
「そうでしょ?」
「高望みしなければ、身の丈に合った仕事はいくらでもある」
「その通り」
「そうですね!」
「そう、あなたはそのままでいいの。無理して自分を変える必要なんてない」


いつだってこんな風に肯定感を持たせてくれる主治医に感謝して、診察室を後にした。


頭上には秋の青空が広がり、爽やかな秋の風が吹き抜けていく。
私は数ヶ月ぶりの自由を心から感じた。


気が向いたから東池袋で一旦下車して、池袋に向かってのんびりと歩いた。
季節を味わいながら歩いていると、左手にレトロな喫茶店を見つけた。


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茶店のウインドウに、「喫煙目的店」なるステッカーを発見する。
禁煙をやめてからまだ、外出先での喫煙はしていない。
煙草やライターは持ち歩いているのだけれど、機会が訪れなかった。
なんとも好みの古めかしい外観にも心惹かれて、迷うことなくそのドアを押した。


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ドアの向こうは、ザ・昭和な空間。
「煙草を吸えるんですか?」
そう尋ねると、年配の女性はさらりと「ああ、煙草は2階ね」と答えた。


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少し急な階段を登ると、時とヤニが積み重なる、時間が止まったような、セピア色の世界が広がっていた。

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大きな窓の向こうには、めまぐるしく開発が進む東池袋が見える。


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モーニングは飲み物にプラス150円で、トーストとゆで卵がつくらしい。
なんともお得♪


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他のメニューはこんな感じ。
アメリカンセットとナポリタンに惹かれるけれど、残念ながらお腹が空いていなかった。


オーダーを取りにいらした初老の紳士に珈琲だけ注文すると、
「これやってみてください。サンプルで煙草を差し上げますよ」
と一言残して、静かに去っていった。


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早速、試してみる。
簡単なアンケートの後に映し出された画面を、オーダーした珈琲を運んできたウエイトレスに見せた。
するとすぐにサンプルを持ってきてくださった。


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「キャメル・ボックス」は購入すれば、400円。
こちらの珈琲は一杯420円。
実質20円で美味しい珈琲をいただいたことになる。
お得感が半端ではない。


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のんびりと煙草を薫せ、美味しい珈琲をいただく。
誰にも邪魔されない贅沢なひととき。
限りない自由を感じて、幸せで一杯になった。
この一年間を少しだけ思って、なにものにも縛られないことがこれほど素晴らしいのだと知る。


私は私のまま。
その時々に感じるまま。
心のまま素直に、正直に生きていけばいい。


心に逆らって、しなければならないことを、ストレスを溜めながら、苦しみながら続けることはないのだ。
自由に心の向くまま、感じる方向へ。
それが私の生き方、人にはそれぞれの My Life がある。




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瓢箪から駒。

9月24日午後からの、就労移行支援事業所の担当との通話以降、心が乱れて落ち着かない。
気分が上がったり下がったりと、気分変調をめまぐるしく繰り返している。


じっと横になっていると気分が落ちてしまうから、なんとか立ち上がって動き回っている。
来年、現在住んでいるマンションの改装が予定されていることを家主から聞いたのは、いつ頃だったろう?
確か梅雨の頃だったから、6月あたりだったように記憶している。
そんなんで来年8月には、このマンションを立退かねばならない。


当初新しい住まいを探すことに対する夫の見解は、「退去のギリギリに探し始めれば良い」だった。
不本意ではあったが致し方ない。
渋々従うことに決めた私。
けれどこの数日間の気分転調が、私を行動に駆り立てる。
どんよりと落ち込むか、イライラと行動的になるかのどちらかで、一向に落ち着かなかった怒涛の3日間だった。


25日の午前中には夫と暮らすことに限界を感じ、夫に別居を言い渡すと、一人暮らしのためのアパート探しに奔走した。
26日にはそんな私の盲滅法の行動に折れた夫が転居先を探すことを承諾したから、今度は夫と二人で暮らすための住まい探しに夢中になった。


そして気に入った一軒のアパートは、おそらく元は家主が住んでいたと思われる物件。
案内された物件、それは老朽化したおよそ美しいとはお世辞にも言えない、2階建てのオンボロアパート。
まず目を引いたのは、そんなアパートにはまったくもって似つかわしくない重厚なドア。
二重ロックが設置されたその茶色の重厚なドアを開けると、大きな下駄箱が設置された広々とした玄関がある。
玄関に続くこれまた重厚な両開きのドアを開くと、二重サッシの大きな窓が壁一面に並び、明るい日差しが部屋を満たす広々としたリビングがあった。
寝室の壁一面には備え付けのクローゼット。
小ぶりとはいえ、窓があり追い焚き機能もあるシンプルな浴室。
窓のある広々とした清潔なトイレ。
機能的なキッチンには床下収納もしっかりと完備している。


