遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

呪文は"There is no place like home!"

久しぶりのブログ更新。
何日ぶりだろう?


なんのかんのお騒がせの末、昨夜遅く家に戻った。
7月25日の夜に家を出てから、25日目の帰宅。
その間、3晩自宅で過ごしたから、22日間家を空けていたことになる。
長かったような、短かったような…一月も経っていないのよね。


帰ることを決意したのは、先週行われた就労移行支援事業所の担当との面談で、当初計画していたように私の都合よくはいかないことが判明したから。
離婚するつもりはなかったものの、真剣に別居を考えていた。
しばらく家を空けてみて、夫の顔がすっかり穏やかになった。
誰にも気兼ねせずに過ごすことは実に楽ちん。
私たち夫婦は、どちらも一人が好きだ。
誰かと一緒にいると、余計な気遣いをして疲れてしまうんだな。


興味を持った企業がアルバイトを急募していたから、これはもう何が何でも採用されなくちゃと焦った。
けれどそう思い通りに事は進まない。
就労移行支援の再開も、私が考えていたよりも時間がかかるようだ。
担当と話し合った末、焦らずにじっくりと再就職を進めることになった。


つまりしばらくは無職で過ごさなければならない。
そんな経済状態では、一人暮らしは継続できない。
のんびり過ごしている夫には気の毒だけれど、帰るしか手立てはなくなってしまった。


昨日は3週間ぶりの通院で、主治医にも近況報告をした。
「え?まだ家出をしてるの?」と主治医。
「はい、けれど今日帰る予定です」と私。
「それは良かった。ご主人も心配して連絡をよこしてたでしょ?」
「うーん…別に心配はしてなかったんじゃないかな?」
「なぜ?」
「これと言って連絡はなかったですよ?」
「え?一度も?」
「はい、あ…私宛の郵便物が届いたと一度だけLINEがあったきりです」
「それは…」
「まぁそういう人ですよ」
「帰れるの?」
「この前、ちょっと帰った時に報告してあります、帰ることにしたって」
「それで」
「特に何も、ふーんって感じでしたよ?」
「…」
「大丈夫ですよ、問題ないです」
「そう?」
「ちょっと何を考えているのか分からない人だけど、気にしたって仕方ないですから。私としては別居してた方が楽だけど…」
「ご主人もそうじゃない?」
「それはもう絶対にそうですよ。別居してから速攻でいい顔に戻りましたもん」
「そうなの?」
「そうなんです。私が家を出る前は眉間にシワが寄っちゃって、私の父にそっくりになってたんですよ、それがすっかり穏やかな顔に戻ったから…」
「お互いに一人がいいってね」
「そうなんです…家出中は気楽で良かったなぁ…ひと所に居ないであちこち移動するのが楽しかった」
「あんたはそういうのが性に合ってるんだね」
そう言って主治医は笑った。


そんな経緯で戻ることになったのだけれど、思いがけずに昨夜は久しぶりぐっすりと眠れた。
布団に入ったのが22時頃で、夫が帰宅して一旦目が覚めはしたものの、朝の目覚めは午前7時過ぎ。
今朝はじっくり瞑想もできて、一日のんびりと落ち着いた時間を過ごしている。


今はそうだな…オズの魔法使いの、ドロシーみたいな気分だ。
また見えなくなるかも知れないけどね。












新たな出発。

家を出てからの出来事や感じたことをブログ記事にしたいのだけれど、
案外やることが多くてなかなか時間が取れない。


一昨日の夕方から一旦自宅に帰ってみた。
溜まった洗濯物をしたかったのが第一の理由、コインランドリーは弱水流ないのよね..夫の様子も気になったし。
帰宅するとその日は23時出勤の夫は昼間からビールを飲みつつ、ここのところの彼のマイブームをしていた。


やはり夫は一人が性に合っているようだ。
マイペースで、不自由なく暮らしている。
ルイボスティーや麦茶を冷蔵庫に作り置いたり、お風呂場の換気扇を自力で直したり。
離れて暮らすことは、私たちにとってはとても良いみたい。
互いになんの干渉もなく、自然体でいられる。


週末は宿代も若干高くなるから、週末だけ家に帰ろうかな?
掃除もしたいしね。


今日の午前中には、休止状態にある就労移行支援事業所での面談がある。
毎週金曜日に新しく担当となったスタッフに電話で近況報告をする。
私が家を出たこと、就職したい企業ができたことは、彼女に報告済みだ。
本日は受給者証の再申請にあたって、相談支援専門員を含め三者で話し合いの予定。


少しずつだけれど、動き出している。
とりあえず、近況報告。


残暑がものすごい。
コロナ対策と熱中症対策、なかなかに厳しい今年の夏ですが、マイペースで乗り切りましょう♪




ではまた。











穏やかな日常。

昨日、久しぶりで帰宅すると夫は、少し嬉しそうに「帰ってきやがった」と言った。
「帰ってきたんじゃないよ〜少し荷物を取りにきたの」と私が言うと、ちょっとだけ引く気配があった。
「ぶーちゃん、一人の方が好き勝手にのんびりできるでしょ?」
「いや、俺は毎日仕事だからな」と夫。
「別々の方が私はリラックスできるかも?便秘が治っちゃった」と私。
「まぁ良いんじゃない?」と飄々と夫。
「ぶーちゃんも安い物件に引っ越したら良いんじゃない?4万円未満でシャワーがついてる物件があったよ?」
「本当か?」
「うんうん、フローリングよりも和室が良いんでしょ?」
「うん」
「フローリングのだと学生さん用っぽいので3万2千円の物件もあったよ?」
「畳が良い」
「だよね?見てみる?」
「いや、まだしばらくはここで良い」
「そうなんだ...けどここは来年の8月には出なきゃだよ?」
「...」


今、住んでいるマンションは来年の8月で建て替えのため、それまでに退室するよう言い渡されている。
なかなかに心配性の私は家主からこの話を聞いてすぐに物件を探し始めた。
条件の合う物件とは、そう簡単に出会えない。
夫は実にのんびり構えていて、ギリギリで構わないと言う。
意見が合わないんだな...。
夫は主張を通す方だから、私が折れるしかない。


