遠い箱

精神障害を持つアラ60のヘンテコな毎日と、日々変化する心情を綴ります。

また会える日まで。

昨日、今日、明日と何も予定は入れていない。
のんびりとゆったりと、気ままに過ごすつもり。


気が向いたらフットネスクラブへ行こうかな。
このフィットネスクラブも今月いっぱいで退会する。
スパが良いんだけど、良過ぎてしまって却って肝心の運動をせず、
スパだけで満足してしまう。
会費もそこそこするから、12月からしばらくは収入の見込みがない私には贅沢すぎるし。


台風一過でよく晴れた一日。
夕方からお散歩というのも魅力的だな。


はてなブログ」登録して一ヶ月程度、初ブログは9月7日。
まだ日は浅いけれど、ここで知り合った人々にも既に愛着があって、
ブログの更新が少しでもないと心配になる。


どこへ住むかも知れぬ、
その方々に何事もないことを祈るしか術はない。


ブログにも出会いや別れがある。
それは重々承知している。


淡い夢のような、現実とは少しだけ切り離された世界。


そこに広がるのは、文字と画像だけの永遠の空間。
実在するのか作り物なのか、
曖昧だからこそ魅かれるのだろう。


どこへ通じているのか
その先が見えないから
だからこそ、この出会いは尊いのかも知れない。


またここで会えるといいな。


どうか元気でありますように。


夢と現実は別々に存在するから
素直なままで
ありのままの私でいられるのです。


少しだけ
さようなら


また会える日まで。


















リソースって?

まずはリソースの説明。


リソースとは一言で言うならば「資源」「使う物」だと思うが、
私のブログで使用するリソースは、ハコミ・セラピーで学んだ感情的になりそうな時や、不安を感じている時などに用いる道具的な、手段的なもの。

 

実のところ、このハコミ・セラピーは8月まで通院していた精神科のデイナイトケアで行っていたプログラムの一つだ。


こちらの精神科では既にデイナイトケアは終了してしまっているし、私自身も転院したので過去に参加したプログラム中でたった3回、各回10分程度のリソースの時間を経験したに過ぎない。

 

よって私のリソースに関する理解度は非常に低いものと思われ、プロの方から見ると少し解釈が違うというご意見を持たれるかも知れない。
しかし、ここではプロからのご教授は不要とさせていただく。

 

たまたま今回、通うことになった就労移行支援事業所でも「リソース・ワーク」というプログラムがあるので、今後更に理解が深まるかと期待しているが、今現在の私は上記のように理解している。
訂正や宣伝の類は、お控えいただければと存ずる。


ハコミ・セラピーでリソースの存在を知ったときには既に、ここで意味するリソースをいくつか、私は持っていた。



私のように精神的に問題を抱えている者であれば、不安になったり、落ち着きを失ったり、緊張し過ぎたり、怒りや悲しみが突如こみ上げることは日常的にある。
そのため、その感情を制御する手段のいくつかは、自然と見つけているものだ。



このカテゴリーでは、私の持つリソースを紹介していく。
リソースは個々人で全く異なるので、ご存知なかった方がいらしたら是非ご自身のリソースを見つけて欲しい。



このカテゴリーの記事が少しでもどなたかの参考となれば本望ではあるが、基本的には自分自身のための記録として、楽しみながら綴っていこうと考えている。

私の中の黒い思考。

ブログって面白いな。
普通に暮らしていたら、出会わないであろう人の何かしらの一部を共有する。
生活であったり、願いであったり、欲望だったり、思いだったり、悩みとか、趣味に到るまで。
それはもう、ありとあらゆるもの。


私はケチなので、ほとんど自宅のWi-Fiでしかネット接続しない。
モバイルデータ通信は滅多にしなくて、
スマホiPadは使用時以外は機内モードにしている。
データ通信は1ヶ月1GBの最低のプランで契約していて、それでも毎月余る。
今月はまだ0.33GBしか使用していない。


着信があっても後から通知されるから、全く気にしていない。
私の様な生活をしていれば、緊急連絡など入る可能性は低いし、
万が一にも夫に何かあったとしても当日中に知れば問題ないと思っている。
事故などで緊急連絡が入ったとして、すぐに駆けつけても何かが変わるわけじゃない。


死に目に会えるか、会えないか?
けれど事故で当日中にこの世の人でなくなるくらいの重症だったら、意識はないでしょ?
何かしらの一言を言い残して、カクッと旅立つとか現実的じゃないような気がする。


あ、また横道に逸れてしまった。


そうそう、昨日の私ですが、


満員電車が苦手な理由が、今更ながら明確になった日だった。
薄々、感づいていたのだけど、まぁなんていうか私は精神障害者なわけだから、それを原因にした方が、己の狭量さを誤魔化せそうだと密かに思っていたのだと確りと自覚した。

 
普通に帰宅すれば自宅から就労移行支援事業所までDoor-to-Doorで45分で行ける距離を、満員電車のもみくちゃを避けて必ず座れる遠回りコースを選択して1時間30分以上かかって帰宅している私。


昨日も本来乗車する方向と逆方向へ向かう、空いている電車に乗り込んだ。台風の影響か、早めの帰宅をする人々で車内は満席だった。それでも途中で下車する人が多数であり、途中駅で車内が空くことも経験上知っていた。その時も乗車率は50%を少し上回った程度だったから、人との距離は十分に取れていた。
間も無く大多数の乗客が下車して、端の座席を確保しホッと一息つく。


私は隅っこが好き。両隣に人が座っているのは圧迫感があって苦手だ。
音楽を聴きながらぼんやりと過ごす。ガラガラの車内が、再び混雑し始める。乗車率100%を少し欠けるくらいになった時に、白杖の青年二人連れが乗車して私の至近距離に立った。