スーパーや商店街が充実した最寄駅からは、徒歩8分でとても便利なのに、家賃はなんと8万円と破格。
案内した女性アドバイザーに、その場で「ここに決めます」と宣言した。
ウキウキ気分で不動産屋へ戻ると、次々と手渡されるいくつもの書類に記入した。
所要時間はおよそ1時間強。
すべての書類に記入が終わり、いよいよ契約手続きが完了となる直前になって突如、担当した女性アドバイザーがおずおずと一枚の紙きれを差し出した。
そこには賃料の8万円に二重線が引かれ、手書きメモで9万円と訂正された一文。


「どういうことですか?」
と、私。
「今わかったのですが、家主さんはもともと賃料を9万円と希望していたということでして、不動産会社の手違いで8万円と不動産サイトに掲載してしまっていたようです」
と、若い女性アドバイザーは申し訳なさそうに話す。


午後2時半にこの不動産屋へ訪れて、現時刻は19時半。
かかった時間はなんと5時間。
その5時間が一瞬にして、無と消えた。
呆れかえって怒る気にもなれずに、ポカンとしたまま家路についた。


いやはや、なんともお粗末な顛末に、気分の上下はピタリと消えて、何故か落ち着いた気分がやってきた。
瓢箪から駒
終わりよければ全てよし。


ずっとこのまま、静かな安定した気分でいられるといいのだけれど…そうもいかないのだろうなぁ。











お母さん。

母の夢をみて、目が覚めた。
目が覚めたというよりも、目を覚ましたといった方が正しいのだろう。

途中で夢と気づいて、そのまま夢を見続けるのに抵抗を覚えたから、無理やり眠りから離れたのだ。
目覚めてからひととき、母が恋しくて泣いた。
「お母さん」
小さく声に出して、抑えていた感情を解放した。


母に会いに行きたいけれど、傷つくのも傷つけるのも怖くて実行できずにいる。


昨日参加した、区が主催する「家族向けアルコール問題」のミーティングで、アルコール依存症の娘を持つ母である初老の女性のシェアを聞いた。
この人の孫にあたる男の子の話題が中心だったから、つられて私の子供時代も思い出されたようだ。
聞いていて、激しい怒りが湧いた。
まさに虐待だ。
私が体験した、あの苦しかった子供時代が、彼のそれに重なる。


小学生4年生の子供が母親のアルコール問題に巻き込まれて、自殺を考える。
彼はちょっと悪さをするらしい。
けれど犯罪は決して犯さないという自制心が、幼い彼にはしっかりとある。
苦しみを吐き出せる、安全な場所がある。
話を聞いてくれる、明るいおばあちゃんがいる。
アルコール問題を芯から理解している大人たちが、彼を見守っている。


苦しみを誰にも打ち明けられず、面倒見の良いしっかりしたお姉ちゃんを演じているうちに壊れてしまった私とはちょっと違う彼の境遇が、少しだけ羨ましかった。
死にたいではなく、消えたい。
私なんか生まれてこなければ良かった。
そんな風に鬱々と過ごした、私の子供時代。


それでも思い出したのだ。
何もできなかった私に、洋服を着せてくれた母の手。
一つひとつボタンをかけてくれた、あの母の優しい手を。


愛する夫に拒絶されて、いつも寂しそうな、深い洞窟のような目をしていた母。
すべてを捨てて信じた人に裏切られて、ぼんやりとお酒に溺れていくしか術がなかった母。


自分には得られない愛を、一心に注がれる長女が少しだけ憎らしかった?
けれど、それがすべてではないよね?


分かってるんだ。
分かっているのに許すことができない。
そんな自分が嫌になる。


お母さん。


生きているうちに会えたらいいな。
笑って思い出話がしたいな。


そうできるといいなぁ。


そんな日がいつか訪れるといいなぁ。















台風の影響は?

今日はかなりの低空飛行。
空模様と同様のグレーな気分だ。


乗り越えても、乗り越えても、新しい苦しみがやってくる。
苦しみに負けて宗教頼みになるのは免れたけれど、
わーっと叫び出したい気分だ。


先まで書いていたブログ記事が、愚痴満載になってしまって、
「こりゃあかん」と思って、書き直している。
それで、これとは情けない。


無理して明るくしたところで虚しさは深まるばかり。
今日はこんな気分。
明日は晴れるかな?