今回の別居は互いが持っている不満の暖和に役立つようにも思えるし、ますます溝が深まるようにも思う。
どんな結果が待っているか、今のところ謎だけれど、こんな距離感はなかなかに心地よい。


今回、私は夫と二人で食べようと思って、大福もちを二つ買って帰ったけれど、夫ときたら剣もほろろに「いらない」ですと...。
まぁね、相手に合わせて嫌々食べて、後から愚痴るよりはいいですがね...たまには寄り添ってくれても良いのじゃない?
と、ぶうぶう不満が湧いてきた。
一緒に大福もち食べている図を思い描いてしまった私の勝手な空想が、いらぬ不平不満に発展するのだろう。
「あ〜ぁ...一緒に食べながら少し話がしたかったのになぁ」
そう私がこぼすと夫は、
「タイミングが悪い」と一言。
まま、おっしゃる通り、私の一存でございます。


「次は一緒にご飯を食べながら、もっと話ができたら良いなぁ」
私がそう言うと夫は無言で頷いた。



今回、帰宅したのは杖が必要になったから。
膝の痛みが日を追うごとに増している。
この状態では近々、杖なしでは歩けなくなるかも知れない。






肩の力をぬいて。

子供の頃からの癖で、つい頑張りすぎてしまう。
なかなか特殊な環境下で育ったから、「私がなんとかしなくちゃ」と小さな頃から頑張っていた。
そんなんで、弱音を吐いたり、甘えたり、リラックスするのがとても下手だ。


過集中になるから自分が疲れていることもよくわからないで、気づかぬうちに無理をする。


今朝の座る瞑想で、足の痺れが酷いのにそれを観察して座り続けた。
私の足が「もうやめて苦しいよ」と訴えていることに、ふと気づいた。
そうすると手たちが自然に動いて、痺れた足を優しく撫でた。
すると足の一部に強い痛みを感じて、こんなに痛くなるほど我慢して座り続けていたことに驚く。


「ごめんね、ごめんね、痛かったね」心の中で謝りながら、さすり続けた。
涙がポロポロと溢れる。
また自分に対する慈しみをすっかり忘れていたのだ。


聖者と比べてもね、能力が違う。
それぞれの持つ力で、それぞれのスピードで。
マイペースで大丈夫、それが今日の気づき。








迷い道、惑い道。

このところ、どうも父や母、妹や甥たち、伯父や従兄弟たちのことが思い出されて仕方がない。
特に思い出すのは20年以上も昔に他界した父のことで、つい思いにとらわれてしまう。
父の生い立ちを考えると、なにやら悲しくなってしまって、かわいそうでならなくなる。
連鎖的に母や妹のことも思い出して、これまた彼女たちの苦しみを考えると悲しくってやるせなくなる。


あまり悲しむとね、ちょっと頭が痛くなる。
頭が締め付けられるような感じになって、涙が止まらなくなる。


そんなんであまり深い悲しみにとらわれないように、瞑想を一所懸命やっている。


忘れていた子供の頃のことも、思い出すんだな。
これはなかなかに楽しい思い出たちなんだけど、だからこそちょっと切なくなる。
あのしっちゃかめっちゃかだった我が家にも、楽しくて幸せで平和な頃があったのよねって思うと、人間の悲しさっていうかなぁ...。


思い出したのは小さな私が父に習って、お経を読んでいたこと。
最近になって曹洞宗のホームページにお経のページがあることを知ったのだけれど、そこで曹洞宗のお経が聞ける。
幼い私が読んでいたのは「般若心教」と修証義の第一章「総序」。
小さな私はもちろんお経の意味など分からなくて、ただ言葉の転がり方が面白くて仕方なかった。
ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー、とかね。
ぼーじーそわか、とかね。
笑いながら唱えるものだから、父に「一つ一つの漢字にはきちんと意味があるんだぞ」って言われたのを思い出した。
色即是空。空即是色。
このことの意味を父は説明してくれたけれど、当然ながら小さな私にはよく理解できなかった。
ただなんていうか、父の遠くを見るような、なんだかぽかんとしたような、ちょっと悲しそうな顔に、ふざけないできちんと真剣に聞かなくちゃと思った。
あの頃父はまだ30代だったのよね...若かったんだなぁ...。


これはまだ、我が家が平穏な頃のお話。


その後、妻のアルコール問題に翻弄されて苦しんで、それでも自らもお酒をやめらない、つい女性に走ってしまう己の弱さを父はどう考えていたのだろう。


自室に閉じこもって生気を失っていく長女を見るにつけ、彼は自分を責めたろうか?
こんなはずじゃなかったのに、と悔やんだろうか?


一時期ぱったりと読まなくなったお経を再び読むようになった父は、けれど、第三章の「受戒入位」を避けていたように思う。
どんなに後悔して懺悔をしてみても、彼はお酒と女をやめられないのだ。
自分の不甲斐なさを責めて、辛くて苦しくて、耐えきれずに酒を飲む。
優しく慰めてくれる温かい女を探す。
逃げて逃げて逃げて、彼は逃げきれたのだろうか?







死に捕まった瞬間、彼の脳裏にはなにが浮かんだろう?