何も考えることなく私は条件反射的に席を立って、
「どうそ、座ってください」
そんな一言が口から出ていた。
少し膨よかなその青年が、
「良いんですか?」と尋ねる。
「はい、もちろん」と私。
「どこ?」と青年。
席の場所が分からない様子なので自然に私の手は、その青年の手を取った。
「ここです」
「ありがとう」
流れるように、このやりとりが終了する。
もう一人の残された青年を、席についた青年が呼びやり、私は脇に避けた。
私の隣に座っていた女性は、私よりずっと若かいのに席は譲らない。いや、譲りたくないわけではないと思う。若いと気恥ずかしいのじゃないかな? と一応、自分に言い聞かせる。
すると向かい側に座っていた、中年を少し過ぎたくらいの男性が席を立って、もう一人の白杖の青年に譲って一段落ついた。
一瞬ざわりとした空気が生まれた車内は、すぐに落ち着きを取り戻し、日常の若干混み合った車内へと帰る。
それと前後して、私の気持ちはざわつき始める。


どうしよう...つい席を譲っちゃったけど、これからドンドン混み合っていくだろうな...私、耐えられるんだろうか? まぁ良いか、最悪途中下車してまた5駅くらい戻れば座れるし。あーけど、なんだな。あの青年も障害者だけれど、私も障害者なのよね。しかも完全に私の方が年寄りだし。あの青年のお母さんより私の方が歳上じゃん? けど、まぁ満員電車で白杖は辛いよね。精神障害者もそれなりに辛いけど、今日の体調だったら乗り切れるような気がする。けど、やっぱり白杖は分かり易くて良いなぁ。うーん、そうねぇあの赤いお札みたいの、何って言うんだっけ? あれ白十字がついたやつ...あ! そうそうヘルプマーク、あれ貰っておこうかな? 一度貰ったけど、誰かにあげちゃったんだよね。誰にあげたっけな? 忘れたな。すぐ忘れるんだ、私。ボケちゃってんのかね。まぁ歳も歳だしね、それと薬の影響もあるのかな? けど、あのヘルプマーク、あまり役立たなかったなぁ。誰も席譲ってくれなかったもんね。結構、つけるの勇気がいったし、その割に認知度低そうだし。なんか知らんけど身体障害者の人がつけてるのよく見かけるなぁ。目に見えない障害、内的障害や難病だっつーの。あれ? けど義足や人工関節を使用してる人も、だったよね? それって外見で分かるし。あーけど、あれだね、前に膝の痛みがひどかった時に杖使ってたじゃん。あの時も席を譲ってくれる人なんていなかったもんね。わざわざ優先席付近に立ってても知らん顔だもんね、良い若者がさ。たいてい寝たふりか、スマホに夢中だし。あれよね? 混雑時は優先席付近ってスマホ禁止だよね。まぁルールを守れないアホにマナーがあるはずがないよね。ほんっとにクソだらけだね全く。世も末だよ。アホ親の子供は更にアホになるっていう? 無限ループだね、こりゃ。虐待親も連鎖するけど、アホも連鎖するよね。これ以上、アホが増殖したら外出するのもっと嫌になっちゃうなぁ...。


空席ができる気配はなかったが私の目の前の、ドアの左右に存在するあの立ってる人にはオアシスにも匹敵する最高の一角が奇跡的に空いた。
するりと滑り込んでホッと一息つく。ここなら何とかやり過ごせるに違いない。いつも持ち歩く、必要以上に大きな私のバッグも網棚に鎮座して、ますます混み合うであろう車内への対策はバッチリだ。


再び思考がやってくる。


あ、あのヘルプマーク、確か妊娠初期の人も、だったよね。妊婦さんにはマタニティマークあるのにな。ダブルでサービスって。そりゃまぁ人口増やすのは大切よね。産む人、減ってるから。私も産みそびれたなぁ、けど良いの。こんな世の中で産んだところでねぇ、ましてや私みたいな人が産んじゃったら子供が可哀相だし。虐待しちゃってたかもだし、うん、その可能性が高い、うんうん。だいたい今さら後悔してももう産めないし、考えるのよそう。あーそう言えばあの最大に太ってた頃に妊婦に間違えられたことあったな...。おばあちゃんが席譲ってくれそうになって。「どうぞ(ニコニコ)」へ? 「妊娠してるんでしょ? 何ヶ月なの?」あ、いや、太ってるだけです、紛らわしくて、すみません。「あら? そうなの...私こそ、ごめんなさいね」いえいえ。...あれ恥ずかしかったなぁ...あれ以来、妊婦っぽい人が近くにいても妊婦さんかな? 単に太ってるだけ? どっちだろ? あーけど太ってるだけだったら申し訳ないしね、気まずいしねって席を譲りにくくなったから、マタニティマークは役に立つな、実際。でも、ちょっと主張不足だもんね、あまり目立たないから。ヘルプマークは可愛いし目立つしグッドデザインだなぁ。問題は認知度よね、けど認知度上がっても知らんふりする輩が増える一方で逆にストレスだわっ。



そうこうしているうちに車内はぐんぐん混み合う。今や乗車率は180%程度だろうか。駅に停車する度に下車する人よりも乗車する人が増え、混み合っていく一方だ。けれど私にはまだ限界はやってこないようだった。