今朝の朝ソングはなし。
昨夜の夫の酔った感じは、私の中に苦しみを産んだ。
苦しくて思わず口にしてしまったよ。
「ぶーちゃんがお酒に酔って、そんな風に同じことをリピートして話しているのを見ているのは辛すぎるよ。お願いだから、もうやめて」


夫の悲しそうな顔、見たくないなぁ。


ちょっと疲れ気味だから参加を迷っていた、区が主催する「家族向けアルコール問題」のミーティングに出席することに決めた。

さぁグズグズ悩んでいても始まらない。
気分を切り替えて、出かける準備をしよう。





どんな気分の時だって、
行動が気分を変えてくれる。


新しい何かに出会うことが、
新しい何かを運んでくれる。



何度傷ついたって腐らないで、
何度だって勇気を出して、




行ってらっしゃい。





行ってきます。




















信じてくれてたんだ?

4日間の連休明けの朝はちょっと憂鬱。
雨模様だしね。


すっかり早寝早起きが定着して、これはもう本当に気持ちが良い。
どんなお天気だって、早起きすれば憂鬱を緩和するための対策がいろいろ試せる。

深夜に帰宅した夫に、
「Tの評判をググったら、なんだか危険だって書いてあった…きちんと調べなくちゃだよね。ブログにたくさん宣伝みたいの書いちゃったから...読んで信じて酷いことになった人がいたらって思うと…」
「後悔しても仕方ない」
「うん…なんなんだろ?なんであんなのが」
「自分が一度でも心から信じたものを悪く言うものじゃない」
「あれ?イイこと言うね?」
「いつもだ」
「ふーん」
「俺はいろいろ分かってるからな」
「うわっエラそー」
「エライんだ」
「はいはい、じゃTのことも危ないって分かってたの?」
「もちろん分かってた」
「え?じゃなんで言わないのよ?」
「そのうち気づくって分かってたから」


…そうなんだ。
そして今日の夫のオススメソングは、


窓を開けよう/THE HOUSTONS 【修正版】


“ どこにも行けない人がいる
誰にもあえない僕だよ

いらないものばかり手に入れてしまった
どこへ捨てようか少し勇気を出そう

窓を開けよう 窓を開けよう
窓を開けよう 窓を開けよう

両手を広げてこぼれない分だけしか
望んじゃいけない 
欲しいがっちゃいけない

いらないものばかり欲しがってしまった
誰に謝ろうか少し勇気を出そう

涙がこぼれて止まらない
幸せがそこで手を振ってる
両手を広げてつかむはずの幸せ

窓を開けよう 窓を開けよう
窓を開けよう 窓を開けよう ”




今日の朝ソングは、
THE HOUSTONSの「窓を開けよう」


朝ソングは今後、私の選曲で更新されることはないだろう。
夫のオススメソングがあれば、更新しようと思う。


あれってけっこう手間と時間のかかる作業だったのよね...。
朝の忙しい時間に、あれを続けていくのは至難の技。
事前に作り置きはしたくなかったんだ。
その日の朝の気分やお天気で、選曲したかったから。


会いたくない人の顔を思い出して憂鬱を深めるよりも、
会いたい人の笑顔を思い浮かべて楽しい気分で支度に取り掛かろう。


今朝はシャワーも朝ご飯も済ませてしまったから、
あとはゆっくりと珈琲を飲みながら、お気に入りのあの曲を聴こう。



今日の予定は?
お仕事?
学校?
お出かけ?
何時には家を出る?
もう家を出た?
それとも帰る途中かな?
帰宅してこれから眠りに就く人もいるし、
特に外出の予定のない人もいる。



なにはともあれ、
新しい一日へ、





行ってらっしゃい。





行ってきます。




















そうだったんだ。

最初の結婚にケリをつけて初めて就職した企業は、
なかなかにブラックでワーカーホリックに陥った私の平均睡眠時間は1日2時間程度だった。
幻覚妄想が起きて、初めて精神病院へ入院することとなる。


その企業は小さな広告代理店で、私がしていたのは企画営業。
クライアントはレコード会社だった。
音楽好きの私は、レコード会社の若いプロモーターたちと、純粋に音楽の話をするのが楽しくて仕方なかった。
若いプロモーターたちは誰もが有名大学を卒業している人たちで、学歴詐称していなければ入社できなかった小さな広告代理店で働く私には別世界の人たちでもあった。
時代の最前線でワクワクキラキラしている彼らは、眩しくもあった。
少しずつ中堅の音楽業界のプロの人たちと接する機会が増えるようになって、大好きな音楽が経済化される裏側を垣間見た私は、音楽に不純性を感じるようになっていった。