苦痛で寄せた眉間と、あの何か恐ろしいものを目にしたような死の瞬間の父の形相を思い出す。
思い出して悲しんだとて、なんの解決にもならない。
父がこれ以上苦しまないように、私は前を向いて正しい道を歩もう。


過ぎ去った悲しみにとらわれてはいられない。
さて、そろそろ今日の自分のことをしよう。




















昔話。

昨日に引き続き、父の話。


基本的に躾には厳しかった父。
食事時にはテレビを観てはいけなかったし、余計なおしゃべりはしない。
特にお箸の使い方にはうるさくて、お箸の持ち方から惑い箸、渡し箸、逆さ箸、移り箸、刺し箸、寄せ箸、探り箸、箸渡し、指し箸、なぶり箸、銜え箸、握り箸、仏箸、撥ね箸、落とし箸は禁止。
お茶碗やおわん小皿はきちんと左手で持つ。
どんなにお腹がいっぱいで苦しくても残すのは絶対にタブーで、ご飯粒一つも残してはならない。
きちんと正座をして背筋を伸ばし、こぼさないように気をつけて、音を立てずにさっさと食べる。
ご馳走様の後は一休みする前に、自分の使用したお箸とお茶碗を下げて洗う。


洗濯物は必ずたたまなくてはならず、干してそのまま着るなどの横着は以ての外。
水の出しっ放しはいけない、戸は静かにしっかりと閉めて、敷居や畳の縁は踏まない。
帰宅したらさっさと着替え、着替えた服はきちんと仕舞う。
脱いだ靴はきちんと揃え、使い終えたものは元の場所に戻す。
歩くときは姿勢を正し、足早にさっさと歩く。
ぐずぐずしない、要件をはっきり伝える、無駄口を叩かない、大きな音を立てない。
言いつけは守る、嘘はつかない、約束は必ず守る。
長電話禁止、陰口禁止、言い訳禁止、長風呂禁止。
使い終わったものはきちんと片付け、人の話を聞くとき話すときは相手の目を見ること、返事は一度「はい」と。
親の意見に口答えをしてはならない、呼ばれたら即座に返事をして用事を中断してきちんと向き合う。
疲れていてもブスッとせず、常にこやかに、人には親切に、特にお年寄りと小さな子供は大切に。
欲張らない、生意気を言わない、謙虚であれ。


なんだかもっとあったけれど、ちょっと思い出し切れない。


ひたすら厳しいばかりではなくて、いたずらっぽく人を試すようなこともよくした。
例えば、こんなことがあった。
五十円硬貨と百円硬貨を手のひらに乗せて、「どちらか一枚やるぞ、どちらがよい?」と聞く。
若い方はご存知ないだろうが、当時の効果は百円硬貨より五十円硬貨の方が大きかった。

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私が大きい方を指さすと、「お?そっちでいいのか?」と聞く。
頷くと「お前は欲張りだなぁ、大きい方がいいんだな?」と笑うから、こちらも「じゃぁこっち?」と百円玉を指さす。
そこで「舌切り雀」の話をしてくれたりする。


躾には厳しかったけれど、酔った母への対応は恐ろしかったけれど、父はたいていは陽気で機嫌の良い人だった。
幼い頃の休日には、必ずどこかへ遊びに連れて行ってくれた。


鬼のようだと心から憎んでいた時期もあったけれど、それもはるか昔の話。
思い出せば後悔と苦しみしかなかったけれど、今では心が暖かくなる思い出に変わったようだ。
遠い遠い昔話。


昨日から今日にかけて、すっかり父の思い出に浸ってしまった。
父の日を忘れていたからね。


こんな日もあって良いけど、残り時間は限られている。
懐かしんでばかりいられない。
明日からはしっかりと、自分時間をね、今のことをしよう。











父の死後、ずいぶん経ってから見た夢の話。


お堂のような場所で父は一人、あぐら座をかいている。
生前の父は一見すると威厳に満ちた人であったのに、なんとも心もとない様子に胸がほろりときた。
「お父さん、なにをしているの?」尋ねると、ハッとしたように振り返って「おお、Y美か」と言って微笑む。
「一人でなにをしているの?」重ねて尋ねてみる。
「うーん...修行しているんだよ」と、なぜだか照れ臭そうに父は答えた。
「ずっと、一人で修行しているの」
「ああ」
「そうなんだ...」
「ずいぶん酷かったからな」
なんと応じてよいやら、言葉が出てこない。
「お前にもずいぶん辛い思いをさせたな」
困ったような面持ちでそんな風に言うから、思わず涙が出てしまった。
大きな手が伸びて、私の頭をポンポンと叩く。
「お父さん」
「なんだ?」
「私は大丈夫だよ」
「おお、そうだな」
「お父さんは一人で寂しくない?」
「大丈夫だ。お前はお前のことを考えていればいいんだよ」
「うん...いつまで修行するの?」
「わからんよ」





父本人は知らぬうちに、長崎の育った寺から佐賀の知らぬお寺に養子に出され、自らの意思とは関係なく苗字も本籍地も変わったようだ。
その父が幾つで出奔したか定かではないが、おそらく20代半ば頃と思われる。
それから流れ流れて関東の地につき、31歳の頃に私が生まれている。


九州を出てからの長い歳月を父は本籍地を移すことをせず、そのままにこの世を去った。
長崎の寺の跡取りと思い込んでいた幼ない頃の父は、なんの悩みもなく幸せだったろう。
周囲から神童と呼ばれ、常に学級長で溌剌とした子供時代。
小学四年生の頃にその寺に本物の跡取りが誕生してから、父の違和感は芽生えたようだ。
分け隔てなく育てる実母と思ったその人が、父に内緒でその家の実子に特別なおやつを与えているのを物陰から見てしまったのだという。
それから少し後に親戚の叔母と名乗る女性が、父の通う小学校にこっそりと訪ねてきた。
名乗らずとも、この人が自分の本当の母親だと父には分かったのだ。


たまに訪ねてくる兄だけが自分の身内であり、この寺の中に自分の家族はいないのだと知った時、父はなにを思っただろう。


見知らぬ土地の見知らぬ寺に有無を言わさず養子に出された若き日の父は、どんな気持ちがしたろうか。
全てを捨てて家を出たとき、父には少しでも希望があったのだろうか。


「泥棒と殺人以外はなんでもやったな」
そう嘯く父が独身時代なにをして生きてきたのか、全てを私は知らない。


父のお経を読む声が響く。
そんな夜は不眠症の私でも、安心した面持ちで眠りに就けるのだ。


私が高校を辞めて自室に引きこもってしまった頃、突如父が創価学会に入信したことがあった。
創価学会の関係者が訪ねてきた時のこと、宗教を嫌う母がヒステリックに御本尊を叩き割ってその人らを追い返した。
たった数日間で人のいいなりにやめてしまえるようなものを、父が少しでも信じたとは到底思えない。