あれ? こんなに混んで密着度も高くなったけれど、今日はなんだか大丈夫みたい。やっぱりこの場所が良いのかな? ここ最高よね。奪い合いだものね。うわぁ駅のホーム、あんなに人が待ってる...あーまた混むなぁ、ちょっと不安だなぁ。混み合う車内でスマホやってるやつとか見ると腹たつんだよね。つり革つかまれっつーの! 自力で立ち続ける体幹ゼロなくせに、フラフラフラフラ...私はあんたを支えるためにつり革につかまってるんじゃないって言ってやりたい。けど、言えないし。昔は言えたよね、きっぱり言えてた。「すみません、きちんとつり革に掴まってください。迷惑です」なんで言えなくなったんだっけ? 列に割り込む人とか、普通に意見できてたよね。...あーあれだ、思い出した...あのブッサイクな若いとも言い切れない微妙な年齢の女。つり革に掴まってくださいって意見したら、あの女に言い返されたのよね。「クソババァ五月蝿い黙ってろ」って...。ちょっと傷ついちゃったもんね、本当のこと言われたら傷ついちゃうじゃんね。私も言い返してやりたかったなぁ。ちょっとあなた、鏡見てから人のことを言いなさい、あら鏡見たらその鏡が可哀相ね、割れちゃうかも知れないし、とかね。ポンポン言葉は出るけど、まぁねぇ年甲斐もなく若い子に言い返してるのもみっともないしね。けどまた何故ああいう感じの悪い女っていうのはブサイクが多いんだろう? 綺麗な人はそんなこと言わない、いや綺麗な人はマナーも良いな、たまにヒドイ人いるけど。ああいうのはやっぱり親の躾? 周りのバカ男たちのちやほや? いやいやぁちやほやに乗っちゃうのはやっぱり愚かよね。けど、あれよね若干ブサイクでも性格が良いと可愛く見えちゃうしね...あ、そう言えば、あの変な男もいたなぁ、あのホームでずり込みしてきたの、注意したら後ろから蹴られたっけ。転ぶほどの勢いで背中を蹴ったな、あの男。私が何をするんですか?! って切れたら、あの男ときたらやっぱりあのセリフが出た、出ちゃったもんね「うるさい! ババァ黙ってろ!」。ちょちょちょちょっと待って!と私。あなたねぇ、割り込みして逆ギレして背中を蹴るって一体どういう教育を受けてきたんですか?「そんなこと、お前に関係ないだろうが!」関係はないですよ全く、本来あなたとなど関係は持ちたくない、けれどあなたが平気で割り込みをして...。と、騒ぎを駆けつけて駅員がやってくる。ホッとしたのも束の間。その駅員ときたら、男の味方するっていうか、私を中心に注意するもんだから、がっくりきちゃったなぁ。あれよね? やっぱオバさんだからかな? あの男ってば良いスーツ着てたよね、うん、高級そうなメガネもしてて...あんな無茶苦茶な人って思わない外見だったし、そうだなぁ私はあの時は化粧もせずラフな格好してたからなぁ...けっきょく世の中外見よね。まぁ私も様子の良い人は好きだしね...。若い子には負けるわって昔、森高歌ってたなぁ。あんなピチピチしてた森高も今や立派なオバさん。そして森高より年上の私は、まぁオバさん通り越してオバアさんよね。そりゃババァ呼ばわりされるわなぁってオイっそこで納得するな、私よ。


等々、くるくる独り思考してたら一時間半経って、何事もなく目的駅に着いた。
あとはバスに乗って家路を辿る迄。けれどバスに乗る前に、翌日の台風に備えスーパーに寄ってみると、なんともまぁレジに並ぶ人の長蛇の列に遭遇した。いつもなら並ぶのが嫌いな私だけれど、なんだかイベント参加気分でその列に加わった。


帰宅したのは21時を大きく回り、それから「はてなブログ」にログインしてみれば、読者登録がお昼よりも更に増えて、仰天した。


なにやら嬉しいような、けれどご挨拶回りのうちに、この読者登録の方々は本当に読んでくださる方なのかと微妙な気持ちが湧いて、昨日のブログ更新となった。


あれほどの長蛇の列に加わったものの何事もなく嵐は過ぎ去って今、東京は明るい月夜です。



今日は知らない方々のブログにお邪魔して、やはりブログは楽しいな、と嬉しい気分でいる次第。



読んでなくとも宣伝だって、
どこかの誰かと繋がることを楽しめる今日が在ることが、
一番の幸せ。



www.fukushihoken.metro.tokyo.jp




www.mhlw.go.jp

























精神障害と犯罪と...。

昨日は一日が24時間とは思えないほど、気持ちの変化が激しい一日でした。
双極性障害は気分の障害ですから、まぁなんていうか気分が安定している方が珍しいとも言えますが...。
けれどこの気分のアップダウン、ある程度コントロールしないと、私の場合は入院が必要となるケースが出てきますから、内観はとても重要な作業です。



kotobank.jp




入院の必要があるほど症状が悪化するのは、過度なストレスが長期間に渡り続き、且つそのストレスの原因となる出来事が重なると、私の場合は統合失調症の陽性状態と似たような症状を引き起こすことがあります。
過去4回の入院は、いずれもこのケースです。

 
一度目は、ワーカーホリックによって。
二度目は、立て続けに起きた父と親友の死によって。
三度目は、職場での昇格と一部の人の影の批判(「2ちゃんねる」に悪口を書かれました)で。
四度目は、夫の浮気疑惑騒動と原家族とのトラブルでした。

 
双極性障害で陽性状態があると、統合失調症と誤診される恐れがあり、
私も発病後三年ほどの間は、統合失調症(当時は精神分裂病)と診断されていました。

双極性障害うつ病の「うつ病エピソード」は、ほぼ同じであり、さらに過去の躁病(軽躁病)エピソードは、本人の自覚がないケースが多いため鑑別が難しいです。しかし、双極性障害うつ病に比べて、若年発症(25歳以下)が多く、妄想や幻覚などの精神病症状を伴いやすく、親・兄弟が双極性障害である頻度が高いです。また、再発の回数(5回以上)や睡眠障害(寝たいのに眠れないのでなく、睡眠欲求が減少している、もしくは過眠)などにもうつ病と異なる特徴があります。

◇ 医療法人 秀明会 杉浦こころのクリニック/双極性障害躁うつ病)について
https://sugiura-kokoro.com/treat/syoujyou04.html

 


双極性障害で生じるうつ状態では、単独で生じるうつ病よりも精神病症状(幻覚や妄想など— 症状の分類)がよくみられます。


幻覚が生じて、現実には存在しないものを見たり聞いたりする人もいます。

◇ MSDマニュアル 家庭版/双極性障害躁うつ病)より。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E6%B0%97%E5%88%86%E9%9A%9C%E5%AE%B3/%E5%8F%8C%E6%A5%B5%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3



楽しかったり、嬉しくてテンションが上がるくらいでは幻覚や妄想はありませんが、過度にテンションが上がる時が私にはあって、とても感受性が豊かになりインスピレーションがどんどん湧きます。言葉やイメージが次々と頭の中に浮かびます。