精神病院退院後、仕事を失った私に、今は大手になったとあるプロダクションの社員からマネージャーをやってみないかと誘いを受けた。
音楽に不純性を感じていた当時の私は、その誘いを断った。


今の夫と出会うまで、私は音楽を一切聞かなくなっていた。
どんな時も音楽を聞いていた私の耳から、ヘッドフォンが消えた時代。


音楽好きの夫と出会って、私は再び音楽を聞くようになった。
音楽業界の裏側なんて私には関係のない世界に戻って、私は音を純粋に楽しめるようになっていった。


音楽を再び聞かなくなってから、音楽を聞く夫の流れくる音が不快で、耳栓をするようになった。
夜中であれば、イヤホンで聞いて欲しいとお願いもした。


午前3時頃に帰宅した夫の物音で目が覚めた私は、キッチンの換気扇付近でタバコを吸っている夫に「Tはやめたよ」と話した。
「ふーん」と夫。
「けど、お釈迦様のことは信じる」
「うん?」
「いろんなところにお釈迦様の教えが転がってると思うんだよね、これからはそれを拾い集めるんだぁ」
「うん」


のんびりとした顔つきでチビリチビリと日本酒を飲む夫の横で、私はタバコを一本吹かす。
静かな時間が流れていく。


少し経って夫が、iPhoneで音楽を鳴らし始めた。

「これ、いい詩なんだよなぁ」
聴きながら涙がポロポロ流れた。




あの娘の神様


“ あの娘は僕より 信じられるものを
見つけたらしい 秋が深まるころ
僕は今までと ほとんど変わらない
毎日の中で 君の神様を恨むよ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
しらけた僕は恋人をうばわれただけ

心の隙間を埋めてくれるものは
君の笑顔だったのに
心の隙間が君にもあったなんて
僕は情けない奴だな

宗教は君に何を与える
何をうばったか気にも止めないほど

僕はあいにく 光感じない
毎日の中で 君の神様を恨むよ
君の感性を恨むよ
君の教祖様を恨むよ
この世の奇跡を恨むよ ”




今日の朝ソングは、
「あの娘の神様」


感じていた夫の不機嫌やイライラは、
私へ向けられていたのではなかったらしい。


調子に乗って聞いてみた。
「あれかな?私が美味しいって言いながら、笑顔で食べてると嬉しい?」
「それはそうだろ?」
「だよね?美味しいって思って食べた方が絶対に幸せだよね?」
「…」

私の「絶対」には無言の夫を深追いはせずに、キッチンから出た。
人はそれぞれ違う意見を持っていて、自分だけの意見が正しいわけじゃない。
聞いてしまうと口論になるのは、互いに意見を押し付けあっているからだ。


上手く聞き流せない私たち夫婦は、こうゆうときは少し離れれば良いだけのこと。


別の部屋で互いの存在を少しだけ感じながら、それぞれのことをする。
ただそれだけのこと。




今日は連休最終日。
何か予定はある?
特に予定のない私は、気ままに気分の赴くままにのんびりと休日を楽しもう。





お仕事する人も、
お出かける人も、
お部屋で過ごす人も、



今日の一日へ



行ってらっしゃい。





行ってきます。




















愚直。

今回のテーラワーダ仏教協会を巡るヴィパッサナー瞑想の件で、
私は二つの物語を思い出した。


一つ目は、1986年にアニメーション映画化され、日本では1987年に公開された、
風が吹くとき」。

風が吹くとき

あらすじ

老夫婦のジムとヒルダは、イギリスの片田舎で年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、東西陣営による戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意やシェルターの作成といった準備を始める。


そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、互いに励まし合いながらも放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。

風が吹くとき - Wikipedia



テーラワーダ仏教協会曰く瞑想で解脱を得るには、ある能力が必要であるという。
これは誰もが持つ能力ではないのだと、彼はさらりと言ってのける。
「何にでも裏がある」と、彼はここで笑いながら打ち明けている。

2020年9月13日にYouTubeで配信された「スマナサーラ長老の初期仏教月例講演会」で、彼はそう語っている。


しかしながら、この協会でのやり方を考えれば、今後上手く編集してしまう可能性は大いにある。
公式ホームページの改ざんなどはお手の物だ。
自分たちを守るためなら何でもする。
それをお釈迦様はお許しになるのだろうか?