父は遠い昔に戻りたかったのだろうか?
捨ててしまった仏道に未練があったのではないか?
49歳の父はなにを思っていたのだろう。
今となっては知る由もない。
唯あの頃の状況を、悔やんでいたのは確かだろう。



南無妙法蓮華経と覚え違えていたお経は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」


父の読むお経の声が、今鮮やかに蘇る。



そしてあの頃、よく耳にしたのは、「修証義」第一章 総序から第二章 懺悔滅罪。

無常憑み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身已に私に非ず、命は光陰に移されて暫くも停め確し、紅顔いづくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし。熟感ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに至るときは大臣親暱従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり。今の世に因果を知らず業報を明らめ図、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、増悪の者は墜ち修善の者は陞る、毫釐をたがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、其最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。当に知るべし今生の我身二つ無し、三つ無し、徒らに邪見に墜ちて虚く悪業を感得せん、惜からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。

「お前は酒が強いけれど、普段は飲まなくて偉いな」
よく父が私を褒めた言葉だ。


肝硬変の兆しが見えたときに父が溢したのは、
「酒をやめるくらいなら死んでも構わんよ、命など惜しくもない」


そんな父が今際の際で呟いた「死にたくない」の一言が、悲しかった。



心は深くて、簡単には見えない。
悔やむくらいならば変えれば良いものを、できないのが業なのか?
単なる弱さなのか?


私に、第三章 受戒入位を耳にした記憶はない。




父はまだあのお堂で、一人修行を続けているのだろうか。






あの夢が、ただの夢とはどうしても思えないのです。




























終焉

今朝ふと気づいたのだけれど、縁のある宗派がなんだかすごいことになっている。
まず父の育った寺が曹洞宗で、父方の菩提寺曹洞宗
伯父の一人息子が婿入りした先は、代々のクリスチャン一家。
夫の生家の宗派は浄土真宗で、夫の兄が婿入りした寺は真言宗


信仰心の薄い日本人ですから、驚くほどのことでもないのでしょうが...。


昨日、伯父と15年ぶりで電話で話をした。
父の七回忌で会って以来、長く疎遠だった。


父の七回忌のときに「これでY美ちゃんたちと会うこともなくなるだろうから」と言われたときになんと返してよいのか分からなくて、言葉が出てこなかった。
ただ黙って頷いただけの別れ。


その後、長男の婿入りした横浜の家に同居することとなった伯父の転居先住所も電話番号も知らずに、長い年月が過ぎた。
昨朝の瞑想中に、伯父の顔が思い浮かんだ。
もうこの世の人ではなくなっているかも知れない。
思い立って父の育った寺に電話をかけてみた。
寺の住職であるKおじさんはとうの昔の世を去っていて、その一人息子も30代で他界したのだと聞いた。
残されたお嫁さんが婿をとったのだと。
現在修行中の長男がこの寺の跡取りとなる予定だという。
この長男が私と血の繋がりがあるのか、婿養子との間に生まれた全くの他人なのか、あえて確認することはしなかった。


この寺には私の血縁関係者が、一人もいなくなったのかも知れない。
それでも私と同年代のお嫁さんは忙しい最中に手を尽くしてくださって、伯父の現住所と連絡先を知らせてくれた。


そして15年ぶりに受話器から聞こえる伯父の声は、以前と変わらなかった。
今年で91歳を迎えたのだという。
コロナが収束したら会いに行く約束をして、受話器を置いた。


どうやら私の親族はこれから先、命が繋がっていく気配がない。
伯父には孫が出来なかったようだし、私の甥たちも結婚願望は皆無のようだ。



深い血縁関係が消えゆくことに、寂しさよりも安らぎを覚えるのはどういうことだろう。
なにかホッとしてしまうんだよ。














変わらぬ日々。

日記って毎日つけるから日記なのよね?
だとしたらこれは日記でもない。
そんなんで新しいカテゴリーを作ってみた。


気がつくと最後のブログ更新から一週間が経過していた。
相変わらず特に変わったこともなく、変わらぬ日々を送っている。


とても穏やかな気分で過ごせているのは、瞑想の影響だろう。
この生活に来月から、少しだけ変化を加える予定。


気が向いたらブログにアップするかな?



え?それだけ?



そう、それだけなのです。
















SMILE

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自分の中で一区切りがついたから、今日で毎朝のブログは終了。
今後は気ままにフリー更新の予定。
気が向いたときに朝ブログも更新する。


そして睡眠導入剤なしで眠りがやってくるか実験中の今朝は、
眠りそびれているから起床時刻はなし。


昨夜読んだ本に強烈な既視感があった。
朝方帰宅した夫に、その経験があるか聞いてみたら、意外にも「ある」と返ってきた。
続けて輪廻転生を信じるかと訪ねたら、「科学的に証明されていない」とのご回答。


科学を知らない人が科学を語ることに違和感を覚えたので、口論となる前にこの話題は終了した。
なにかというと非科学的と言いたがる人には辟易するんだな。


既視感もね、まぁ精神病者の私が語ってしまうとさ、まさにそれになってしまうからあまり口にしない。



Nat King Cole - "SMILE", / Charles Chaplin




今日の朝ソングは、
Nat King Cole の「SMILE」






雨の土曜日、ましてや今の状況下で外出する人はどんな気分かな?
私ならちょっと憂鬱になって、出勤のために気分を上げるために試行錯誤している時刻だろう。


こんな朝にも平常心を保てるあなた様には、畏敬の念しか持てませぬ。







お仕事に出かける方も、ゆっくり過ごされる方も、なにかしらの予定がある方も、
笑顔で過ごせますように。







行ってらっしゃい。





行ってきます。




















百円の幸福。

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今朝の目覚めは、3:10 a.m.
起床時刻は、3:24 a.m.