頭がすっきりとして、それはもう快感です。
けれどその後やってくる、ストンと落ちる感覚。
思考が停止し、なにも感じなくなり、感情の鈍麻が起こります。
身体がだるく、気力がなくなり、電動のおもちゃの電池が切れてパタッと動かなくなるかのような...。
もうPCを立ち上げることも、スマホをいじることも、お水すら飲む気にはなれなくなります。トイレに立つのも億劫です。


私の場合はそんなときも眠ることが出来ないので、ただ静かに辛さが去るのをじっと耐えるしかありません。薬を飲んでしまえば少しは楽なのでしょうが、就職して連続的なストレスを感じるとき以外は頓服を主治医にお願いしません。



当日や翌日になんの予定もなければ、私はこのテンションの上昇をコントロールせずに大いに自分から生まれてくる感情を楽しみます。
感じられるということは素晴らしいことですから、抑制したくないのです。
鬱の時と比較したら、まさに天国と地獄なのです。


感じる心は人間が生きていく上で、これほど大切で深く、意味のあることだと、この病に罹って実感しています。


けれど近く予定があるときは、アップの後に必ず起こるダウンで行動ができなくなる可能性を考えて、気分を上げすぎないよう抑制するしかありません。
これはかなり残念なことです。


ただ発病の初期と違い、自分の症状や状態に気づき、気分をある程度はコントロールできるようになった現在、以前と比べて予定が立てやすくなりました。
しかしながら、事前に計画した予定にそって行動するのは容易になりましたが、突然の誘いには対処方法が今のところ私にはありません。


「今から何処其処で○○があるから来ない?」
とか
「明日○○しない?」
などのお誘いに応じられないことが多々あります。


せっかちな人は「付き合いが悪い」とか「ノリが悪い」とか「自分の誘いは断るから嫌われているのかも?」と判断され、それが噂になったりすると、なにやら面倒くさいなって思ってしまいます。
こういう時は人付き合いが嫌になり『一人の方が気楽』という傾向になります。


双極性障害』なんだ、私。だから気分の上下が人より強くてお誘いに応じられなかったり、ノリが悪いこともあるけど、気にしないでね。それでも気になったら遠慮せずに理由を聞いてね』
それくらいに極自然にさらりと言えるようになりたいです。
また、そう打ち明けたときに「単なる我儘の気分屋」として性格として受け取らず、これが病の症状の一例なのだということ、精神障害の症状の認知度が少しでも上がるように、躊躇したり恥じらったりせずに、臆すことなく、これから発信して行きたいです。



精神障害はいつ誰が発症しても不思議ではない心の病です。
今、この記事を読んでくださっている、健常者のあなたも、あなたの家族や大切な友人、恋人が精神を患う可能性だってあるのです。
どうか奇異の目を向けて遠ざけるのではなく、怖がらずに、薄気味悪がらずに、私たちに話しかけてみてください。
ちょっと変わっているかも知れませんが、思ってらっしゃるよりは普通だったりするんです。



ついこの間まで、あなたと同じ様に健常者として、普通に暮らしていた人も大勢いるのです。



マスコミの報道等により、多くの方が犯罪と精神障害を結びつけて捉える傾向もまだまだ社会の常識です。


また同じ精神障害を持つ患者同士ですら病気に置ける上下意識や差別意識があるようで、私が統合失調症と診断されいた当時、入院した精神病院で知り合い仲良くなった双極性障害の女性に「統合失調症は犯罪者が多い」と言われ、大変傷つきました。
そんな差別に大いに傷ついた経験をした私ですが、統合失調症ではないと断定されたときには大きな喜びを得ました。そして速攻で馴染みの精神保健福祉士にウキウキと報告しに行きました。そのとき、その人に忠告された言葉が深く胸に残ってします。


「そんな風に統合失調症ではなかったことを手放しで喜ぶMさん自身が、もう差別する側になっているんじゃないの?」


この言葉には実にドキッとさせられ、浮かれていた己を深く恥じました。
そうやって猛省する私に彼は、オープンダイアローグの話を聞かせてくれたのです。


精神障害者が世間から差別をされる社会にあって、せめて私たち精神に問題を抱える当事者同士が強く結束して、社会に声を上げなければ...。
また精神に問題を抱え、周囲に理解者もなく、一人苦しむ方々を犯罪から遠ざけるために、何かがしたいと心から思っています。




mieluka.com






hakusyo1.moj.go.jp





http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/images/full/h4-9-1-01.jpg



警視庁統計による、平成29年度の刑法犯の検挙人員総数は215,003名、うち精神障害者等が3,260名、これには精神障害の疑いのある者が1,258名も含まれています。
疑いって...詐病も含まれているということでしょうか?


そういえば8月まで通院していたクリニックは通院する犯罪者を全て精神障害としていたけれど、それってどうなのかと大いに疑問です。
クリニックでの患者に【精神の障害にかかる等級判定ガイドライン】認定基準による、障害の程度で1級と認定され障害年金を受給していたクレプトマニアの女性がいました。



kmri.org



この認定基準の1級の障害の程度は、

 1. 統合失調症によるものにあっては、高度の残遺状態又は高度の病状があるため高度の人格変化、思考障害、その他妄想・幻覚等の異常体験が著明なため、常時の援助が必要なもの


 2. 気分(感情)障害によるものにあっては、高度の気分、意欲・行動の障害及び高度の思考障害の病相期があり、かつ、これが持続したり、ひんぱんに繰り返したりするため、常時の援助が必要なもの



◇精神の障害にかかる等級判定ガイドライン(PDF) > 第8節/精神の障害 > 1 認定基準 > A 統合失調症統合失調症型障害及び妄想性障害並びに気分(感情)障害 より。

https://www.syougainenkin-shien.com/standard


と、あります。これは援助がなければ満足に一人ではトイレにも行けないような、一人では起き上がることも困難な状態とのことです。


彼女は毎日のように一人でクリニックのデイナイトケアに通い、外部の有料プログラムにも参加しており、援助は全く不要でした。
どうやら彼女には夫と子供もいて、子供の世話をして、ハイブリッドカーを乗り回し、ママ友との高級ランチ等々、自慢話かとも取れる内容のおしゃべりを、平然と大きな声で話していました。