※リンクしていたYouTube動画が、更新当初に懸念していた通り編集しなおされているようなので、こちらのリンクは削除した。話の内容自体変わっている可能性もあるが、観る気にならないので本記事の内容と辻褄の合わない可能性もあるのを、ご留意いただきたい(2020年9月27日/11:54)


ここで彼は特定の人物を指して語っていることがある。
それが誰に向けられたメッセージなのかは、明らかではない。


自我の強すぎる人間には覚りが開けない。
だからこそ自我を捨てるための修行が必要であり、
この修行の完成には出家する必要がある。
しかしきつい修行が必要な出家には、身体障害者精神障害者は到底耐えられない。
選ばれし我々のような特殊能力が必要なのだと。
そうやって上から目線で解く彼は、お釈迦様の禁じている嘘を重ねて、重ねて、果たして涅槃につくことができるのだろうか?
幾人の人々が、彼の言葉に傷つけられたろう?


どんなことをしてもサンガに入れば、特別待遇が得られるとでも?


その特殊能力がなんであるのかを、私はその後で知ることとなる。
その能力については、私が師匠としたS氏から聞くこととなった。
そして知った、生まれて物心がついた時には、私にはこの能力があったという事実を。
この能力が特殊なものだと、私は長く気づいていなかった。
だって目をつぶった時のその状態以外を知らないのだから、それが普通だと誰もが思うだろう?
誰かと比較など出来ないのだから。
だからこそ簡単に「禅定」に入れたのだ。
精神の弱い私が生きて行く上で、苦行のような状況下で自然と禅定状態になったことが過去三度ある。
その状態は周囲から見れば「気が触れた」状態にしか見えないのだ。


幻聴幻覚?
そう、それは見えるんだよ。
それは聞こえるんだ。
何故って?
どんなものかって?
それは、その状態を知っている人にしか理解できない。


そしてね、私が何故ここまで必死になってヴィパッサナー瞑想を続けて来れたのか?
心の奥にある密かな願いを、私は誰にも打ち明けていなかった。
何故って?
そんなことをペラペラ喋ってもさ、綺麗事にしか聞こえないと思うよ?
普通ならこの考えは、トチ狂っている。


私は私と同じ境遇の人たち、
精神病と診断され、薬を飲まなくては普通の生活を送れなくなった人たち、
彼らを思わずにはいられないんだ。
そこには常に再発の恐れがあり、再発しないための沢山の制約がある。
私は56歳だ。
すでに人生の折り返し地点は過ぎて、残り時間はそう長くはない。
次の世代の人たちが、薬漬けで100%の能力が発揮できなくならないような、
薬物治療以外の成功例が増えれば、能力を発揮できる人も増えるんじゃない?


今思えば、なんて単純で愚かな…。


この数ヶ月の間、途中で何度も何度も、ヴィパッサナー瞑想を投げ出したくなった時がある。
だって案外、大変なんだ。
毎日毎日3時間も、長い時には6時間も、瞑想を続けることは、精神の軟弱な私にはただならないものだった。
時に瞑想をするのが精神的に、肉体的にキツくなって、瞑想を休みたくなることはしばしばあった。
そんな時に私はいつだって、まだ出会ったことのない彼らの顔を思い浮かべた。


今日もどこかで「助けて」と心の奥で叫んでいる、大勢の子供たち、子供以外にも今苦しんでいる人たち、それからこれから生まれてくる子供たち。
誰もが自分の持つ能力を思う存分発揮できるような、そんな世界を。
精神状態が悪化して、たとえ私が精神病院へ入院することになっても構わないと思った。


睡眠導入剤をやめて、リーマスもやめて、
頭痛が酷くて、頭が締め付けられそうなとき。
眠れなくて、再発するんじゃないかと恐ろしくなるとき。
そんな時に彼らの顔を思い浮かべる。
そうすれば頑張れるんだ。
頑張れたんだ。


どうしても動けない時もあった。
それでもまた、諦めないで続けた。


けどね?
けれど、どんなに瞑想で努力したって、特定の人にしかその能力は現れないんだって?
それじゃぁさ、私は今までみたいには頑張れないかも知れないよ?
だって、だってだよ?
自分だけが、そこから抜け出せる?


あの僧侶たちみたいにさ、自分たちには特殊な能力が備わっているからってね?
あぐらかいて人に偉そうに説教たれてさ、
そうやって人から搾取した布施によってご飯を食べて?