なんとも清々しい朝。
心には一切の曇りがない。
全てではないけれど、ひとつ抜けたのかな?


夫は休みの日は必ず、夜遅くに散歩に出る。
結構な距離を歩く人だから、軽くも一時間以上の外出となる。


いつもは待たずに先に眠ってしまうのだけれど、昨夜はおかずの作り置きを作ったり、ちょっとした家事をしていたら夫が帰宅した。
手に提げたコンビニのビニール袋からモナカアイスをひとつ取り出すと、一言。
「半分ずつ食べよう」


それだけのことだけれど、とても幸せな気分になった。
そろそろ寝る時刻だし、そんなときにアイスクリームってね?
ちょっと迷ったけれど、一緒に食べることにした。


それはもう満ち足りた気分。
こういう小さな幸せが、ひとつでもあれば良いのです。
百円の幸福。


瞑想やスマナサーラ長老の法話やご本で、私は変わったのではないかな?
夫に優しくなった、というかな?
夫をひとつの生命として尊重できるようになったのだと思う。
まだまだ我の強さは残っているけれど、彼に対するイライラが劇的に減ってきたかな?
それでも深酒であまりにもだらしない姿を目にすると悲しくなるのだけど...。


彼が彼の命や体を大切にできないのは彼の問題であって、私がどうすることもできない。
彼の問題に私が気を揉んでも仕方ない。
彼は彼であって、私を苦しめ続けた母ではない。
そうやって無理して自分に言い聞かせなくても、もう少し自然に受け止められるようになったみたい。


優しくなれば、人も優しくなる。
優しくしてほしいから、そうするのじゃなくてね。




秦 基博 - 「70億のピース」 Music Video



秦 基博 - 「水彩の月」 Music Video



秦 基博 / 在る Music Video



秦 基博 - 「花」 Music Video



秦 基博 - 「エンドロール」 Music Video



“ 遮断機の向こう側 途切れる景色に
今朝のニュースが ふと よぎった

歩き出せば 消える 他人事の悲劇
なんとなく 君と また 手をつないだ

愛の歌が届かない 暗い闇もあるの

70億のピースが 描き出す 世界のパズル
誰かと隣り合えた意味
かたちの違う僕らは ひとつに今 なれなくても
でも 違いが 離れないよう 寄り添えるんだ

半径5メートルも ままならないまま
日々は続いてる あやうく

あの映画みたいに 小さな幸せが
拡がればなんて やっぱ 綺麗事かな

その横顔 閉じ込めたくて カメラを向けた

無邪気な君のピースサイン いつも僕を照らす光
明日もここで生きてく意味
かたちの違う某らは 近づくほど 傷つくけど
でも 互いの 温もりにも 気づけるんだ

70億のピースが 描き出す 世界のパズル
誰かと隣り合えた意味
かたちの違う僕らは ひとつに今 なれなくても
でも 互いが 離れないよう 寄り添えるんだ ”




今日の朝ソングは、
秦 基博の「70億のピース」「水彩の月」「花」「在る Music Video」「エンドロール」




人生はまだ続くから、これから先がどうかるかなんてわからない。
昨夜、一緒に食べたモナカアイスはもうどこにも存在しない。


私たちは儚くて、とても脆い。
この入れ物はそう長くは持たない。


出会いがあって、別れがあって。
なにひとつとして永遠なんてものはなくて。


けど、うん、
だから良いのじゃない?


大切にしたいと思う気持ちは、だから現れるのでしょ?
頑丈だったら、多少乱暴に扱っても壊れたりしないからね。


儚く消えてしまうものだから、その一瞬を大切にしなくちゃね。


心は放っておけば、悪魔そのものになってしまうって。
お釈迦様に聞けば、「本来の姿というのは悪い」って。
ありのままは、とんでもないって。
◆ 現代人のための瞑想法ー約立つ初期仏教法話アルボムッレ・スマナサーラ(著) より


だからちょっと努力して、優しい自分を育てよう。
そしてね、エンドロールが流れるころに、
「まぁまぁの人生だったんじゃない?」って、言えたらいいなぁ。





今朝の東京はまだ晴れ間があるけれど、
午後には雨が降り出しそう。



梅雨ですからね。
傘を持って出かけましょうか?










行ってらっしゃい。





行ってきます。




















蜘蛛の糸。

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今朝の目覚めは、2:15 a.m.
起床時刻は、3:20 a.m.


目覚めると隣のベッドは空。
昨夜の夫の帰宅は21時過ぎで、彼のおつまみを用意してから私は寝床へ。
どうやら夫は外で飲んでいたらしく、帰宅のときにはお酒くさかったのよね...それから4時間くらい経過している。


居間でうたた寝しているであろう夫の姿が浮かぶ。
若干うんざりした気分になった。


放っておいた方が良いのかもしれないけれど、気にかかるから居間を覗いてみる。
案の定、高いびき。
起こしてみたけれど迷惑そうだったから、諦めて寝室に戻った。


それから寝付けなくなって、ベッドの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じてみた。
なんだか悲しい気分になって、ポロポロと涙が溢れる。
ひとしきり泣いた後に唐突に幸福感がやってきて、落ち着いた静かな気分になった。