彼女を苦手に思い、会話などしたこともない、遠くから眺めているだけの私に筒抜けになるくらいの大声でした。
また彼女は1級の障害にも関わらず、通信大学、通信大学院まで卒業できる程度の状態でした。


彼女の贅沢に国民の血税が使われているのです。
これは許し難いことです。


私は統合失調症と診断されたとき、一時的に三年間だけ精神障害の2級と認定されたことがあります。2級でも一般的に生活するのには、かなり支障を感じていました。3級となった現在でも出来ないこと、困難なことが少なくないのです。
1級の申請が通るということが本来、どれほど重症な状態なのか、精神障害を持つ当事者として、20年もの年月を経験した私にも想像すらできません。


私を長く診た主治医は障害年金の申請にはかなり厳しく、障害年金を受給したことは勿論、申請したことすら私には一度もありません。
「Mさんにはご主人がいて生活に困ることはないだろ?」と主治医は当然のようにそう言っていました。
私だって、少しはお小遣いが欲しいんですけど...。
主治医にそうおねだりしたことはありませんが、私の本音を見透かした様に、
「3級は働けるレベルだからね、お小遣いが欲しかったら業種など選ばずに働きなさい」
と平然と言ってのけました。



そんな以前の主治医に少々不満はありましたが、あの状態で1級と判定された彼女を知り、彼女の振る舞いを遠くから眺めるにつけ、これで良かったのだと心から思いました。
彼女の立ち居振る舞いは『恥知らず』という言葉がぴったりで、彼女を見ていると自然と脳裏にその言葉が浮かびます。
あんな生き方だけはしたくない。


あの様な存在が精神障害者を地に貶めているのだと思うのです。
彼らは、真面目に真摯に生きている私たちとは別世界の、治療者とグルになって障害を偽る犯罪者たちだと私は思い、憤りを感じずにはいられません。



下記は、少し古い記事ですがよろしければご参考に。



www.excite.co.jp



この様に拙く、面白みに欠ける記事を最後までお読みいただきましたこと、深く感謝いたします。
誠にどうもありがとうございました。
お時間のあるときに、是非また遊びにいらしてくださいね。
いつでもお待ちしています。


それでは
皆様のご健康と幸せをお祈りしております。

複雑な心境

今日はなんていうか、嵐のような一日だった。

関東にも台風が迫ってきてるけど、

私の今日は私的にはまさに大型台風。

 

あ、台風一過を「台風一家だと思っていた」というブログ記事を

以前、読んだ。

どなたのブログだったかな?

実にキュート。

 

この嵐のような一日はおそらく、

ブックマークしてくださったブロガーさんの影響かと...。

 

ViMさんは「はてなブログ」で始めた私のブログ記事を、初めてきちんと読んでくださったブロガーさんだ。

 

 

最近読者登録をしてくれる方もいらっしゃるんですが、どうも登録だけして放置という方がいるので。特にどう見てもアフィリエイターっぽいブログなので私からは読者登録していません。興味無いので。まあそもそもが興味がないブログにアクセス数を伸ばす為だけの物として利用される読者登録って疑問に思うんですよね。 人それぞれ考え方は違うと思うんすけど、私はあくまで読みたいブログに読者登録をしています。アクセスが全てではないブロガーもいるという事を理解していただきたいと思う。 『自分がやられて嫌な事はしない』 これ、私のポリシーです。

私は自身のポリシーを貫きます。 - 2極のわらじを履くBLOG。

 

ぷふふ ♪ 面白い。

ViMさんはアフェリエイトもなさっているけれど、とても丁寧に記事を書いてらっしゃる。

自分以外の方のブログ記事も確り読んでから、スターを押してらっしゃると思う。

 

私もスターを押すときは拝読して押しております。

そして記事を拝読して心が動いたときに速攻で読者登録するときと、

少し様子を窺ってから読者登録をするときとがある。

 

 

読者登録しても何度か拝読して、

読者登録をやめてしまうこともある。

 

今日のViMさんみたいに、ご本人に断りもなく紹介してしまうこともあるし、

(ごめんなさい)

 

 

そっと大切に、ひっそりと取っておきたいブロガーさんもいたりする。

 

あー、嵐だ。

台風一過で、

すぐに静かに落ち着くと思うのよね。

 

 

なんだかちょっと

いえ私的には相当に

騒がしい一日でした。

 

 

 

 

 

 

わゎ、、

インして、驚いてしまいました(汗)

読書登録、そして沢山のスターを
ありがとうございます!


今、就労移行支援事業所の時間待ちで、カフェチェーン店でぼけっとしております。
帰宅して落ち着いたら、皆さまのところへ遊びにいきます♪


もうもう
早く帰りたくなってしまいました(^o^;)

ひさしぶりの、いつものやつ。

昨日は興奮してちょっと、
なんだか
はしゃぎ過ぎてしまったかな?

なんだろ?

このなにもない感じ。

あれかな?

あの、ネグレクト?


馴染んでるけど、慣れない

つらいってほどでもなくて

胸のあたりが重い


今日は地下鉄には乗れない感じだから
バスで始発駅パターンだな


そろそろ出かけよう

piano

ピアノを演奏できる人って

ちょと素敵

 

ううん、とても素敵

 

なにをやっても続かなかった私には

楽器演奏は遠い遠い夢のまた夢

 

あのね

ちらっと映りこんだ下向き加減のお顔がね

大好きだったゆきちゃんの面影と重なるみたい

 

ゆきちゃんのピアノ演奏を私は聞いていない

 

ゆきちゃんの住む東京の小さなアパートにはピアノが置けなくて

彼女が奏でるのは電子ピアノとギターとベース

 

もっぱら彼女が手に取るのはギターで

電子ピアノは作曲の時にしか使わないんだって言ってた

 

彼女が遠くへ旅立って

式の日に初めて招かれた彼女の生家

 

黒いピアノがありました

18歳まで暮らしたその家で

彼女はどんな演奏をしたのだろう

 

私は今も彼女の声で

私の問いを探します

 

また聞かせてくださいね

楽しみにしています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイムマシーン

2008年から2年くらい続けたブログで知り合って交流を続けた人たちの中で、

突然ブログを中断してしまう人は少なくなかった。

 