お釈迦様は、そんな人だったの?
きっと違うと私は思う。
いや絶対に違うよ。
そしてさ、お釈迦様が他宗教をあんな風に批判をすると思う?
重箱の隅をつつくようにさ、人の大切なものを壊すと思う?
私は、そうは思わない。
誰もが、どんな人もが、手をつなぎ合って、優しい気持ちを持って、
憎しみも悲しみもない、そんな世界を夢見たのじゃないのかな?


けど、日本テーラワーダ仏教協会のやっていることは何なのさ?
そんな疑問の中で、瞑想との繋がりは師匠と仰いだS氏だけだったんだ。


ここまで書いた時にS氏から、私の携帯電話に電話をいただいた。
その電話で私は、「Sさんが信じられなくなってしまったから、講習には参加できません」と伝えた。
昨日の13時に私は、ZoomでS氏に質問をする時間を作っていただいていた。
S氏から昨日連絡があり、急遽自宅のネット回線が繋がらなくなり、Zoomが利用できないという知らせだった。
まぁ、そんなこともあるだろう。
けれどネット回線不可となったため、通常使用しているメールが使えなくなったということで届いた、S氏のdocomoメールアドレス宛への返信は、アドレス不明で配信されなかった。


S氏から再び、ネット復旧の知らせが届いたのは、昨日の19:32だった。
私にはS氏に、どうしても聞いておきたいことがあった。
これは私にとっては重要なことだからメールではなく、S氏のお顔を見ながらその回答を得たかった。
その質問はS氏の、日本テーラワーダ仏教協会との関係だ。
S氏の日本テーラワーダ仏教協会への見解だ。
忌憚なき意見だ。


それを明確にしなくては、私はS氏を心から信頼できない。
信頼できない人を師匠と仰げない。
今の状況では、師弟関係を続けられない。



あのスマナサーラ長老がYouTubeにあげたヴィパッサナー瞑想方法を、私は信じて信じて、ただ黙々とそれを続けた。
蓋を開けてみれば、重要なのはサマタ瞑想であり、そのサマタ瞑想で得られる禅定に必要なのは特殊能力ですって?
何故それほど重要な事実を、隠す必要があるの?
一体、何人の人たちが愚直に瞑想を続けたの?
その人たちの中にはどんなに努力しても、その能力を得られない人もいるのでしょう?


どう考えてもおかしな話じゃない?
そんな詐欺行為のようなことを、そう易々と納得なんかできいない。




『風が吹くとき』日本版劇場予告編


このアニメを私は、30代の頃に夫と二人で観ている。
政府を信じ続ける、心優しき老夫婦の姿は、美しくもなんとも切ない。
このように怪しいものの存在すらも、信じ続けられる清い心を、56歳もなった私は未だに持てずにいる。


もう一つの物語は、もう少し心が癒えてから。




読み直す気力が残っていない。
誤字脱字誤った表現が、続出している可能性は大だ。




では、また。


















目覚めた人?

ヴィパッサナー瞑想を始めて、5ヶ月弱…え? 5ヶ月?
浦島太郎並みに、びっくりしている。
残念ながら目覚る前に、目が冷めてしまった…。


通算何時間ヴィパッサナー瞑想(?)をしたのだろうか?
検討もつかない。

え?検討がつかないで済ませるな? って?
まー概算は出せそうだけど、面倒臭いので「検討もつかない」と濁しておく。


つくづく「私」が失くなる前に、気づいて良かったと思う。
結構な証拠は手元に残っているし、桜の御門もついている。
まぁ案外、それは頼りなくもあるのだけどね。


私の日本テーラワーダ仏教協会関連の出費は、
仏教サポーター:初年度会費7,000円
東京パーリ語・瞑想研修会:テキスト代1,000円
             年会費:3,000円
パーリ語辞書(増補改訂)/水野弘元[著]発行:春秋社」4,500円
「仏教辞典/ポー・オー・パユット[著]野中 耕一[編訳]発行:サンガ」5,200円
Amazon Kindle Unlimited:9月分980円


プラス面
日々取り組んだ瞑想で、精神面が若干強化されたような気がする。
禁酒。
一時的な禁煙。
妄想を止められるかも?