起きてから居間へ向かうのが少し躊躇われたけれど、自分が決めたリズムで生活を送るためには気にしてちゃいられない。
意を決して居間へ入って、自分のことをした。


しばらくして夫は自然に目を覚まして、何も言わずに寝室へ移った。
互いになんの声がけもないって?
なんだかな...。
まぁ、そんな夫婦はいくらでもいるだろう。




SCANDAL 「A.M.D.K.J.」 - Music Video



SCANDAL 「瞬間センチメンタル」/ Shunkan Sentimental ‐Music Video



SCANDAL - 「マスターピース」 / Masterpiece - Music Video


“ 張り巡らされた規制線
敏感になりすぎた不気味な街は
幻想が生んだ無法地帯
目を逸らしてる人ばかり

その気になって 試してみなって
美化しないで 現実を知って
クソ真面目にやってらんない日もあるよ
時に、神頼み

運命のあみだくじ 伸るか反るかの話
運命のあみだくじ 指でなぞって

さあ、もっと深くまで
その目でみて触れて
我が物顔がはびこる
この世界に嫌気が差すよ
真実は無色透明で
少しだけ冷たい

手のなる方へ寄っといで
もっといいことしようよ
同じ阿呆なら踊らにゃ損々
ああ もう病みつきになってる

正論ばっか吐き捨ててないで
凝り固まった頭を冷やして
時代遅れの寒いB級評論家達に
お仕置きを

運命のあみだくじ 酸いも甘いも私
運命のあみだくじ そっと開いて

さあ、胸に閉じ込めた
その想い解き放て
予測不可な明日が怖いのは
君だけじゃない
愛なんて自由自在に
燃えて消えてゆく

さあ、もっと深くまで
その目でみて触れて
我が物顔がはびこる
この世界に嫌気が差すよ
真実は無色透明で
少しだけ冷たい ”




今日の朝ソングは、
SCANDAL の「A.M.D.K.J.」「瞬間センチメンタル」「マスターピース


ちょっと投げやりになったり、乱暴な気分になったりね?
人間ですからね、いろんなときがある。


良いことばかりじゃないから、希望を見出す。
命になど未練はないなんて軽口をたたいてみても、その瞬間には恐怖したり?


こんなんですから、人間はやめられない?
違う次元で高みから見下ろしてみたいけれど、いやはや...現実は地べたを這いつくばっておりますわよ。


蜘蛛の糸が目の前に垂らされたら、間違いなく掴むでしょ?
その後に亡者がワラワラ続いたら、あなたならどうする?
私はどうするって...それはもうカンダタを笑えない。


もちろん芥川の妄想の世界ですからね。
現実ではないのです。






今日も一日が始まりますな。



さあ、どこへ?







行ってらっしゃい。






行ってきます。




















ふーん...私もそう思えちゃうんだ?!

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今朝の目覚めは、3:42 a.m.
起床時刻は、3:59 a.m.


ん?
あれ?
アラームが鳴らなかった?
アラームは毎日午前3時10分に鳴るように設定してあるし、止めなければスヌーズ機能で5分おきに鳴るように設定済みだ。
無意識で消してしまったかな?
全く記憶がないが、それだけ熟睡してたのだろう。
予定時刻よりも30分の遅れなんて微々たるもの。
けれど、仕事で30分の遅刻は大変はことだから、気をつけねば...。
というか、まぁお仕事なら抵抗があっても目覚めまし時計はかけるのよね...アラームじゃ目覚めない可能性があるからね。


今は良いのです。
驚きで目覚めたくないし、明確な予定もないから。


昨日の瞑想は午後から行った。
夫の出勤時間が14時半だったから、午前中に済ませると焦ってしまう可能性がある。


昨日はね、かなり達成感があった。
座る瞑想で必ず目を開けてしまっていたのだな、一昨日までは。
最初の頃は何度も数え切れないくらい目を開けてしまったし、一昨日は一度。
それはもう無意識に目が開いて、無意識に首が動いて左側を向いたのです。
少し前の私なら、こういう現象に何かしらの意味を持たせて慄いていたかも知れぬ。
それに対してなんの不安を持たずに、「あら目が開きたかったんだな」と思えた。
これだけでも私にはちょっとすごい変化だ。
そして、昨日はさらにさらに一度も目を開けずに、30分間が過ごせたという。
快挙だ。



新山詩織「今 ここにいる] MV cover video



新山詩織「絶対」MV



新山詩織「ひとりごと」MV


新山詩織「ありがとう」MV




ciii - あのバスに乗らなくちゃ




“ 昨日より 少しだけ 微笑みかけるような
今よりも 透明な 空の蒼さを

誰かのためじゃない
自分のためここにいる

今は見えなくても 光と陰のその隙間に
消えない色を放ち 飛び立つよ
あの日 思い描いた 景色へ

いつだって 憧れた 夢の欠片が今
空の向こう 見つめてる 確かめたくて

誰にもゆずれない
風に乗って どこまでも

今は見えなくても 揺るぎない想い ひとつあれば
誰よりも輝き 羽ばたける
きっと 涙が希望に変わる

泣いて泣いてなんども泣き疲れ
過ぎた日々に さよなら手を振る
「明日はどこまで行ける?」繰り返して
前を向いていくの

今は見えなくても 続いてく未来のどこかに
知らない光がまだ どこまでも
きっと 輝いてる そう信じて ”




今日の朝ソングは、
新山詩織「今 ここにいる」「絶対」「ひとりごと」「ありがとう」
フルバージョンじゃないけど...ぜひ。

それから、
ciii の「あのバスに乗らなくちゃ」



2018年12月12日、渋谷WWWのライブ『新山詩織 LIVE OF PAUSE 20181212 ~my place & your place~』をもって活動を休止した新山詩織は、2020年2月「ciii」名義でYouTubeに楽曲公開している。






誰だって、人は変化する。
刻々と変わりゆく自分を、終わりまで楽しめたら良いな。


若い人たちから与えられる希望は、どこまでも続いていく。
それは私がこの世を去った後も永遠に続くでしょう?
永遠に続くように地球を大切にしなくちゃだ。



子供を産んだ友人の。あの一言が蘇る。
「今までは地球のことなんかどうでも良かったけれど、この子を産んでからは地球が永遠に続くといいなって思うようになったんだ」
投げやりで人任せなその人の変化に、感心するより躊躇しかなかったあの日。



子供はつくらなかったけれど、そうだなぁ...これって、慈悲の瞑想の威力ですか?
なんだかちょっとくすぐったくて、照れくさいな。


残りわずかな時間でも、自分の変化が面白い。
今日は昨日の変化をブログ記事にする予定。
そう、相変わらず予定は未定。




今日は日曜日ですぞ。
午後からの楽しみがひとつ。





今日もお仕事のあなた様、


そして旅の途中の...