かくいう私もブログを唐突にやめてしまっている。

私がブログをやめた原因は以前にも下記の記事でちらりと触れたが、人の評価が気になり始めて本心を綴れなくなってしまったのが一番の理由だ。

 

r-elle.hatenablog.com

 

 

そして下が昔のブログだ。

 

ameblo.jp

 

この10年前のブログを私はたまに読み返す。

10年前の私に会いに行って、ちょっと恥ずかしくなったり、微笑ましくなったり、バカだなぁと苦笑いしたり、涙を流したり、抱きしめたくなったり、元気をもらったりする。

 

過去のブログは、まるでタイムマシーンだ。

 

私はこのブログで記事を綴ったおよそ2年間のうちで一度、ブログをやめようかと迷っていた時期がある。

その間はブログ更新が滞りがちになっている。

 

新しい出会いと別れが繰り返されるのは、ブログも実世界も同じだ。

新しい出会いにはときめくし、別れには寂しさが付きものだ。

ブログを続けて、少しずつ交流を重ねて、心が通う瞬間を幾度も、幾度も経験する。

 

10年以上も前に交流を続けていた懐かしい人たちを、私は今も忘れていない。

きっとこの世界のどこかで、いろんなことを考えながら、

日々を生きているのだと信じている。

 

 

またいつかどこかで再会できる日を心待ちにしながら、

そしてまた新しい出会いに胸を躍らせながら、

今このブログの更新をしている。

 

悔やんでも元には戻らない。

私たちは一分一秒毎に、常に更新され続けている。

常に今のこの現時点が、私なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとりじゃないよ。

ずいぶん長い間、消えてしまいたいという思いに支配されていた。

 

全く気力というものがなくて、

自らの力で自らを消すという選択すらできなかったあの頃。

 

こっそり泣いてばかりいたから目をこする機会も多くて、

ものもらいがしょっちゅうできて、眼帯をしていることが多かった。

 

市販の目薬をさしても治らないから、

眼科に行って切ってもらうことが度々あった。

 

眼科にはバスに乗って行く。

小学生の低学年の頃だから、一人ではなく母に連れて行ってもらう。

母は妹にかかりきりで私にはあまり構ってくれなかったから、

こういう時は母を独り占めできて嬉しかった。

 

いつも大人しい私がウキウキしてはしゃぎ気味になる。

心なしか母も、二人きりなら優しいから尚のこと嬉しくなる。

端から見た、そんな私は元気に映ったろう。

 

ある時、同級生のMにその姿を見られた。

Mは勉強もスポーツもできて明るくハキハキした女の子で、

先生からも生徒からも好かれていた。

 

いつも目立たなくて大人しい私の成績がMより良かったことは、

Mにとっては不愉快だったのかも知れない。

Mは私が学校をサボって母親と遊びに行っていたという噂を流した。

更にテストでカンニングしてた、とも。

 

先生は信じなかったが、女の子たちは信じて

私を仲間外れにした。

 

私は一人が好きだったから特に気にならなかったけれど、

体育の時に組む相手がいなくて先生と組むのが少しだけ恥ずかしかった。

 

どこにでも転がっている、よく聞くお話。

 

そうどこにでもある。

消えたい人も大勢いるって、大人になってから知った。

 

消えたい人同士はふとした切っ掛けで出会って、

なかなかに深い話ができる。

 

消えたい人の中には本当に消えてしまう人もいるけれど、

多くが消えずに存在し続ける。

 

Mみたいな人たちよりも、ちょっとだけ生きづらいけれど、

少しずつ生きやすくなる。

 

結婚した私は、意地悪したMと同じ苗字になった。

だから私はあの意地悪なMのことをしょっちゅう思い出す。

そしてMに対してなんの感慨もない自分に気づく。

 

楽しいと思うことが増えて行く。

一緒にいて楽しいと思う人にもけっこう出会える。

 

一人の時間も更に楽しめるようになる。

誰かと居ても楽しいと思えることも増えて行く。

 

生きてて良かったと思ったりもする。

 

長生きがしたいな、なんて思い始めたのは

半世紀以上生きて、ついこの間のお話だ。

 

悲しいことや辛いことは、命を全うするまで続くよ。

だけど、素敵なことの方がきっともっとたくさんある。

 

大丈夫だよ。

ひとりぼっちじゃないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K様へ。

 

あまりにも新着記事がないので心配しております。

 

10月7日の私のブログ「気がかりなこと。」は、あなたへ宛てたブログです。

 

自分の中に閉じこもっていないで 一緒に楽しいことをしようよ ここは素晴らしい才能があふれてるね すごいなって純粋に思えるんだ だってそれって仕事にできるほどの腕前じゃない? いやもうホント、感動が止まらないよ

アダルトチルドレン - 遠い箱

 

そして上の『素晴らしい才能』を感じたお一人があなたの【徹底レビュー・評価】です。

正直、私はオバさんなのでプロのゲーム評価をあまり知らず、かなりいい加減なことを言っているのかも知れないのですが、あなたの記事を拝見して「すごーい!」と思ったのは確かなのです。

 

天使の絵や、マスクとヘッドホンを着けてる人の絵や、プロフのりんごの絵にも、センスを感じるのは私だけじゃないと思います。

 

元気ですか?

どうしていますか?

今、何をしていますか?

心理検査はどうだったのでしょう?