マイナス面
本ブログに影響を受けて被害にあった方がいたと仮定すると…計り知れない。


これ以上拡大しないために、ヴィパッサナー瞑想及び、日本テーラワーダ仏教協会に関連した本ブログ記事58タイトルを下書きに戻した。
これらの記事を読めば、精神障害者である宗教嫌いの私が宗教にハマっていく過程が明らかになるため、恥を忍んで残しておくことも考えたが、それには58タイトルを全て読む必要がある。
そこまで興味を持っていただけるとは到底思えない。


今はどこかのどなたかが、笑い話では済まされない結果になっていないことを祈るしかない。















アウェー感。

昨日、オンラインで瞑想の基礎を学んだ。
配布していただいた資料は初心者でも混乱しないように整理され、
イメージしやすいような工夫がそこここにあった。
とてもワクワクしながら講義を受けていたが初心者は私だけだったらしく、
私の馴染みのない質問がいくつか出てきて、少し混乱してしまった。


次々と生まれてくる感情を頭でいちいち理解しつつ、
瞬時に種わけ分類していくほどの能力があったら、
考える間もなくその作業は終了しているように思われて、少し不思議な気がした。


初心者でも構えずに楽しく学べるように工夫されたテキストに感じていたワクワク感が、
少しずつ薄れていって、次第にアウェー感が生まれ始めた。


したかった質問も何か場違いに感じ始めて、その場では何も質問ができなくなってしまった。
後から主催者の方にメールで質問して、回答を得た。


次回はアウェー感に支配されずに、感じたこと、聞きたいことを素直に自由にその場で聞けるようにしたい。
こうやって、なんていうかなぁ…自分の中に閉じこもってしまうから、人と上手く交流できないのだろうなぁ。
ギクシャクしてしまって、自然体でいられなくなるのよね…。


講習終了後、緊張を解くために横になっていたらいつの間にか眠ってしまったから、
変な時間に目が覚めて本ブログ記事を更新中。
瞑想をしようと思ったら、夫が帰ってきたからこれで中断。


以前記事にしたHighly Sensitive Personについて書こうと思っていたけれど、
それはまた次の機械に。



では、また。


















そうだ、動物園へ行こう。

すきっとキッパリしていた、先までの気分は何処へやら?


通所のための地下鉄電車を待つ駅のホームで、突然苦しくなる。

あの二つの意地悪な顔が脳裏に浮かんで、憂鬱でいっぱいになった。
帰りたいっ


そこで気分を入れ換えてみる。

これから動物園へ知らない生物の観察へ行く、とイメージしたら気分が軽くなった。


あれらは今日、どんな行動をするのだろ?
少し離れた場所から観察するとしよう♪





秋の気配。

先日の面談の話し合いの結果、
予約していた就労移行支援事業所の通所プログラムを自習に切り替えることになった。


それというのもこの一週間の通所で私は、
二名の他利用者にとても攻撃的な気持ちになっていることに気づいたからだ。
このまま継続して彼女らと一緒にプログラムを受けたら、とんでもなく辛くなりそうだった。
場合によっては怒りの制御ができずに、彼女たちにキツイ言葉で攻撃しかねない。


そんな経緯で、本日と来週のプログラムは自習となった。
我が家のパソコンのOfficeはWordとExcelだけで、PowerPointが入っていないから、
自習時間に事業所のパソコンでPowerPointの練習をする予定。
コロナ前に練習してある程度できるようになった操作も、
たった三ヶ月で忘れてしまっていることに先日のプログラム中に気づいた。


数日間の自習で、忘れてしまった操作を再びできるようにする予定。


自習に切り替えたのは通所プログラムのみで、オンラインでのプログラムは予定通り受けられる。
昨日参加したプログラムはとても素晴らしい時間を過ごせたから、
こちらで得た感動は機会を作って記そうと思っている。


風が強うそうだし、幾分曇りがかった空模様。
それでも青空がところどころに覗いている。
天気予報は曇り時々晴れ。


少しずつ過ごしやすい季節になってきている。
大好きな秋の気配を感じて、穏やかな喜びで満ち足りた気分の朝。












人を見る目。

基本的に悪口が聞きたくないのは、人の影響を受けやすいと知っているから。
「私は悪口なんて聞きたくないのっ」キラキラ♡
という乙女チックな清く正しい気持ちで言っているのでは、決してない。


実際悪口を聞いてしまうと、その場では打ち消しても、
知らぬ間に私の中でその悪口は定着していて、気づかぬうちに先入観に支配される。
知らず知らずに対象を色眼鏡で見てしまって、お相手の良さが見えにくくなる。
常にフィルターのかかった状態で見てしまうのよね。
だからできる限り、悪口や陰口は聞きたくない。