行ってらっしゃい。







行ってきます。





















押し付けの道徳観に応えるために、忘れ去った私の嗜好。

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今朝の目覚めは、2:57 a.m.
起床時刻は、3:30 a.m.


昨日、「食べる瞑想」に挑んでみて気づいたことが一つあった。
私はお肉が嫌いだということ。
これには自分でも新鮮な驚きがあった。


食物を口に含み、「噛む」「味わう」をする。
昨日は味のしっかりついた焼肉を食べたのだけど、噛んで味わっているうちにお肉の味?匂いが気になってきた。
そのうち牛の姿が思い浮かんできて、得も言われぬ気持ちになった。


そして思い出したのが、子供の頃の偏食だ。
私はお肉もお魚も食べるのが苦手だった。
グニグニとした食感が気になったし、何しろ口に含んで噛んでいると動物を思い浮かべて気持ちが悪くなってしまうのだった。
それでも残せば父に叱られるから、味わう前に飲み込むようにしたことを思い出した。


短気な父に食べるのを急かされた結果、よく咀嚼しない人になったと思い込んでいたが、父が食べるのが遅いと怒鳴っていたのは母に対してであって、私が注意されたことはない。
なにせ私は、父に注意される以前から食べるのが早かったのだから。


なおかつ私はお刺身にもお醤油をたっぷりつけるし、お肉にもソースもたっぷりつける。
考えてみれば、お魚やお肉そのものを味わっているのではなく、調味料を味わっているのだ。
食物をよく噛んでいると、ソースや調味料の味がなくなって、素材の味が感じらる。
口に入れたお肉やお魚たちが、そうなる前にせっせと飲み込んでいたのだった。


これは私にとっては、とても重要な発見だ。
お肉もお魚も好まないのならば、それらを無理して食べる必要がない。
タンパク質は他の食品でも取れるし、今後はお肉もお魚も食べなくとも良いような気がする。
いやむしろその方が経済的にも健康的にも良いことずくめではないか?


「好き嫌いなく残さずなんでも食べなさい」と口うるさい父親も世を去ったことだし、バランスが重要とは言え、肉魚以外でもタンパク質は取れる。
子供頃から海老、蟹、イカ、タコ、貝類、卵は好きだったし、お豆類もある。
そう考えてみれば、私は血の味が好きになれないのかもしれない。




OKAMOTO'S 『HEADHUNT』


OKAMOTO'S 『Dancing Boy』MUSIC VIDEO


OKAMOTO'S 『NO MORE MUSIC』MUSIC VIDEO



OKAMOTO'S 『90'S TOKYO BOYS』MUSIC VIDEO


“ 耳を塞いでも 瞼を閉じても
あるコトないコト 毛穴沁みて来る

噂話 ヤバい話 考えることも止めて
人の不幸 祈ってるのさ 口よりも指は喋るぜ

あんなたのアタマ の中身は
あんたが詰めた 訳じゃない
アンタ Gotta ドコ? He Got ドコサ?
Yeah! Yeah! Yeah!

いまアタマを失くした俺たちは
あてもなく闇を彷徨うのだろう
いま自分を失くした俺たちに
愛の意味 誰か教えてくれよ
ワオ ワオ ワオ この腕で
ワオ ワオ ワオ 取り戻そうぜ

好き嫌いや ウソホントや 白黒つけたがり屋たち
自分のカラーは 色が褪せて カラフルな画面に見蕩れて

バッタもんたちの ジタバタは
馬っ鹿ばっかでもう キリがなぁい
パッパラッパ Viva! タリラリラーン
Yeah! Yeah! Yeah!

いま光を求めて俺たちは
覚悟を決めて 明日へ踏み出すけど
いま行き場を失くした俺たちに
生きる意味 誰か教えてくれよ

ワオ ワオ ワオ その足で
ワオ ワオ ワオ 探し出そうぜ Yeah! Yeah!

耳を塞いでも 瞼を閉じても
あるコトないコト......

Yeah! Yeah! Yeah! Yeah! Yeah!

いまアタマを失くした俺たちは
どうすれば涙 流せるのだろう
いま俺が俺であるそのために
愛の意味 誰か教えてくれよ

ワオ ワオ ワオ この腕で
ワオ ワオ ワオ 取り戻そう
ワオ ワオ ワオ その足で
ワオ ワオ ワオ 探し出そうぜ ”






今日の朝ソングは、
OKAMOTO'S 「HEADHUNT」「Dancing Boy」「NO MORE MUSIC」「90'S TOKYO BOYS」



そうだ...二度目に狂ったとき、私は食べることは罪だと思った。
なにやら恐ろしいことをしていると。
命を食す恐怖。
噛むたびにそれらの苦痛の声が聞こえるんだよ。
食べるのが怖くなって、どんどん痩せていって、夫が心配そうに食物を差し出すから泣きながら食べてたなぁ。


なにからあんな妄想が始まったのかは、全く思い出せない。
昨日の「食べる瞑想」であの頃のことが鮮明に蘇って、頭の中で恐怖が過ぎった。
妄想に取り憑かれる前に、急いで口の中のものを飲み込んだ。
即座に瞑想を中断して、余計な思いが浮かばないくらいの超絶なスピードで食べることだけに集中して、食事を終えた。


片付けを済ませて落ち着いてから、もともとお肉が苦手だったのだということを思い出した次第。
だから今日の「食べる瞑想」では噛んで味わっても妄想に至らないような、平和的なものをいただこう。




え?
瞑想は止めませんよ?
だって、うん、やはりすごい効果。
普通にしていて気分が良いのだ。
この心地よさ。
気分の切り替えの速さ。
夫との距離感。



食べる瞑想が苦手な原因の検討もついたから、ちょっと実験してみたいじゃない?







さて、今日も



行ってらっしゃい。





行ってきます。




















気がつくとそこにあったりするでしょ?