 

私はあなたの記事で、たくさん心が動きましたよ。

 

また、あなたの記事が読みたいです。

 

 

 

 

 

5分で完食、下手すりゃ3分。

例えば西洋のコースや日本の懐石料理のように、

一人一皿ずつ提供されて、

かつ盛り付けや器も美しく、

かつお味もよろしくて、

かつ美味しいお酒と共に。

 

ゆっくりと目と舌で味わって、

かつ穏やかな会話のできる方と、

リラックスして心地よく、

三名、できれば二人きり。

 

そういう食事じゃないと、私はとてつもなく食べるのが早い。

ゆっくりと咀嚼して、

食べ物の素材や香りを楽しむことなどできない。

 

そう、まるで飲み込むかのごとく、口に食物を放り込んで、素早く噛み砕き嚥下する。

これはおそらく父の、食事時の恐ろしさが影響している。

 

『早飯早糞芸の内』

生前の父がよく使ったことわざだ。

父の父は士族の出だが、父はその人には育てられていない。

 

長崎のとある藩の教師だったその人は江戸末期、住んでいた城内で夜中に鳴き騒ぐ猿の声が煩いと、一匹の猿を叩き切ったという。抜刀どころか殺生までして城内を血で汚したということは当時、それはもう重大事で下手をすれば切腹ものだ。運よく切腹は免れて、城から放り出されるだけで済んだその人だが、身分や財産はさることながら住む場所も失った。それでも抜け目のない人で何をどうして転がり込んだか、地元の名士と言われた歯科医院の弟子となる。もちろん住み込み。

 

衣食住を手に入れたその人は、数年でこの医院の院長の座につく。元院長が病死して、残された未亡人の夫となったのだ。未亡人となった父の母の写真が残されていた。どちらかというと醜女よりだ。一方父の父、この人は俳優のごとき美男であった。

逆玉も美で勝ちとるかな?

 

院長の座を手にし出世したその人だったが、残念ながら長生きはできなかった。三男坊だった父が一歳の頃に他界して、再び未亡人となった父の母は元華族の気まぐれで、父たち兄弟三人を親戚の寺に預けて単身で海外へ旅立った。

 

寺で育った父が、この侍の嗜みを何処で覚えたかは全くの謎だ。

 

なにかとこの品のない言葉を連呼する父。

 

食べるのが遅い母はいつも父にガヤガヤとどやされながら、オズオズとオドオドと食事する。

隣で見ていると気の毒になるくらい、いつもビクビクしていた。

私はそれを横目で見てはヒヤヒヤしながら、味わうことなく急いで口の中へ食物を放り込んで、数回咀嚼すると飲み込むのだ。通り抜ける固形物が食道を痛いくらいに圧迫する。

 

これで私は身を以て断言できる。

食道は鍛えられる。

 

長年培ったこの早飯は、

父亡き今も私の体に染み付いて、

急かす人が不在でも、

そそくさと食べてしまう。

 

ハッと気がついて、ゆっくり食べる努力はするが、

却ってイライラしてしまうのだ。

 

ささっと5分、下手すりゃ3分で、

たいていの食物が胃の中へ収る。

 

歳とともに胃酸が減って、胃もたれがひどい今日この頃。

ゆっくりと、のんびりと食事をするには、

この悪習慣を以ってして、

どうにも先立つものが必要である。

 

 

 

 

 

 

暑苦しい生き方?

一昨日のことだ。

 

私は支所で障害福祉サービス受給者証の申請をしてきた。

そのときに区の精神保健福祉士から聞いた「学生は就労移行支援サービスが受けられない」ということに私はどうも納得がいかない。

行政側としては、学生はまず学業に専念することが重要と考えているらしい。

もっともなご意見だと思う。

しかしながらこの学生に、通信大学も含まれるというのは如何なものだろうか。

 

面談では残念なことも知った。 就労移行支援サービスは学生は受けられない、ということ。 当然ながら通信大学生もこのサービスは受けられない。 来年には通信大学へ入学予定の私は、来年3月までの約半年がサービスを受けられる期間だ。

今日のこと。 - 遠い箱

 

私のように50代にもなっていれば、学校などとうの昔に卒業して、社会人としてはベテランの域でバリバリと働いているのが通常だろう。

学ぶべき若き日にすでに精神に支障があり、それを理解しない責めるだけの大人たちの中にあって私は、どれほど苦しさを訴えようと、また自分自身でもその苦しさを上手く説明することも、ましてや原因を突き詰めることもできないまま、ただ闇雲に次々と学校に入学しては中退するというコースを歩んできた。継続できない、卒業というゴールに到達することができないという挫折を幾度も重ね、自己否定と自責に苛まれ、いつしか廃人のような状態になっていった。義務教育以外で入学した学校は8校、そのうち卒業できた学校といえば30代で自ら学費を工面して入学した美術学校が1校だけだ。

 

仕事にしてもそうだ。人間関係が苦手な私は良い距離感で人と接することが一向にできず、何度も転職を繰り返している。職歴はなんと14社。いずれも経歴を誤魔化しての入社だ。

職場で適当な人間関係が作れないのは精神疾患の影響も大いにあるが、やはり一番影響しているのはこれらの経歴の詐称にあると思う。

 

就労移行支援事業所で集団認知行動療法や疾病理解、生活習慣の改善と自信を、取り戻すための様々なプログラムに参加し、精神障害者として社会に受け入れられるための、社会を受け入れるための取り組みをしてから社会復帰したい。また就職後も継続するための支援が必要だ。

 

そして私にはもう一つ重要なことがある。

何度も何度も挫折した卒業というゴール。学歴など不要という方もおられるだろう。しかしながら私にとっての「卒業」は「学歴」とは少しニュアンスが違うのだ。私のコンプレックスの源は学歴ではなく、やり遂げられなかった挫折感だ。

 

両親や親族、己ですら貼り付けた「ダメ人間」のレッテルを、自らの手で、力で引剥がしたいのだ。

 

通信大学の特修正すら満足に16単位取れなかった私が、今回初めて正科生として入学できる資格を得られた。半年で16単位を修得し合格することは、私には容易ではなかった。やっと得た入学資格を無駄にはしたくない。通信大学に通いながら、このサービスを受けることが私の望みだった。

 

学生の本分は学業という月並みな規定で、杓子定規に特例を認めないのは行政の常だろう。

「通信大学は社会人として就労しながらでも学ぶことが可能な制度です。私が入学を予定している通信大学は講義をオンラインで行なっており、その講義も15分程度で区切ってあります。スキマ時間で少しずつ学習を進められるのです。単位認定試験もオンラインで行われるので自宅で受けられます。通学の必要はほぼないのです。一般的な学生とは異なります。16単位を半年間で修得し合格するのは私にとって大変なことでした。これを無駄にしたくないのです。」