昨日、そのことを改めて実感した。
心を開けなかったT氏に対する噂話が、私にフィルターをかけていたようだ。
彼の悪口を私に聞かせた利用者の女性はすでに退所しているようで、ここしばらく見かけていない。
彼女は人の噂話が好きだった。
そして噂話の後に続く口癖は、「みんながそう言っている」だった。
みんなって誰?
と、聞いてみる。
「だからみんな」
と、決まって彼女はそう答える。


私同様、事業所で彼女は浮いた存在だった。
そんなんで「みんな」から聞くほど、彼女には事業所内で親しい人などいないように見えた。
孤立しているからこそ、孤立している私にやたらと話しかけてくる彼女だった。
人の噂話ばかりする彼女と話すのに嫌気がさして、距離を置いてしまった。
けれど今思い返してみれば、他者との関係を築きにくい彼女だからこそ、「噂話」をすることが一般的な人との交流方法と思い込んでいたのだけなのかも知れない。


彼女から聞いた、T氏の噂話はこうだ。
「一時期は所長だったけれど、みんなからの人気がなくてヒラになった。いつも充血した感情のない、死んだ目で話すから、何を考えているのか分からなくて信頼できないってみんなが言ってる」
だった。
「みんなって?」と私が聞くと「だからみんな」という彼女の決まり文句が返ったきた。
当時、転属されたばかりのT氏と面識のなかった私は、朝礼で転属の挨拶をする彼の姿が目に浮かんだ。
それは誠実そうで穏やかだけれど、明るい印象の人だった。
「ふーん…あまり話したことないけど、朝礼では優しそうで良い感じの人に見えたけど?」
「面と向かって話さないと分かんないんじゃない?目を見て話せば、みんなの言っていることが分かるよ」


あの噂話を聞いてから、何ヶ月経ったろう?
コロナの影響でオンラインがメインとなった事業所、その一ヶ月後には一旦退所してしまった私は、T氏と話す機会はほぼなくなってしまった。
再通所が決まってT氏が担当となってからも、表面上の会話しかしていない。
それにも関わらず、いつの間にか私の中でT氏は、
「勤務歴が長いから所長経験はあるものの、現在は降格して役職なしの人望のない人」
に定着していた。


昨日の面談で知ったのは、降格どころかセンター長に出世したT氏の現実だった。
センター長と知った途端に、みるみる変わっていく私のT氏への価値観が、手に取るように分かった。
肩書きや噂話に踊らされまくっている自分がおかしくて、思わず笑ってしまう。
話しながらニヤニヤする私を、T氏が訝しげに見ていることに気づいた。
「いやぁ…噂話は信じないように気をつけてたのに…肩書きには左右されないって自分では思い込んでいたんですけど、左右されまくっている自分がおかしくて…」


噂話陰口恐るべし…まるで呪文のようにじわじわと効いてくる。
噂話も陰口も、言うものでも、聞くものでもないと実感した日。










墓穴。

残念なことが立て続けに二つ起きて、
また少し人のあり方を考える。


自分のことしか考えられない人のすることは、
どんなに体裁を整えたところで行動に現れるのだ。


信じることについて、また少し考えてみる。
判断して信じるのは私。
私が観て判断する。


正すのは誰?
騙されるのは誰?


騙す対象は誰?
裏切る対象は誰?


切り捨ててのし上がって、
正しさを見せつけてみても、
つまらない自己満足。


暴いて追い討ちをかけて、
正義を振りかざしてもみても、
残るのは虚しさばかり。


知ってなお騙されたふりをするのは、一体誰のため?
知ってなお残る期待で誤魔化すのは、一体誰のため?


組織にしても、個人にしても、
その行動を起こしている本人ならば、痛いほど知っているだろう。
その胸に何を隠してる?


穴を掘る。
穴を掘る。

何を隠すために?

穴を掘る。
また穴を掘る。

今度は何のために?

穴を掘る。
穴を掘る。

いくつ穴を掘った?

一つの穴を誤魔化すために、
また一つ穴を掘る。


もうあなたの周りに穴を掘る場所など、どこにも残ってないのじゃない?

気がつけば、大きな大きな穴が一つ。
その穴に埋めようとしているのは、誰?
それは誰のための穴?


その穴の中に落ちているのが、自分自身と気づいた時にはもう遅い。
すでに足元は土で固められているよ。
もうそこからは抜け出せない。

ほら、上からどんどん重い土が降ってくるよ。
今どれくらい?

腰まできた?
胸のあたりかな?
首まできてしまった?
ねえ、息はまだ吸えるの?

そう、けれどそれも時間の問題。


下を見てもキリがない。
見ることはやめにして、今のことをしよう。