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今朝の目覚めは、3:10 a.m.
起床時刻は、3:30 a.m.


久々に予定通りに起床できて、なんだか嬉しい。
寝入った正確な時刻は分からないけれど、昨夜の就寝時刻はおそらく23時を過ぎていた。
つまり睡眠時間が5時間を切っている。


瞑想を始めるまでは4時間眠れば眠気を感じることはなかったし、起きる予定の時刻よりも先に自然に目覚めるのが常だった。
そして一旦目が覚めたら日中に眠気がさすことは滅多になかった、退屈すぎる時以外は。
最近は起床後しばらくは頭がぼんやりとしている。
瞑想を初めてから、眠りが深くなったのだろうか。
子供の頃から長く続いていた睡眠障害が、瞑想をすることによって緩和されたのかな?


私は過去、何かをしていて眠くなったことがほとんどない。
集中力がありすぎるっていうか、過集中なんだよ。
それが最近は瞑想をしていて、眠くなってしまうことがあるのよね。
退屈でもないのにうとうとしてしまうのは何故なのかな?
リラックスできてるってこと?
それってけど...集中できてないってことで瞑想にはならない?




Caravan 「Glow」「Over」



wagon / caravan



ハミングバード Caravan


caravan - TRIPPIN' LIFE



Caravan / サンティアゴの道【MUSIC VIDEO】



もっと遠くへ / Caravan



“ 遠い空が晴れたなら 口ずさむあのメロディ
咲き誇るひまわり 名もなき空の果て

月がてらしだす道を 朝日に輝く街を
風はまだ、ざわめいて僕らをからかうけど

悲しみながら歌に変えて
歩き出す 日々の行方に
いつか世界の果てを目指そう
glory morning 光の朝

重たい荷物下ろして 地図には無い道を行く
もう二度と戻らない 僕らは決めたのさ

繋いだ手を離せずに
泣き出した夜の静寂に
くちびる離れて行くメロディ
青醒めた空に消えた


誇らしげな太陽が
全て飲み込んで走り出すよ
いつか世界の果てを目指そう
glory morning 光の朝

いつか長い長い長い長い長いトンネルを抜けて
羽ばたけるさ 君は空に

そして深い深い深い深い深い眠りに付いても
また会えるさ 夢の中で ”





“ 調子はどうだい?友よ
愛すべきロクデナシよ
色あせたTシャツに風邪を集めて
歩き出すその度にブチ当たる壁があったり
UP&DOWNばかり...毎日はそんな感じ

Tell me why 見てみたいな その扉 開いて
いつか眠りにつく時まで
Tell me why この世界は まるで映画の様な
ラストシーンばかりじゃないけど

永い夜の終わりに浮かんだメロディー
誰の為でもなくて ただ書き残して
歌いだす その度に思い出す顔があるんだよ
時に笑っていたり 時に泣いていたり

Tell me why 見てみたいな その扉 開いて
いつか眠りにつく時まで Keep your truth
この世界はまるで映画の様な
ラストシーンばかりじゃないけど


Oh my guys,What's goin' on?
Oh my guys,Lei's groovin' on!


Tell me why その未来はさすらいのEasy Rider
いつかまた会う その時まで Keep your style
この世界はまるで映画の様な
限りある時の中で

Oh my guys,What's goin' on?
Oh my guys,Lei's groovin' on!

調子はどうだい?友よ
愛すべきロクデナシよ
左手にピースサインと右手に握りこぶしを
歩きだすその日々がイバラの道だとしても
彼方に喜びの花が咲く様に
さあ行こう

Trippin' Life is goin' on... ”




“ あの子はどこからやってきたんだろう
柔らかいケモノのような目をしてた
あの子は何を探しているんだろう
消えない影を引きずってロープの上
寂しがりやの狼の遠吠えや
夢見がちな雀達の唄声が
鳴り響く夜明けの道を歩いてこう
何処へ行くのかはわからないけど

life is a dream
life is a gas
life is a trip さあ君は君の道を進め
正解はいつも曖昧です
巡礼のような毎日です
光と闇のサンティアゴの道の上

美しいものに出会うその度に
扉が開いてゆく気がしたよ
手のひらが汚れて行くその度に
少しだけ自由になれた気がしたよ

「誰かのため」にと彼は旅に出て
誰かのせいにして家に帰ってきた
世界は監視委ほどに複雑で
時々笑えるほどにシンプルさ

life is a dream
life is a gas
life is a trip さあ君は君の道を進め
正解はいつも曖昧です
巡礼のような毎日です
光と闇のサンティアゴの道の上

全ての出来事には意味があって
その全てが君と誰かを繋ぐ
その子はそんなことを言ってたけど
そうかもしれないなって思うのさ

痛くてたまらない傷があるだろう
悲しくて眠れない夜があるだろう
言葉にはならない想いを知った時
新しい道は開いて行くんだよ



life is a dream
life is a gas
life is a trip さあ君は君の道を進め
さよなら ありがとう ごめんなさい
罪深き獣達よ行け
誰もが一人インティゴの空の下

life is a dream
life is a gas
life is a trip さあ君は君の道を進め
正解はいつも曖昧です
巡礼のような毎日です
光と闇のサンティアゴの道の上 ”


今日の朝ソングは、
Caravan の「Glow」「Over」「wagon」「ハミングバード」「TRIPPIN' LIFE」「サンティアゴの道」「もっと遠くへ」

今日もたくさんで...
お時間のある時に聴いてくださいませ。




曇っているけど、なんだか気持ちの良い朝。
今日はね、また楽しみが一つ。


聞きたいことはあるようなないような...
いつもその場になると、どうでも良いのかなって思ってしまうんだな。


誰かの疑問の中に、探してた答えがあるから。
自然に見つかるんだよ。


質問をぶつけるよりも、流れの中で知った方が嬉しかったりするんだな。
そしてね聞くのを躊躇うくらいの疑問なんてね、実はどうでも良かったりするみたい。







さあ、今日も行きますか?













行ってらっしゃい。





行ってきます。