親身になって話を聞いてくださっている精神保健福祉士の担当者H史は、苦渋の表情でこうおっしゃる。

「Mさんのご希望はもちろん、会議では取り上げます。ただ現状はとても難しいです。今までの判例でも学生で許可されたのは一例しかなく、それは卒業見込みが出ている学生ということで例外として認められました」

 

「私が今回、この歳になって就労支援を受ける気持ちになったのは、最後の転職にしたいと強く望んでいるからです。私のような障害を持つものが継続するためには、悩みを相談できる支援が必要です。そして実のところ私は、大学を4年で卒業しようとは考えていないのです。精神保健福祉士の資格取得を目指していますが、これを就職に役立てるつもりはないです。この資格を取得する理由はオープンダイアローグに参加するためです。ボランティアで構わない。私と同じように苦しんでいる方の何らかの力に、いつか、なりたいのです。力になれる自分を作りたいのです。マイペースでゆっくりと、無理せずに卒業して資格取得まで行きたい。仕事をしながらのんびり卒業できれば良いんです。その間は就労支援が受けられないということですか? それとも入学を諦めて就労支援を受けながら就職するか、二択なのでしょうか? 私は入学を諦めたくないです。」

 

「そうですね...もちろん、入学は諦めて欲しくないです。いかがでしょう? 4年間は学業に専念なさっては? 卒業されてから就職することも可能ですよ?」

「いやいや、ちょっと待ってください。私は55歳ですよ? 4年間のブランクを経て60歳で再就職って...それはちょっと現実的ではないのでは...」

 

「確かに簡単ではないです。それでも不可能ではないですよ? Mさんでしたら学業と仕事の両立は可能ですね、きっと。けれど大変です。最後の転職とお考えなら、就労継続支援も必要です。学生でしたらこの支援も受けられません」

 

「うーん、そうですね。確かに60歳でも再就職は不可能ではないですよね。就労継続支援...そうですね。では、まずは来年3月まで就労移行支援を受けます。Hさんもどうか、この件について会議で提案してください。結果によっては学生でもこの制度を受けられることを期待します」

 

「もちろん、もちろんです。ただ、なかなか...」 

 

「まぁ、そうです...よね、分かっています。行政ですからね...頭の固いお上の方々の考えは、そう簡単に変わらないですよね」

H史は困ったように苦笑しながら、なんども小さく首を縦に振った。

 

「是非とも会議で私のこの思いを、この経緯や生い立ちを、Hさんから上の方々にお伝えください。Hさんのお力でどうか、特例として通信大学生でもこの制度を利用できるように、お力をお貸しください」

 

点のような様々な出来事が今やっと繋がって、50代半ばにして生きる指針が見えてきた。

今までだってすんなりと行った試しなどないのだ。

困難の連続をここまでやってきた。

なるようにしかならない。

けれど尽力する。

端から見たら暑苦しくて馬鹿みたいかも知れないけれど、やれるだけのことはやり尽くしたい。

 

ダメでもともと。

自己満足で良いのです。

 

 

 

 

Starbucks


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いつだったか、どなたの記事かは覚えていないけれど、「はてなブログ」に【貧乏人ほどタピオカやスタバを好む】とかいう記事が公開されていて、スタバ好きの私は「うひゃー」と思った。

タピオカには踊らされていないけれど、スタバは好きなのよね。

けれど、それ以来スタバへの足がぴたりと止まった。

 

今日、久しぶりにスタバに来てホットコーヒーを飲んでおります♪

スタバ好きの私はタンブラーも所有してるから、本来タンブラー値引きのサービスを受けられるのだけど、今日は持ってないのね。20円、損したな。

 

影響を受けやすいっていうのも、なんだわな…。

貧乏人なだけに、ドキッとしてしまった。

該当しない人なら、なんでもないことなんだろうなぁ~

 

数百円のちょっとした贅沢は、貧乏人が故に感じられる特権なのだよ。

 

 

 

 

 

 

気がかりなこと。

昨日、私が公開したブログで、特定の方への批判と感じられている方がいらっしゃるのではないかと、少し気がかりです。

 

好きなブロガーさんの更新が、ピタリとなくなってしまったから。

たまたまだと思いますし、体調が悪いのかも知れない。単なる考え過ぎかも知れないけれど、念のためにあのブログについて、少しだけ説明します。

 

r-elle.hatenablog.com

 

上記の記事です。

 

この記事は大まかにいうと、障害者やお年寄りを狙う悪質業者や似非宗教団体などに向けてのメッセージです。

 

ちなみにアフェリエイトは上に該当しません。アフェリエイトはビジネスの一つです。

広告です。テレビ局が広告代理店に請求するCM料金はとんでもない額で、商品には当然それらのCM料金が含まれています。

良い記事を書く人が、良いと思ったものの宣伝をして、それを欲しいと思った読者がその商品を購入する。購入する人はそのブロガーのファンで応援したいのかも知れないし、単に商品が良さそうだと判断しただけかも知れない。読む人がいなければ、買う人もいない。

明快で正当なシステムだと思います。

 

上の記事は、ひとりごとみたいなぼやきで、明確に誰かを指してはいませんが、私の頭の中にはある一人の人物が浮かんではいたのです。

その人は8月まで治療を受けていた精神科で出会った人ですが、純粋な人でした。

とても頭の回転が早い人でしたが、言い方に驚くことも少なくなかったのです。しかしながら基本的に優しい人と思えましたし、話しやすくて好ましいと私はに思えました。

その人以外の患者の口から「あの人は発達障害だから」と聞いたことがあります。

「だからか」と納得もしましたが、「それが何なの? 」とも思いました。

そういうセンシティブな問題を、本人以外から聞かされたことに、不快な気分を感じたのです。

 

その人はある事情があってお金を得るのが不可欠で、生活を安定させるために一生懸命頑張っていました。

その人は、ある人物を信じて、利用されているように私の目には映りました。

その人は純粋ですが、機敏で頭の切れる人です。

利用されていると感じているようでしたが、全ては我欲と自らに言い聞かせて(思い込まされて?)行動しているように私には見えました。

 

被害者がいつしか加害者になっていく。

認知的不協和理論があちこちに転がっています。

とても悲しい気分になるのです。